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<連載小説>昨日のような、明日を生きよう<21>

猫についていく

 公園からの帰りに、猫を見つけた。
「あ、にゃあだ」
 綾は猫のことを「にゃあ」と呼ぶ。慌てて近づいても逃げられることを知っている彼女は、猫を刺激しないようにそっと近づいていく。なるべく視線を下げるようにして、屈んで、よちよちと歩き、声を出さないで。
 猫は敵意が無いことを分かっているのか、それともただ人懐こいだけなのか、綾が近づいても逃げることなく待っていた。
「にゃー」
 猫が鳴く。
「にゃあ」
 綾も鳴く。
 十分に近づいてから、綾が指先をそっと猫の前に差し出す。すると、猫はその指の匂いをふんふんとかぎながら、綾の周りを一周くるりと回った。
「チチ、えさあげたい」
 と聞かれたけど、僕は猫が食べるようなものを何も持っていない。
「綾、チチは何も持ってないよ」
「んー、ざんねん」
 少しうつむいてそう答える。そんな綾の指を猫がチロリと舐めた。
「きゃっ」
 可愛い声をあげて綾が一歩後ろに下がる。その音に猫がびっくりして、一歩下がる。
 そして、そのままどこかに行こうとした。
「あ、まって」
 綾は立ち上がり、追いかけた。僕もその後ろについていく。
 猫は走ることなく、まるで綾が来るのを待つかのようにゆっくりと進んでいった。
 綾も置いて行かれまい、逃げられまいと近づいていくが、一向に逃げる気配はない。
 路地を曲がり、細い道に入っていく。
「にゃあ、どこいくのかな?」
「どこだろうね」
 二人で話しながら、見失わないように後をついていく。
 やがて、塀の上から二匹目が合流した。最初の一匹はトラ柄の細い猫、二匹目は白黒のブチで太っていた。
 二匹は仲が良いのか、にゃあにゃあと何事かを話しながら歩いていく。
「おはなししてるね。どこであそぼう、っていってるのかな」
 楽しそうに綾が語る。両手を口に当てて必要以上に笑い声を立てないようにまでしている。確かに、この光景はワクワクする。
 二匹は路地の奥まったところにある公園に入っていった。まだ綾が来たことのない公園だった。
「はじめてのこうえんだー」
 滑り台とブランコだけがある、小さな公園。子供は誰もいない。確かに、すぐ向こうに大きな公園があるから、わざわざここに来る理由はない。
「あっ、にゃあたくさん!」
 綾の言う通り、そこには十匹以上の猫たちが、車座に集まっていた。
「猫の集会だ」
「ねこのしゅうかい?」
 僕のつぶやきを拾って、綾がオウム返しに言った。
「猫たちが集まって、何かおしゃべりしてるんだよ」
 トラ柄とブチが来ると、猫たちは場所を空けた。二匹がここら辺のボスなのだろうか。ブチが「にゃあ」と一際大きな声で鳴くと、他の猫も「にゃあにゃあ」と返していく。
 綾はその集会に近づきながら、でも隣にまでは行けなかった。きっと逃げてしまうと思ったのだろう。
 公園の中に入り、少し遠巻きにして見ている。猫たちは何事かをしゃべっているのか、活発に鳴き声を上げている。
 しばらくして、猫たちの音が止んだ。そして、トラ柄が綾に近づいてくる。ちょっとだけ僕は身構えた。何か危害を加えるんじゃないかと思ったから。
 しかし、その猫は綾の周りをぐるっと回ると、後ろを振り返りながら、綾を誘導しているかのようにゆっくりと猫たちの方に戻っていった。
「チチ、いっていい?」
「ん、んー、分かった。でも危なそうだったらすぐに戻ってくるんだよ」
 大きく、うん、とうなずいて、綾が猫たちの元に歩んでいく。そして、猫に交じって話を聞いている。
 いや、聞いているのか、これは。言葉なんか分からないはずだし。
 でも、笑ってる。とても楽しそうに、一匹一匹と目を合わせて。
 そんな不思議な光景が数十分も続いて。
 やがて集会はお開きになった。綾も戻って来て、家に帰ろうという話になる。
「綾、何を話してたの?」
「んとね、あったかいとこどこ、って」
「温かいとこ?」
「うん、くるまのした、とか、かいだんがいいよ、って」
 どうやら日向ぼっこの場所について話していたらしい。
「綾は、猫のしゃべってること分かるの?」
「ううん、わかんない」
「分からないのに、分かったの?」
「うん、わからないけど、わかった」
 その意味が、僕にはよく分からなかった。

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