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ねこすく ―ねこがきみを救う― 5話

天元の黒

 猫の齢二十年は、人間でいうところの百年に相当するらしい。
 迫り行く老いというものと向き合い、あがき、苦しみ、戸惑い、落ち着き、挙止はさまざまあれど、最後にはやはり受け入れる。
 わたしは老齢という僥倖に感謝しなければならないのだろうか。それとも生きる苦しみをうすっぺらい餅のように引き伸ばす神とやらのひげをひっかいてやればいいのだろうか。いや、もうそんな覇気もない。
 はんなの家から徒歩数分のところにある、小さな庭一面に、隅が見えないほど雑草の生い茂るこの旧屋の軒先に座を並べる二人は、人間の百歳を越える老人と、猫の二十を越える老猫である。雑草の間にややぶ蚊が無数に飛び交い、蝉の鳴き声かまびすしく、じとりした風が滞留している。
 わたしは天元の黒を置いた。百歳の老人はほうと、驚いたように、しかしまだ掌中にありといったように感嘆した。
 人間のたしなむ囲碁というものはなかなかに美しい。白と黒と、木目の上に織り成される単純な幾何学模様が、わたしのかざす肉球に調和している。黒は老練たるわたし、白は愚かな人間である。しかし、黒一色、白一色ではどちらでもやはりものたりない。白は生き残ろうと点を線と伸ばして、盤上を這い回っている。黒はばらばらと木目の宇宙に星を打つのみである。
「あらあらおじいちゃん、またお友達と碁ですか」
 毎日市から派遣されているお手伝いさんは、老齢の一人暮らしである彼のために、簡単な食事の支度と、掃除、洗濯、庭の草むしりなどをひととおり行っている。
 草むしりが終わると、初秋を思わせるような空風がさっと庭を這って縁側にやってきた。わたしは固い毛並みをこの風になびかせる。しおれたヒゲをこの中におよがせる。茶色いのみと白いしらみは風に押し流されるよう、盤の上あたりにとんで消えていった。

とある老人の奇行


 この老人とはんなにはちょっとした因縁がある。はんなとわたしが散歩をしているとき、突然、この老人に怒鳴られたことがあった。猫の鳴き声がうるさいとのことだったが、当然わたしのことではなかった。大方軒下にでも住み着いている野良と勘違いしたのだろう。なんの証拠もなく、見ず知らずの人間にいきなり怒鳴られるという経験は、はんなにとっては不快というか珍しいというか、その昔堅気さに、故郷を思い返されたようで、どこか懐かしくもあった。
 彼はいわゆる動物きらいだった。はんなに限ったことではなく、近所ですこしでも人間に飼われた動物が目立つようなことをすれば、だれかれかまわず叱責した。動物を飼うやつにはろくなやつがいないと、飼い主批判にまでそれが及ぶようなことがあり、近所からはけむたがられていた。
 奇遇にもわたしの人間きらいも相当である。言語が操れれば、老人のように目に余る人間を論破し続けるだろう。ゆえにどこか気が合うところがあるのかもしれない。一人には広すぎる旧家の軒先で、わたしはときおり飼い主への叱責の返礼として、のみとしらみを置いていく。
 それでも最近は年のせいか、この老人の怒鳴り声が聞こえることも少なくなったようだ。ちなみにわたしがこうして老人の家で碁盤に向かっても叱責を受けないのは当然のことである。わたしはそこらの人間よりも礼節をわきまえている。

