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ギャンブル経験のある男はハズレなのか

「それなりにギャンブルとか遊びを経験したことのある人だからいいと思ったの」

妻が友人に私を紹介したときのセールスポイント(?)である。
他に褒めるところがなかったのでこんな紹介の仕方になったのかもしれないが、後で考えてみると『それなりにギャンブルをしたことがある』というのは、交際後の結婚を考える上でのセールスポイントになりうるかもしれないと思った。

たしかに私はギャンブルというものを一通りやった。 それなりに勝ったこともあるのだけど、通算すれば負けの方が圧倒的に多いし 車種は伏せるが自動車を1台買うくらいの金額は余裕で負けているだろう。

私は長年のギャンブル経験の中で悟ったことが3つある。

・自分はギャンブルの才能がないこと


ギャンブルの才能とはなんだろうか?
張りこむ金額を適切なものとし、下調べや相手の観察に長け、引き際の判断力などが高い水準にあり、何より自分自身を冷静な目で見めてコントロールできる人はギャンブルの才能があるといえよう。
残念ながら自分にはすべて欠けている。
大した根拠もなく適当に掛けるし、ボーナス後には張り込む額も増える、ちょろっと勝ったらもっともっと勝てるんじゃないかと熱くなって引っ込みがつかなくなる……論外である。

・ギャンブルで稼ぐことはできるかもしれないが、アルバイトの方が楽だということ

夢のような話だがギャンブルで稼ぐことは可能だ。パチプロなどがその例だろうか。
漫画などではかっこよく描かれがちのパチプロだが、実際は毎日何店舗も店をまわり、期待値とイベントを調べ上げ台のデータと釘の状態を収集し、あまり好みでない台を開店から閉店まで10時間以上ハンドルを握る生活。
店の胸先三寸でなんとでもなる存在だ。
その店ですら現在は閉店が続いており、稼げる店は減り続けている。
時給換算するとアルバイト以下ということもザラにある。

・ギャンブルで使ってはいけないお金のラインを把握できたこと

これ使ったらダメだし使ったらいろんなものを失うよね?
というギャンブルで使っちゃいけないラインをわきまえることができた。
サラ金に駆け込む寸前までいったこともあるが、「一度借りたら絶対に返せなくなるよね?」と自問自答し危機を脱した。
それからは、使ってもぎりぎり問題ない範囲で遊ぶことができるようになった。(まあこれも大問題なのだが)

どれも当たり前なのだけど、死ぬまでギャンブルをしてもこれに気づけない人間も非常に多い。
ずるずるギャンブルにはまり込んだまま苦しみ続けることになる。

だが、最も危険なのはギャンブル経験がほとんどゼロの人なのかもしれない。 いわゆるエリートな人ほど危険だと思う。
厳格な親の元で育てられ、大手企業で社会人になって何年か経過し、使える金額が増えた状態から初めてギャンブルの魅力に取りつかれてしまったらどうだろうか?これは非常に怖い。 免疫のない人はどう転ぶかわからないので、下手にビギナーズラックに恵まれでもしたら終わりが見えない。
ギャンブル沼にハマって溺れるどころか、溺●してしまうかもしれない。

しかもこれまでの人生で失敗らしい失敗をしたことがないので、周りの人へも相談ができず抱え込んでしまい状況は悪くなる一方。
なんであんな人が?という人がギャンブルにはまっていてどうにもならなくなったりする。
それならば、ある程度ギャンブルがどんなものか知っている男の方がある意味安全なのかもしれない。
もちろん、ギャンブルなんて一生しないに越したことはないのだが。

追記


ちなみに私の祖父は死ぬまで一度も博打をしたことがなかった。
大正生まれの男性としては非常に珍しいのだが、これには訳がある。
祖父の父親、つまり私の曾祖父が大のばくち好きで、使っちゃいけない金どころか先祖伝来の田畑に家や倉まで全て失ってしまったのだ。
江戸の末期までそれなりの資産を持っていたという我が家は無一文となり、まだ子供だった祖父は丁稚奉公にだされてしまったのだ。そんなこともあってか一生博打には手を出さなかった。
しかしそれは一代限りであり、息子(私の父)と孫(私)はギャンブルに精を出すことになる。