自分の足で立ちたい

今やりたいこと。転職、引っ越し、お金を貯める、海外に行く。。。色々あるけれど、とにかくどれも両親には迷惑かけたくない、金銭的に自分で何とかしたいという思いがある。そうするべきだという強い思い込みがあって、でもある程度は自分の中に「頼る」ことを許しておかないとなという思いもある。一回それで大失敗しているから。うつ病になったのも、そういう「頼らない、全て自己責任」という強迫観念があったから。どこかで少しずつ頼りながら、少しずつハシゴを降りたい。このままずっと鎖のように繋がれているのではなくて、しっかりと自分の足で立ちたい。長くは続かないことはわかっている。今の状況が。この泥船に乗っている限り一生幸せにはなれない。独りになることも大切で、独り立ちするのに手っ取り早い方法はない。こつこつゆっくりとやっていくしかない。今の自分は犬と同じ。鎖につながれた犬。飼い主の言う通り思う通りに動いて、よしよしされたい、餌が欲しいから言う事を聞いているだけ。

何を仕事にしたいのか。ここ最近ずっと考えている。独立したら経済的に今よりも厳しくなるのはわかっている。何かを手放さないと自由は手に入らない。お金は自由に使えなくなるだろうけど、それよりも精神的に自由になりたい、と思うのはあまりに理想主義過ぎるんだろうか。今まで私にかけてくれたお金のことを考えると、やっぱり大学院を出たことを強みにしていくのが筋なのかもしれない。心理学をもう一回イチからやり直す?資格を取る?でもそういう実利的なことから離れると、やっぱり一番は「絵を描く時間が欲しい」ということ。何も残せない人生より、何かひとつでもいいからこの世に残したいという謎の欲求がある。もっと、根源的なことを考えると、誰かからの評価、世間からの評価云々以前に、自分が生きていく為に絵は絶対に必要で、私にとって絵はオアシスみたいな存在。生きる源。水みたいに透明な源泉。何かがある訳ではない。ただそこに透明なものが転がっているだけ。ガラスのような、鏡のような透明な何か。私にとってはそれが拠り所になっている。それが果たして私の「原石」なのかはよくわからない。でもその透明な何かがあるから、生きていられる気がする。その為に生きていると言っても過言ではないと思う。ダンスを褒められるのも嬉しいけれど、絵は褒められるとかそういうのとは関係なくずっと小さい頃から続けている。もちろんインスタなどSNSにあげて、イイねをもらえるという事がモチベーションのひとつになっていることは確か。自分の心と一体になっている「絵を描く」ということと真摯に向き合いたいと思えば思うほど、それを仕事にする、お金を稼ぐ、生計を立てるって考えると、何か魂を売ってしまうようなそんな気持ちになってしまう。どうしたらいいんだろう。答えは出ない。とにかくわかっていることは、自分の足で立ちたいという感情は確かにある。仕事をどうするか。今の仕事に誇りを持ちたいと思って、前に記事を投稿を書いたが、正直、無理矢理そう思おう思おうとしている感覚がぬぐえない。本当にやりがいを感じているかというとそうでもない。病気のこともあって、経済的に両親に頼るのが今は一番いいと思っていたけれど、それは言い訳だったんだと気づいた。病気でも、うつでも、独り立ちできるはずだと。私の中で何か明確な計画がある訳ではないけれど、ただ漠然としたテーマは「絵を描く仕事をしたい」ということ。それだけで簡単に食っていけるとは全く思っていないし、ここに書くのもどうしようか正直迷った。宣言みたいになってしまって自分を縛りつけてしまって、返って焦りが募るのも良くない。でも、今は言葉にしてとにかく何でもいいから、正直な気持ちを整理したいと思って、思い切ってここに書いた。来年どうこう、焦るのが一番良くないし、それは何回も何回も焦って失敗してきているから学習済み。いつも「よんなーよんなー」の気持ちでいくのが私には合っている。「よんなー」というのは、沖縄の方言で「ゆっくり」という意味。私の祖父の口癖は「ゆっくりやれば何でも上手くいく、焦ってやっても意味がない」。私の中で大事な言葉だ。転職を考え始めると、ついつい焦ってしまいがちで空回りしてしまう。自分の将来のことだからこそ、じっくりゆっくり考えたい。

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