川辺にて


 その老人は夕方ごろ、ふらりと外に出た。わたしはすこし距離を置いてその後をつける。この老人は世間を避けるようにひっそりとくらしているが、ときおり外出をした。出かける場所はいつも同じ川岸である。そこはボート乗り場や広場もあり、昼間には人も多く賑わっている場所である。老人はその川岸で特に何かをするというでもなく日暮れまで立ち尽くしていた。いやに明るいLED街灯が点くと、その光が落ちた中心に、背後からじわりと墨を流したような影が広がった。
 老人は何か異様な重さを感じ、思わず頭を垂れた。思いのほか視界が明るく、そして暗くなったなと感じ、しかし振りかえらなかった。影の形からそれが猫であることがわかっていたからだ。
 そしてもし振り返ったとしても、きっとその猫は人間の視界に入ろうとはしないだろう。鳴き声のひとつもあげず、すばやいながら地面と足を擦る音さえ立てない静かな挙止で、闇の中に輪郭の線を溶かすように消えるだけである。老人はそういった気配を、その丸まった背中でしっかりと感じていた。
 ふいに、ぐっと襟首をつかまれたように頭を上げた。猫の影は首元のぼろきれのようなスカーフを初秋の夜風になびかせていた。老人はようやく振り返った。照明の光が細く鋭角に老人の眼窩を射抜くよう輝きを増した。靡く首元のスカーフのように颯爽とした挙止の残像が、かすかに闇の端を掠めた。
 わたしは老人から少し離れた、土手沿いの柵上に屹立してこの一人と一匹のやりとりを見ていた。槍のように伸びた月明かりに裂かれる闇が、黒で埋め尽くされる碁盤を両断する白を想起させた。
 人間は無力である。しかし我々はもっと無力なのだろうか。彼らは黒しか打てず、我々は白しか打てない。彼らは愚かで、我々も愚かだった。人間きらいのわたしはいまだ人間のそばでこうして暮らし、動物ぎらいを自称する人間は、なぜかとある猫をさがしていた。
 老人はいつものとおり、目当ての猫が姿を見せないことを確認すると、落胆したような、どこかほっとしたような表情を浮かべ、一人どこかへ行ってしまった。こういったことを日々繰り返していた。
 そこに人間の気配がなくなると、どこからともなく同胞たちがあらわれ、川岸に打ち上げられた小魚や人間の残飯に口をつけはじめた。最近は人間が毎日来るからめんどうになったな、などと軽口をたたきながら。
 夜陰の秋風はなおも彼の首元のスカーフをなびかせている。影だけを老人の視界に落とした猫は、老人の消えていった方角をじっとみていた。黄色い瓜のまんなかに点を打ったような眼球と瞳が、闇夜を抉るように浮いていた。

かみさまのこさま

 川岸には古びた台座があった。石造りで、年季は相当古く、スプレーで黄色く目のような形をした落書きがあり、ところどころ欠けた跡が丸みを帯びている。台の上に置くべき銅像はない。なんでも十数年前に作られたが予算削減のため台のみだったとか、誰かが重機で盗み出して製鉄工場に売り飛ばしたとか、うわさはさまざまある。今、台の上にあるのは皿である。ここに食事がときおり用意される。置いていくのは人間である。何を考えているのか、ときおり小銭を置いていく者もいる。
 いわゆるお供え物である。彼らは台の上の存在の叡智に、あるいは美しい挙止への敬意として供物を献上する。時間は午後六時、スーツ姿のとある女が、仕事終わりらしく窮屈そうな髪を解きながら、台の前にひざを折った。
「のこさま、どうかお答えください。のこさまのこさま」
 とたんに風が吹き、女の髪をはらりと靡かせた。のこさまと呼ばれた猫は台座にその四足をすっとのばして、どこからともなく降り立った。首元のスカーフが女の髪に呼応するよう、はためいていた。
「のこさまどうかお聞き届けください。わたくしは今の仕事に不満があります。もうやめたいのです。でも生活のこともあります。どうかお導きください」
「にゃあ」
「なるほど、わたしの思うとおりにせよと、己の信ずる道をゆけば、どんな道はひらけると、こうおっしゃりたいのですね」
「にゃあにゃあ」
「ありがとうございます。おかげですっきりしました」
 女は皿の上に高級キャットフードを置いていった。のことよばれた猫はスカーフを肉球で持ち上げ、風になびかせるようさっと投げた。次はジャージ姿の男子学生がやはり跪き、すがるような視線をあげた。猫への相談者、いやのこと呼ばれる猫神さまへの祈りをささげる人間はその後もしばらく続き、それぞれがエサなり小銭なりを置いていった。

のこという猫の目的


 日が落ち、人間がひととおりいなくなると、のこはやれやれと、凝った肩をだるそうにまわしながら台を降りた。皿にはエサを求める野良猫たちがすでに集まっていた。
 のこはその様を横目でみながら、両方の前足の肉球をあわせて、糸をくるようにすりあわせていた。差し込む街灯の光の筋がちょうどその間に延びている。相談中にもときおりみせる、のこのくせだった。ひととおり食事が終わると、のこは皿にのこっていた小銭を銜えた。台の周囲には、食事にありつけなかった小さな猫たちがおびえたように、のこをみていた。のこは小銭を銜えたまま川面に口をつけ、首をふった。小銭についた食べかすや唾を洗って、一部始終をみていたわたしのほうに投げた。
 わたしが近くのコンビニで買った子猫たちのエサを渡して、食べ終わったころには夜もだいぶ更け、人気もなくなっていた。
 のこは何も野良猫たちを救いたいからこんなことをしているわけではない。こうなったのはあくまで結果である。エサはひとりで食べきれない量だし、猫に金などあっても使い道はない。きっと彼らも、義理や恩などというものを感じてはいないだろう。もしのこがいなくなっても、別のエサ場を探すだけである。
 以前は飼い猫であったこともあったが、比較的短い期間で飼い主を転々としており、現在は人間に頼ることもなく、独立して生計をたてることを是としていた。わたしと違ってまだ若く、体毛も輝くような上品な深みのある茶一色で、瞳のくりくりと丸く潤みを帯びて、いかにも人間に好かれる容姿をしていた。その気なれば、飼い猫になることも簡単だろう。
 出会いのきっかけははんなが川岸で野良をしていたのこをみつけて、その容姿の美しさに、何か神々しささえ発せられるが如く手を合わせて平伏したことによる。この無意味な猫への祈りが始まったのがそれが最初かは定かではないが、結果として猫好きの人間にとっての戯れとはなったようだ。誰も本気で祈りがかなうとは思っていないし、こちらは労せずエサにありつける。いつものはんなにおける、自覚しない行為の結果であろう。

