青白い春


 「ただいまー」
 防犯意識が高い僕は、いつものように玄関の扉を開けて言う。

 「はぁ、今日も疲れた〜」
 僕は新卒の社会人2年目。仕事が辛すぎて、下手すれば早期退職を決断してしまいそうな状態である。

 そんな僕は今日も、疲労のそよ風に乗って玄関からベッドへ飛んで行く。

 そしてベッドに着地し、いつものようにそのまま瞼を閉じようとした、その時。

 「おかえり。」
 どこか懐かしいような、でも聴き覚えは無いような声が僕の耳に届く。

 「ん?誰?」
 目を開け、僕は尋ねる。

 「え、もしかして忘れたの?エリ。葛城(かつらぎ)エリよ。」
 そんな僕の瞳をじっと見つめ、彼女は、そう答える。

 「ああ、エリちゃんか。ああ・・・え?なんでエリちゃんが此処に?だって、エリちゃんは・・・」





 「「僕が“創った”女の子なんだぞ?」」





 僕があの子を創り出したのは中学2年生になりたての頃。まさに中二病っぽい性格がまだ抜けていなかった時だ。
 確か、友達が1人も居なかったから、誰のモノでもない、僕だけの“友達”という特別な存在を創ろうと考えて描いたはず。

 まさか、あの絵が。
 まさか、想像上の友達に近いあの絵がリアルな友達として僕の目の前に現れるなんて。

 僕は困惑しつつも、酷く興奮していた。

 だが、その興奮を彼女に伝えてはいけない。だって、僕にとって彼女は唯一の友達なんだから。唯一の友達に恥なんて晒せない。

 すると、彼女が「ねえ?聞いてる?」と尋ねてきた。

 その問いに対して僕は「えっ?あっ、えっ・・・」と困惑してしまった。

 そんな僕の様子を見た彼女は、呆れたように溜め息を吐き「も〜、全然私の話聞いてないじゃん!まあ、ずっとボーッとしてるから、どうせ聞いてないんだろうなーとは思ってたけど!」

 どうやら僕は、とっくに彼女へ恥を晒していたようだ。

 恥を晒してしまった事に恥ずかしくなり、僕は落ち込んだ。

 だが、直ぐに、今は落ち込んでいる場合では無い事に気づいた。

 なぜなら、今、目の前にエリちゃんが居る事が余りにも不可解すぎるからだ。まずは、これについて色々と本人に聞いてみなくてはならない。

 「あ、あのさエリちゃん。エリちゃんは、なんで此処に居るの?普通こんなのありえないじゃん」

 「え? なんで、って言われても・・・。それは、なんというか・・・。」

 「なんというか、なんだよ。どうせ言うならハッキリ言ってよ。そうじゃなきゃ、全然わかんな・・・」

 「どっ!どうしても!君に感謝したくて・・・。」

 ビックリした。ここ2,3分で情緒が変わりすぎだ。でも、僕はなんとか平静を装った。

 「感謝?そんな感謝されるような事、今までしてきたっけ?」

 「してきたよ!」

 「僕が今まで何してきたって言うんだよ」

 「まず、私の事を創ってくれたじゃない!」

 「え?」

 「うん。君、ずっと何かと苦しそうだった、というか辛そうだったじゃない?で、その気持ちを和らげる為に私を創ってくれたんだよね?」

 「た、確かに、そうだね・・・」

 まあ、確かにそうだ。でも、そんな言い方されると、僕が異常に脆いメンタルの持ち主のようになってしまうじゃないか。でも、友達が居なかったというだけでエリちゃんを創ったという事は、そういう事なのかも知れない。

 すると、「だから私に頼ってくれてありがとう、って言いに来たの・・・。」と彼女はすっかり落ち着いたトーンで言った。

 「なるほど・・・。でも、きっと感謝するべきなのは僕の方だよ。」

 「え?」

 「だって、エリちゃんの事を創ったのは僕だけど、そのエリちゃんのお陰で僕は何回も救われてきたんだから。しかも、こうして直接逢えるなんて。感謝するしかないじゃん」

 「確かに。じゃあ、こうなったら、お互いに感謝し合うべきなのかもね。」

 「うん」

 登場人物こそ異端だが、内容は互いの存在に感謝し合う人達がいかにもしそうな会話。しかし、やはり、僕を「それどころではないだろう」という気持ちにさせる疑問がまだ消えていない。

 「あ、あのさ、さっき僕の元に来てくれたのは僕に感謝する為って言ったけど、それ以前に、どうしてエリちゃんは僕の目の前に現れる事が出来たの?どうしても、その事がさっきからずっとモヤモヤしてて・・・」

 「そ、それはね・・・。」

 「うん」




 「私がエリちゃんじゃないからよ。」




 「・・・え?」
 僕の頭は一気に真っ白になった。全然理解が出来ない。

 「ど、どういう事?絵から何かの力で飛び出してきたんじゃ・・・」

 「そんな訳無いじゃん。 マジで馬鹿じゃないの?さっきからアンタはずーっとずーっと変な事ばっかり言いやがって。いつになったら、その奇妙な中二病はアンタから消えるんだろうねえ!」

 そう言いながら見知らぬ女は、徐に僕の身体に乗ってきた。こういった体制の時、普通は大人の階段を登る時に感じる不思議な感覚が全身を巡る筈だが、今回はそういった感覚が無い。寧ろ、僕を階段から突き落とそうとしているように感じる。

