ネガティブウェーブ週間

5月からこのnoteを始めて5か月。書くこと自体は楽しいが、1か月おきくらいになんでこんな下らないことやってんだろうと自己否定的な感情が襲ってくる。定期的なそういうネガティブウェーブに飲み込まれがちだ。

9月29日にもそのネガティブウェーブがやってきた。日記にそのことが記されている。(noteとは別で自分しか読まない個人的日記帳があって、そこに書いたことの抜粋などをこのnoteに載せたりしている。下書きみたいな感じでアナログなほうを利用している感じだ。)「人間関係で傷つくのが怖い。かすり傷だって本当は嫌だし、傷つくことが美しいなんて思いたくない。小さくても些細なことでも痛みは痛み。痛くない方向へ行こうとすればする程、友達はいなくなるし、気づけばいつも独りだ。それでも悦に入ってる自分がいる。薄気味悪さすら感じる。『独りぼっちのかわいそうな人』を演じている。」このネガティブ満載の文章を読んでいて気付いたのは、自己分析をしているようでしていないということだ。自分のなりたい像みたいなものがあって、それを鏡に映して眺めている感覚になってくる。不思議だ。この文章を実際書いている時は、よし書くぞよし見つめてやるぞという気迫がみなぎっているのに、少し時間を置いて読んでみるとそんな大したことは言っていない。みんな傷つくことはそりゃ怖いし、嫌なことだ。なんだか自分だけ被害者みたいな語りになってしまうのはいつもの癖だ。こういうやり方があまりよくないこともわかっている。もうそろそろ辞めたい。自分の傷だけを見て騒いでいたってなにも変わらないし、第一やっぱり独りは寂しい。わかってほしい、認めてほしいという欲求が強いのは昔からだ。独りは寂しいけれど、深く理解してくれる人が一人でもいるだけでもうそれで充分なのでは?と思うようになった。

昔から集団が苦手だ。3,4歳の頃はとにかく人気のない公園が好きだった。大勢子供のいる公園には絶対行きたくない子どもだった。そうして育ったからか、小学校、中学校、高校と「群れ」には慣れない人生だったように思う。部活らしい部活もやっていなかったし、中高友達はずっと固定。正直、一人でやったほうが集中できることは多いし、それはそれで楽しかったりする。むしろ単独行動が全く苦ではない。一人が好きで何時間でも一人遊びできる。他人が視界に入ると半分パニックみたいになる。何かしてあげなきゃ、でも何をしてあげたらいいのかわからない。。。そういう悩みを抱えたまま30近くなってしまった。解決策は一つだった。「あいさつ」だ。視界に入ってきた他人にまず「こんにちは」と声をかける。そんな単純なことに29年間全く気付かなかったが、このnoteを書きながらおじいちゃんと話しているうちにそういうことか、と腑に落ちた。阿保くさくなるほど簡単で単純なことだった。それでも「集団恐怖症」というものはあって、どうしたらこの気持ちが落ち着くのだろうかと日々考えている。

最近覚えた言葉に「陰キャラ」という便利な単語がある。自分はその属性だということに最近気づいた。おとなしくて一人が好きな自分がそういうキャラと言われることに対する小さな反発心もあるが、でもすごーくあてはまるのである。そういう属性の人たちが世の中には一定数いて、存在していていいんだ、という安心感。そこまで珍しくもないんだなぁと思う。心から共感したり、この人魅力的だなと思う人は大体暗い人だ。根は明るいのかもしれないが、闇みたいなものをまとっている人に惹かれてしまう。宮下草薙が好きなのも、日陰にポツンと2人が取り残されている感じがたまらなく愛おしいからだ。集団の中で所在なさそうにしている人に、思わず目がいってしまうのは癖だ。ワイワイした空間に一人だけポツンと浮かない顔してる人が気になってしょうがない。陰キャかどうかは別問題のような気もするが、大体そういう集団の中でポツンとしている人とは仲良くなれる。

ネガティブウェーブ週間と銘打ってはみたが、また雑記のようになってしまった。まあいいか。最近思うことをつらつらと。

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