傷の手当


 と、同胞の鳴き声で、わたしは異変に気付いた。見ると年若いのが一人、その白い体毛を鮮血で染めていた。どうやら割れた鏡の破片を踏んで、出血したようだった。
 わたしとのこはそれをほぼ同時に確認し、お互い呼応したように視線を合わせた。わたしはのこの背にとびのり、のこは駆け出した。のこが近所の薬屋にかけこむと、わたしは薬と包帯、テープを銜えて、同時に持ってきたのこりの金をあたりにばらまいた。
 わたしが前足と口で器用に消毒液をふきかけ、薬を塗りこみ、包帯を巻くさまをのこはじっと見ていた。ひととおり治療が終わると、もうだいじょうぶとつたえるためのこをふりかえったが、その大きな瞳にうつった自分の姿に、思わず視線を送った。のこはこなれたように、瞳の色をふっと消した。まるで対面の相手の瞳を映す鏡と化したようだった。
 前からわたしはとるにたらないことをひとつ気にしていた。それはのこが台座で祈りをささげる人間の顔を見ている際の、その瞳である。一瞬たりとも目をそらさず、ヒゲもうごかさず、針穴をうがつように視線をそそぐさまは、たしかにどこか神秘的だった。というのは、その大きな瞳にはそれぞれ相談者の表情がはっきりと映っていた。どこかすがるようでもあり、楽しみに興じているようでもあり、恍惚のようでもある表情だったが、それら複数の表情、いやもっというなら、彼がみたものすべてが、その瞳の中で無数の層を形成しているような気さえしていた。
 ある日、のこはその大きな瞳で快晴の空を見上げていた。ある日はまた曇天の空を見上げていた。緑の藻で濁る川をみつめていた。それら青の、灰の、緑の何かが、瞳に零れ落ちそうなほど満ちていて、それを落とさないかのように、視線をいっさい動かすことはなかった。わたしはなんとなく、彼の瞳に積み重なるものの無限さというものを想起させられた。瞳は瓜を斜めにしたような形で、真っ赤な瞳と黄色い虹彩が透き通るような輝きを放っており、まるで無限に記憶する鏡のように、視界に映るものすべてをうつし続けていたのだ。