 「じゃあ、アンタは一体誰なんだ?」

 「ふふ。私はミナエ。覚えてないなんて言わせないよ。」

 「み、ミナエ、だと・・・!」 僕は余りに驚きすぎて、これ以上の言葉が出せなかった。

 「そりゃあ、そんな反応しちゃうよねえ。
 だってアンタ、ずっと私の事をいじめてたもんねえ!」

 「そ、それは・・・」



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 中学1年生の冬。僕には、なんとなく気に食わないと感じている同じクラスの女子がいた。それが、ミナエ。佐々木ミナエ。勉強が出来て、運動神経も良く、ピアノを弾く事も出来る。そして、何より、多くの友達と良い関係を築いていた。

 僕はそんな彼女を羨んでいた。「どうすれば、ミナエさんみたいになれるんだろう」って。

 ある日の放課後、僕は思い切って彼女に話しかけてみようと思った。

 「あ、あのっ」

 「ん?」

 「ミナエ、佐々木ミナエさんですよね?」

 「うん、そうだけど。なんか用?」

 「いや、あ、あの・・・」 同じクラスメイトである筈なのに、友達になりたい気持ちを少しも伝える事が出来なかった。

 「ん?何?・・・もうっ、なんだよコイツ、声ちっちぇーな。」 小声ではあったが、僕の耳にハッキリと届いた。確かにアイツはそう言った。

 僕はとても嫌な気持ちになった。それと同時にイラっともしてしまった。

 そして、色々溜め込んでしまった僕は何も言い返す事が出来なくなり、そのままその場を立ち去ってしまった。

 余りにも自分勝手な事をしたのは理解していたが、アイツにも多少の非はある。その思いが強まっていく程に彼女への復讐心が強くなっていった。

 その翌日からだ。僕がアイツに復讐をし始めたのは。

 あえて、ここで何をしたかは言わないが、僕の復讐心が冷めるまで僕は徹底的に復讐をした。

 その結果、彼女は学校に来なくなった。いわゆる不登校というやつだ。多分、僕に原因があるだろう。僕の周りでは皆が心配し、悲しんでいた。

 だが、僕は心の中が達成感で満ち溢れていた。憧れに近付く事は出来なかったけど、その存在よりも上に居ることが出来たような気がしたから。



 「佐々木ミナエさんが亡くなりました。」 担任からそう伝えられたのは、僕の復讐心が冷めてから2ヶ月が経った頃だった。

 流石にこの時は肝を冷やした。復讐に“死”という要素は求めていない。寧ろ“生”が常に形を変えずに居続けるからこそ復讐は成立する。

 だから僕は復讐を成立させる為にあるモノを創った。


 それが、葛城エリ。


 我ながら、絵を描く事は得意なので、絵画によって復讐を成り立たせる事は非常に都合が良かった。



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 「そ、それは・・・」

 「それは、何よ?」

 「ふんっ。あれは、アンタのせいだぞ」

 「は?私をいじめておいて、よくそんな事が言えるな?いじめられていた私が何したっていうのよ?」

 「俺がアンタに話しかけたあの日、アンタは『なんだよコイツ、声ちっちぇーな。』って言ったよな?あれだよ。あれのせいだよ。あんな事言わず、優しく俺に対応していれば、俺はアンタをいじめていなかったんだ!」

 「いやいやいや・・・。また変な事言ってるよ。」

 「とぼけるな!」

 「とぼけてないし。てか、あの時、ワタシ何も言ってないんだけど。幻聴でも聴いたんじゃない? アンタだったら全然あり得るでしょ。」

 「そんな訳ない!」 僕の記憶こそが真実だと思っていた。


 「まあ、こんな長く話してきたけどさ、私は今日アンタに復讐返しをしに来たの。だからさ、」

 そう言って彼女は胸ポケットから折りたたみ型のナイフを取り出しては、僕の脇腹にそれを突き刺してきた。

 「ぐわあっ!」 僕の記憶をねじ曲げるような痛みが僕を襲う。


 そんな苦しみを受け流すように、彼女はその後も全身に何度も何度もナイフを突き刺してくる。


 「苦しい? そりゃ、こんな刺されてんだから苦しいだろうね。 でもね、私もこれくらいの辛い思いをしてきたんだよ。だから、これで喰らった苦しさはお互い同じ。」

 この時には、僕の意識は殆ど消えかけていた。だが、彼女の声は確かに耳に届いていた。

 「本当は苦しみを同じにしたいから殺したくないけど、ここまで来たら殺しちゃう方が良いよね?その方が楽だもんね? ンフフ。」

 「・・・悔しいけど、・・・アンタの・・・言う通りだ」 僕は、僅かに残っていた力を振り絞って言った。

 「ありがと。じゃあ、お言葉に甘えて。」 そう言って彼女は僕にトドメを刺した。




 その瞬間、僕は目を覚ました。さっき死んだ筈なのに。僕は戸惑った。

 時計を見てみる。 23時17分。帰宅してから1時間ほど経っていた。

 ということは。

 「全部、夢?」

 僕はその結論を出した時、一気に安堵した。

 「良かった。死んでなかった。いくら仕事が辛いとはいえ、こんな時に死んでられるか」


 「あ、おかえり。」


 「え?」



 この時、何かが壊れる音がした。


                 -おわり-

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