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ルージャより愛をこめて(1)

突然のR国の進行により、世界は戦争という現実に向き合わざるをえなくなった。人々の多くは早期の終戦と平和を願うも、戦火に傷つき、困窮にあえぐ人たちは日に日にふえていった。

そんな状況に、思わずうすら笑みをうかべたのはわたしだけかもしれない。遥か遠くの戦争と、平和な場所で対岸の火事をながめていたわたしは、侵攻を受けたU国の傭兵募集の呼びかけに、心をふるわせた。

戦場にたって華々しい活躍をし、注目をあびたい

…なんていう気持ちは全くなく、そう、あえていうなら、わたしは死んで悲しんでくれる人をつくりたかったのかもしれない。

もし銃弾に倒れたら、名前も知らない誰かが、最期をみとってくれるかもしれない。国の偉い人が祖国のために犠牲になった英雄と、たたえてくれるかもしれない。とにかく、わたしには心起きなく死ぬことができる場所がほしかった。何十年も生きて、仕事もできず、出会うこともできず、ずっと家にひきこもって、自分が生きているのか、死んでいるかもわからない状況で、死を強烈に感じるということは、わたしにはどうしても必要だった。

国は応募をしないよう注意勧告をしていたがしったことではなかった。たとえば危険地帯で拘束、捕虜などになったとしても、国の救助隊に多大な費用な労役をかされるなど、なおのことだった。わたしは誰にも知られないよう、ひっそりと旅立った。

特に軍事訓練をうけたとか、海外で仕事をしていた経験はまったくなかった。わたしはなけなしの貯金をはたいてU国の隣国に行った。

傭兵募集をしている首都までの直行便はさすがにみつからなかった。とりあえず陸続きなので、車でも徒歩でも、旅がてら進んでいけばなんとかなるだろう。別に傭兵になるのが目的ではなく、そこで死ぬことが目的だから。

さて、ここにくるにあたり、わたしはひとつ決めていることがある。それはボランティアのたぐいはしたくない、ということだ。

困っている人を助けるのは大事なことだろうし、それをする人を批難するつもりはない。ただ自分はしないというだけだ。誰かを助けるなどということは自分が満たされ、誰かを助けることが出来る余裕がある、恵まれた人だけだ。わたしにはうえた人に食べ物を与えることはできなかった。ただ抱きしめて、一緒に死ぬことはできそうだけど。

世にボランティアをしてそれを喧伝する行為にどうしても虫唾がはしった。誰かを助けたいという気持ちは、つきかけたろうそくの灯のように、かすかに胸の内にあったが、喧伝する行為の利益をあびるやつらの顔やでかい声が頭にちらつくと、どうしても嫌悪をもよおした。誰かを助けるのなら、だれにも知られないところで、あなたとわたし、ひっそりと助け合いたかった。

思うに、誰かを助けるという行為と、それを喧伝する行為は切り離して考えるべきなのだろう。そして大半はまず喧伝する行為から知ることになり、どうしても両者をくっつけてしまう。そして助けを求めるという行為は、いままでの人生が幸福にも、充実し、生きる意志をもつものだけだ。

誰かに知られるように誰かを助ければ名誉を得る。

ならば、誰にも知られないように、わたしが助けた人、その人が、わたしだけに行ってくれた、「ありがとう」という小さな、たったひとつの声は、いまこの広い電子ネットの世界の、どこをさまよっているのか。

わたしは現地について、とりあえずU国へ入国するための足を探そうとした。



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