老人とのこ


 ところで、今日もそろそろあの老人がやってくる時間である。老人がのこを探しており、のこが今まで身を隠していたというのは明らかだが、わたしにはこの両者はどういう形であれ、対面する必要があると思われた。それはご老体が夜な夜なふらふらと徘徊するのをあわれに思ったせいもあるが、彼の動物に対する態度に、どこか共感するものもあったからだった。
 のことしては子猫の治療が終わるまでというのもあったが、覚悟を決めたといわんばかりに、どっかりとわたしの横に腰をおろした。そしてくせである、両方の前足をすりあわせるような仕草をはじめた。
 わたしは肉球をぐにゃりとつぶして、そこらに落ちている細い釣り糸をひろった。釣り人が捨てていったもので、曲がったり絡まっているのは使いづらいので、なるべくまっすぐなのをえらんだ。それを肉球でにぎったまま、片方を口でくわえてぴんとのばし、そのまま川面に垂らした。これは釣りという魚を捕食するための手段だと、わたしは言った。のこは戸惑ったように、わたしの見よう見まねで片方を銜え、もう片方を肉球で握ろうとしたが、糸はするすると肉球をすり抜けるばかりだった。
 糸が角度をかえると、きらっきらっと反射が閃光のよう縦に走る。のこは結局握るのをあきらめ、糸を口に銜えて川面に垂らした。エサはついていない、だからつれるはずのない釣りであるが、時間つぶしには悪くなかった。
 闇に染まった水面に照る光が時折揺れている。のこはその揺れにあわせるように、体を左右にゆらしている。糸と鏡の破片はあちこちに落ちており、わたしたちは危なそうなのをいくらか拾って一箇所に集めていた。釣り糸を垂らしていたのこは自然と川面を覗き込む格好になったが、思わず、垂らした糸を川に落とした。何か水面にいたか、とわたしは聞いた。わたしがいた、とのこは答えた。のこは鏡の破片から肉球大のをひとつひろい、そこに映った自分を凝視した。もっといえば、その瞳で見た、人間、同胞、世界、そういったものすべてが、自身の瞳にどう映っていたのかを垣間見ようとしていた。
 例えば自分の目で見たものと、他人が見たものは、たとえ同じものだとしても違うようにとらえ、感じるのは往々にしてあることである。のこはひょっとしたら、そう言った差異を避けるために、記憶ではなく瞳に、かつてより記録されていたものを見ようとしているのかもしれなかった。
 猫は意外と時間をもてあましている。それは人間と違い、余計な雑事にとらわれることがないからだろう。時間が過ぎ行くのが早いという感覚はなく、人間ほど長い寿命もない。突発的な事故や病気による最期も多いため、老いるという概念からも実は縁遠い。それでもこういった空白の時間を多くもてるのは、自由ゆえか、いや人間が生物の頂点を僭越にも極めるために得たものを、わたしのようにみな自覚的にすてたおかげだろう。とにかく人間も猫も、長く生きることによって苦しみ、さまよい、もがくことを運命付けられていた。
 何かがぶつかったような音が暗闇からひびいた。顔をあげると、その先には川を横切るように照明が等間隔で灯っていた。間にあるのは橋がわりの連結された小船で、今の音はふいに風がでて、小船同士が接触する音だった。老人はそこを渡ってやって来ていた。どこか疲労したように顔色は悪く、息を荒げ、頬もげっそりとやつれている。服装もぼろぼろで、靴や背中、腕のあたりに泥がついていた。
 いったいどこに行って何をしていたのか、という疑問などわれわれには関係なかった。老人は目の前で釣り糸をたらしているのこを見つけて、驚いたように体を震わせていた。首元のスカーフが波と呼応するようなびき、照り映える川面がまた揺れた。

老人の告白


 のこは台座の上に立った。やはりまっすぐに、疲労に膝を震わせた老人の弱弱しい、哀れな様子を見つめている。のこの瞳に重なったのは、彼が壮健時の、背をのばし、肩をいからせ、居丈高に動物きらいを叫ぶ姿だった。老人は顔をあげて、失望と感嘆のいりまじったような声をか細くあげた。そしてこういった。
「わたしは妻をころした」
 この老人とのこ、そして妻の間に、一体何があったのか。なぜ老人はのこを探し、のこはそれを避けているのか。のこはそれを秘すかのように、大きな瞳をただ閉じるだけだった。
 動物のきらいな人間が手に刃物をもつとどうなるのか。人間のきらいな動物が牙を研ぐとどうなるのか。わたしと老人、のこと老人、わたしとのこ、それぞれの距離はお互いが見えるほど近く、声の聞こえないほど遠かった。

はんなの願い

 はんなは台座の前で手をあわせた。いや、何か戸惑ったように、今度は両手を組む。祈りをささげるのに宗教がごちゃまぜになっているようである。結局、のこをそのまま抱えて、その額をのこの額にそっと近づけた。
「おばあちゃんが無事でいてくれますように」
 そっと目をとじ、唇をすぼめ、まるでそのヒゲに口付けをするかのようで、ささやくような声だった。祖母が倒れたという連絡が実家からあったため、はんなは急遽帰省することになった。台座のそばには旅行トランクにまとめらた荷物があったが、わたしの移動用のケイジはなかった。
「ぬこ、行ってくるね、留守番、よろしくね」
 はんなはそう言って自宅の鍵をわたしの首にかけた。
 わたしを実家に連れて行こうとしなかったのは、急ぎの帰省のためか。それともいつものように、わたしの事情を直感的に察したためか。わたしはにゃあと一声鳴いた。故郷の同胞たちによろしく伝えるようはんなに依頼をした。
 のこはしばらくはんなの姿を見送っていたが、彼が案じているのははんなでもその祖母でも実はなかった。猫に人間の死を悼むような感覚はない。彼ははんなの祖母がいま直面しているであろう死という概念について、すこし考えている。
 かの老人の妻とはんなの祖母がほぼ同年代であったことは、わたししか知る由のない、世に数多くある些末な偶然のひとつでしかないが、のこもわたしも、死というものを何か世界の終わり、悲劇のようにとらえる人間をどこか遠い目で見ていた。
 老人が妻を殺した、だからなんだというのか。彼らが豚や牛など食用の動物を殺すのと何が違うのだろう。生物の死は日常として周囲にありつづけている。それを言うなら、今までに喰った肉をすべて吐き出してしかるべきだろう。わたしはもちろん、食べた魚を吐く気はないが。

