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ルージャより愛をこめて(3)

数日間、このボランティア団体の手伝いをするようになって、ふとわれに返った。自分は何をしているのか、と。

食料や衣料品の搬送、配布、整理など、わたしは昼夜をとわず働いていた。体を動かしていないと、異国の地で、どこか不安だったし、何かをしていないと、ずっとこの場にとらわれているような感覚に陥ることがこわかった。

かといって、自分のやるべきことは違うという葛藤もあった。

物資を輸送する避難所には、難民たちの声が飛び交っている。ときおり何か声をかけられたようだが、スマホで後で翻訳してみると、ありがとうという意味だったようだ。

空腹の人に水や食料を渡して、憔悴しきったなかで笑みをうかべながら、文句を言われることがあるのだろうか。言葉はわからなくても、状況と表情と言葉の調子などで、感謝されているのはわかったが、どう考えても筋違いだった。

支援が遅いと怒鳴りつける方が正解だと私は思う。わたしは本来の目的もはたせず、やることもないかた、いわれたままに物資をはこび、わたしているだけだ。感謝をされる筋合いはまったくない。

感謝の言葉に喜び、存在を認められたように安心し、心地よく思うことがこわかった。故郷では何もできず、仕事もできず、特別な能力もない自分が、食料や物資を運んだり、整理したりしただけで、何十年もうけることがなかった、ありがとういう言葉がもらえる。そんなことが本当にあるのだろうか。そこは飢えと苦痛の叫びにみちながら、わたしにとっては天国のようにだったが、長年しみついた卑屈な体質は治らず、いつかは、無関心といった形で忘れられ、裏切られるだろうと斜にかまえていた。

わたしは動きをとめると不安がわいてくるというだけの理由で、だれよりも長い時間働いていた、他のボランティアの人や難民たちとかかわりたくないという理由で、手もちのキャンプ用品で、はなれたところにテントをくみ、ひとりで生活されていた。それがボランティアとしての純粋さというか熱心さに、勘違いをされているようだった。

わたしが施設にきて数日ほどたったその日。

診察所ですこしさわぎがおこった。先ほどU国の首都方面から運ばれてきた少年が、暴れているというのだ。

彼は軽傷だったが意識を失っていたので、ほかの避難民たちが眠ったままつれてきていた。治療受け、意識をとりもどしあと、そのことに気づいた後、彼はU国にひとりでもどると騒ぎ始めた

その少年の名はジャイロといった。彼が戦地に戻りたがる理由はいったい…


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