ボートに乗った老人


 ボートがいくつか浮いている。親子連れや恋人同士のようなのが高い声をあげているなかで、老人は一人船を浮かべていた。まるで罪人を処刑場に運ぶかのように、丸まった背にうつろな目つきに、川面がはじく光に映し出されていた。
 のこは川岸から跳躍し、そのボートにとびのった。船体がぐらりと揺れ、老人はおもわず船底に手を着く。のこは船べりに四足をちいさくあわせて乗せていた。まるで罪人の懺悔をまつ神のように、顎を突き出して睥睨し、鼻息にひげを揺らした。そのまま今度は老人の頭に飛び乗って、尾で顔を撫で、屁をこいた。
 老人はやや眉間にしわをよせたが、そのまま頭を重そうにうなだれたまま抵抗もしなかった。のこはやれやれといったように嘆息し、ボートのへりにまた足場を戻した。普通の人間だったら、下等生物と侮蔑している猫にそんなことをされれば激高するだろう。動物きらいならなおさらである。しかし老人は憔悴したように、何かにおびえるように手を震わせるだけだった。のこはせっかくこのわたしが、わざわざこんな品のないことまでしたのに、と言いたげにヒゲを揺らした。
 川岸にはとある夫婦とわたしがいる。夫婦は足に包帯を巻かれた子猫を大事そうに抱えていた。
「大事にするよ」
 そう言って老夫婦は去っていった。
 これでここにいた野良の大半が人間にひきとられたことになる。すべてではないが、残りは野良としても生きていけるだろう。のこ自身は、胸のうちに生じた奇妙な達成感にとまどいもしていた。そういうつもりはなかったのにといった感覚だったが、結局は野良猫がかわいそうと言って、のこへの祈りという遊びをはじめたはんなの、いつもの意図しない、望み通りの結果になったということか。夫婦は、さきごろ息子が家をでてさびしくなったのでとペットをさがしていたようだった。ただ、のこにはそれ以外にも気にかかることがあった。それは生と死の概念が人間と猫の間を交錯すると、何か静かに息を潜める化け物のように姿をかえるということだった。
 例えばあの夫婦が何らかの理由で猫を捨て、結果猫が野垂れ死んだら、あの穏やかな夫婦が猫を殺したことにならないか。そして偽善者の言うとおり、人間と猫の命の軽重が同じだとしとら、妻を手にかけたこの老人と同じということにならないか。命を食して生きている人間やわれわれと同じということにならないか。
 すべてが一様に、同様の罪をかぶり、分散することによって人間は負荷を軽減する。ひょっとしたらそれが出来ないから、この老人は。答えられるものなどいないと、波しぶきの音が神のお告げのように聞こえた気がした。
 のこは首をぐるりとまわした。まるで人形の首をもぐかのように、やわらかい関節を鳴らし、そして正面を見据えたまま、前足でスカーフを解いた。その首周りには何か縄でくくったかのような跡があった。眉目秀麗が自慢ののこだが、ゆいいつ首周りのあざだけは、毛がぼさぼさと抜けたようにみっともなかったので、老人の妻が巻いたものだった。
「やっぱりお前だったのか。お前は、お前がいれば」
 二人、いや一人と一匹は同じ人間の記憶を共有していた。わたしは川岸から言葉もない互いの対話を見守った。川面に浮く枯葉が小さな渦に翻弄され、逃げ場もなく飲み込まれていく。老人とのこの姿がその渦に重なって映り、やがて崩れていった。

のこの過去、妻との出会い


 のこは必死に走っていた。リードを地面に引きずりながら、振り返らなくても、人間が猫の脚力に追いつけるわけがないのは当然だったが、そういったことを察する余裕もなかった。窒息寸前だったため、さっきまで視界がちかちかと真っ白な霧の中のようにかすんでいたが、それもようやく明らかになり、気付くと目の前には別の人間がいた。
 その女性、老人の妻はのこの首を絞める輪をはずした。長時間そのままひきずりまわされたせいか、首周りには痛々しい傷が刻まれていた。数週間前にその飼い主に引渡され、ろくに猫の知識もない人間が見た目がかわいいというだけでサイズのあわない小さな首輪をむりやりつけて、犬のようにひっぱりまわした挙句の結果である。のこは当然、見ず知らずの人間に対して警戒を示していた。
 それは人間が自分を傷つけるだろう、という警戒だけではなかった。かわいそう、ひどい、哀れ、そういった同情さえ、彼にとっては傷つけようとする行為と同じく嫌悪すべきものだった。われわれは人間のおもちゃに甘んじるつもりはなく、何より人間の哀れみをもっともきらう、誇り高い生物なのだという自負があった。
 妻はのこの首に傷をかくすように、手持ちのスカーフを巻いた。そしてのこの目を覗き込むようにじっとみつめた。のこの瞳には苦慮する女性の表情がくっきりと浮かんでいた。
「どうしたらいいのかしらね」
 それは負傷したのこをどうしたらいいかということではなかった。彼女自身が抱えているとある問題を、いわゆる人間風に言えば相談したのだった。初めて会ったしかもただの猫に、である。
 何をどうしたらいいのか、その時点ののこには知る由もなかった。彼は疲れのせいか、妻に抱きかかえられたまま眠ってしまい、目覚めたときは、顔をこっけいなほど赤く染めている男がいた。すぐにのこを捨てて来いと、男は声をふるわせ、ヒステリックに怒鳴りちらしていた。
 首元の負傷は手当てされていた。ちなみに、怒りの理由としては彼女がのこを飼うことを頼んだわけではなく、ただのこの治療のため家にいるところを見かけただけだった。老人の動物きらいはこのころは目に見えて苛烈で、動物が同じ屋根の下に存在するというだけでこの有様だった。のこ自身は、もはや人間に飼われる気持ちもなかったので、老人へ対する失望も、妻へ対する感謝もなかった。

妻の悩み


 深夜にひっそりと、妻はのこを抱えて外にでる。彼女はいつものことといわんばかりに苦笑し、のこのスカーフをゆるめに結びなおした。のこには老人がいかにも狭量で醜悪な生き物であり、妻がそれを包括するような存在に見えたが、実際はどうなのか。
 人間の力関係というのは、単純にオスとメスや体格の大小によらない、いわゆる彼らの道徳、法律というようなものに従う部分が多い。われわれはその習性から、対峙する両者の力関係を把握しようとするが、敗北がいわゆる死ではない人間に関してはどうも理解しがたい。老人が自身の狭量を必死に覆うよういつわりの巨躯をひるがえし、妻を支配下に置こうとするのはわかったが、妻はそれに対して、それごと包み込むような許容をみせたということだろうか。
 ただ、妻自身の危惧はそんなことではなく、もっと別のところに実はあった。のこはそれを知りたくなった。そのために彼女の瞳をずっと覗き込んでいた。答えはその瞳にこれまで何度も映っていた老人の姿に、あるような気がしたからだった。
「あの人はどうやったら楽になれるのかしらね」
 妻はそう言った。懇意の友人に相談するかのように、猫に話してみるといった冗談めいた風は一切なかった。のこの瞳はそのときの妻をどう映していたのか。それは彼女しか知る由はなかった。
「人間は一人では生きられない。あの人は依存して、甘えて、寂しがりやだから、もしわたしがいなくなったら、どうやって生きていくのかしら」
 のこはふと自分の、母猫との別れを思い出していた。いつもの住処に母猫がいなくなると、のこはそこに普段見ていた母猫の姿を思い返していた。そうか、母はあのとき、彼女と同じようなことを思っていたのか。わたしがいなくなったら、この子猫はどうなるのだろう、と。暗がりで湿気の多い、虫が這うマンションの隙間でのことだった。 
 妻がふらふらとした足取りで向かった先は例の川岸だった。ここなら水場でエサも豊富なのでということだろう。のこはしばらくその川岸で野良として生きていた。もともと見た目が整っており、首元のスカーフが目立っていたせいか、ときおり人間に拾われることもあったが、食料と金をいくらか仕入れた後は、用はすんだといったように飼い主の下を自ら去っていた。妻はときおり川岸に現れ、のこに相談事をしていた。ときにはビールとミルクを持ち合いながら、夫の愚痴とも心配ともとれるような話をしていた。
 のこにはどうしてもわからなかった。なぜ人間はこうもいらない話をするのだろう。猫にそんなことを言ってもしょうがない、何も答えることはできないのである。せいぜい話を聞くのと、この瞳に姿を映すぐらいしかできない。妻はやはり、ときおりのこの瞳を、ヒゲが触れるくらい近くにじっとみつめることがあった。のこがのちに思うところは、妻はのこ自身にではなく、瞳に映った自分自身に、聞いていたのだろう。結局答えは自分の中にしかない、ということを理解していたのだ。
 その日、のこは一時の飼い主に連れられて乗ったボードのへりから、川面にゆれる自分の姿を見ていた。飼い主の子供がいたずらのつもりかスカーフをほどこうとひっぱるので、のこはその頭にとびうつり、尻尾で顔をぺしぺしとたたくと、そのまま川岸に下りた。二度とその飼い主には姿を見せなかった。

妻が姿をみせなくなって


 しばらくすると妻が姿を見せなくなった。風のうわさに病を得たということを聞き、のこはなんとなく様子を見に行った。心配や不安という感情ではない。ただ自身の赴きたい先に病床の彼女がいるというだけのことだった。
 家に着くと、雨戸の隙間から二人の言い争うような声や、暴れているように物が散乱する音が続いたかと思うと、とたんに静かになった。のこが雨戸の隙間をのぞくと、老人が妻の首を絞めていた。室内の薄明かりが眼球を串刺しにするよう、のこの瞳にその光景を強く、しっかりと刻みこんだ。妻はうめき声をあげながら、かすかにこちらを見ていたような気がした。
 先にも述べたが、人間が人間を殺したところで、猫に何か関係があるわけではない。妻をあわれむことも、老人を憎むことものこはしなかった。ただ、スカーフの奥に隠れた傷跡が異様にうずいた。もし人間の前でそれをはずすときは、きっとこの首がぽろりと落ちるのだろうと、半ば本気でそう思っていた。

鳴きたい老人

 ひとつの渦は掻き消えた。すぐにまた別の渦が生まれた。過去と未来が入り交ざって出来る渦はいつまでも消えずにのこり、その中心には乾いたものがあって、それを潤すために流れは勢いを増した。水が流れ、血が流れ、雨が流れる。猫の鳴き声と人間の泣き声が重なった。
 老人は鳴きたい、いや泣きたいのに、涙を搾り出したいのに一滴もでないような、乾き、水分を渇望するような顔つきをしていた。のこは尾を水面に垂らした。二人の流れ出した過去を拾うかのようだった。
 のこは解いたスカーフの臭いをかいで顔をしかめた。もちろんいいにおいではなかったが、何より不快だったのが、その臭いの先が老人の手に、口元に、目につながっていたということだった。それだけではなく、臭いは、周囲の人間、老若男女すべての人間につながっており、何か糸のようなので、すべての人間がつながっているような気さえした。
 老人は船を下りると、どこまでも糸が続いていくような臭いを残しながらバスに乗って去り、その日は帰ってこなかった。

はんなの帰宅


 はんなは翌日の夜にはあわただしく帰ってきた。祖母の容態はそれほど深刻でもなかったらしく、今はもう元気に起き上がっているという。はんなが拍子ぬけしたように、どこかほっとしたようにそう話した。
 祖母はわたしの体調も気遣っていたようだった。数ヶ月前に会ったきりだが、老練の洞察力は健在らしい。わたしがわざとらしく首をかしげていると、はんなはわたしの両前足のわきをつかみ、ぐいと顔を近づけた。
「おばあちゃんね、自分の死ぬときのことをずっと言ってたんだ」
 わたしの瞳にはんなの真顔が写ったそのとき、わたし、老人の妻、はんなの祖母、それらの命と、死という概念が重なったような気がした。
 はんなは鼻が触れるほど顔を近づけ、わたしの半分閉じた目をじっと見つめた。眼球の表面に映った自分を見ているのか、それともその奥にあるわたしの考えを、垣間見ようとしているのだろうか。
「ありがとね、おばあちゃんを守ってくれて」
 言うまでもなくわたしは何もしていなかった。それはのこにささげた祈りと同じような意味なのだろう。はんなの安堵と平静をよそおう様は、もっというなら、祖母に悲しみをみせまいとする気遣いからの仮面であるが、老人とのこに対して、同じような仮面を見たような気がした。お互いはとある相反する意思を実は隠していたのだ。それこそ猫と人間の違いの顕著さのように、似ているようで、まったく違う仮面を、である。わたしのなかの疑問は氷解した。世の中の偽善者どもが他人に共感、人気を得るため動物好きの皮をかぶるのとは対照的に、老人は動物きらいの皮をかぶろうとしているように、わたしには見えていた。
「明日も会社は休みとっているから、どっか行こうか、のこちゃんも連れて、おばあちゃんの好きそうなところに」
 わたしは情のある人ではなく猫ゆえにひとつの疑問を抱く。なぜ故郷で祖母と一緒にではなく、こちらに戻ってきて、なのか。なぜならそれは祖母の体調が実は悲劇的な結末に傾いているからなどと、冷血な猫はためらいなく言い放つだろう。
 ここで孤独という概念についてぼんやりと考えてみる。はんなが祖母の好きそうな景色をみて、体験して、それに何の意味があるのか。ただ、祖母が一緒でなくても、祖母という存在を意識できるのなら、連れて行くということにそれほど差異はないのかもしれない。たとえ死人といえど、生きている人間が永遠にその記憶を保持することができ、記録することができるとするなら、わたしは人間より高い知能を得たことにより、もっとも孤独という概念から遠く、限りなく近い存在になったのだと思った。

山道をぶらついて

 真っ青な空が一面広がっているのに、いきなり霧雨が降りだした。
 気がつくともくもくと煙のように濃い雲が広がっていた。空の青と雨はたしかに一瞬だが重なっていた。暗いものと明るいもの、腐ったものと鮮やかなもの、生きたものと死んだもの、相反する二つが重なったような、一瞬限りの晴れの雨だった。
 わたしがはんなにもとめたことは、すべてが終わった今結論を述べると、死という概念を老人でも祖母でもなく、とにかくわたしに重ねてほしかったのだろう。それは残念ながらかなわなかった。
 神が人間と動物の魂を細切れにしてふらせたかのような霧雨を、はんなはバス停の前でぼんやりとみつめていた。
 予定より寝過ごして、別に仕事でもないのでゆっくりと外にでて、何の計画性もなく、まず川岸のボートにのり、反対側に停泊して、ローカルバスの終点で降りて、何もない山道をぶらついて、日の暮れるころに帰ろうとしたら最終バスがもうないという、彼女らしい事態である。スマホの電池はなく、あたりに店や人の気配さえもない、車もめったに通らない山道で、おまけに視界もはっきりしない霧雨だった。
 つまり帰れなくなったということだが、はんなにはそれほど動じた様子もなく、バス停の待ちあい室で電源の入らないスマホを見ていた。はんなのうつろの表情が消えた画面に映っていた。
「のこちゃん、連れてこなくねよかったね」
 木造で屋根がついただけの待合室で、はんなはわたしを抱きかかえながら、横風が冷たそうに腕をさすっていた。カイロがわりにされているわたしに言われても、苦笑にヒゲを揺らすしかなかったが、後から聞いた話によると、のこはそのとき老人の家にいたらしかった。

のこの足跡


「のこちゃんがここに来ていた?」
 そう、わたしはたしかにのこと老人のにおいをここでかぎつけていた。老人に関しては一度や二度ではない。何度かここに来ているようで、においが重なっているような跡があった。
 このときのこは、老人の枕元にじっと立っていて、どこか見下したように顎をつきだしてその寝顔を見ていた。心配そうに見守っているというよりは、その病に苦しむさまを、あまつには最期を確認するかのようだった。
 縁側は雨に打たれたままになっている。のこは雨戸を閉めようとしたが、何かの視線を感じて、閉めるのをやめた。いつのまにか老人がうつろな目つきで、のこのほうを見ていた。縁側に置かれた碁盤も雨に打たれたままになっており、滑らかな盤面に転がる水滴が、まるで透明な碁石のようだった。
 のこは縁側に立った。霧雨のせいか、薄闇をさっと白いもやでつつまれているように視界がさえぎられている。目をこらすと、庭先の植木の陰に古びた犬小屋のようなものがあることを確認した。その中に、犬の白骨の一部があった。

人間にもとめるもの


 ところで、わたしはいったい人間に何を求めていたのか。
 その自問自答はわたしとのこが共通に抱いていたものである。それはうまいエサでも、暖かい寝床でも、人間の一方的な愛でもない。そういったものの先に、実はすべてをつなげる答えがある。
 後日その犬の死体を見たとき、わたしはそれが内包する死という概念が放つどすぐろい感覚に包まれたような気がした。この死が、何かこの白骨で完結しているような気がして、恐怖さえ覚えた。それはのこが人間に飼われる猫を見たときと同じものであり、わたしが感じたのはその延長線上にある、いわば悲劇的な結末のひとつだった。つまり人間はどこまで、どうやって我々に対する残酷な死神を無自覚に使役できるのか、ということでもある。鎌は細い閃光を糸のように走らせて旋回し、身を切り刻み、血と体液を洗い、においをとり、紙パックにつめるだろう。
 むろん老人のことを言っているのではない。ただ、近しい人が死んで悲しむ人間を見ると、お前は日々間接的に何かの命を奪っているのだといいたくなる。そしてその涙が、うすっぺらく、何者をも潤すものではないと痛感させられる。狭量は善人の気遣いを貪り喰らいながら生きるしか術がないとすれば同情の余地はあるかもしれないが。
「ぬこ、こわい?」
 はんなはわたしを抱きながら耳元でささやいた。
「この手で、わたしが首を絞めると思う?」
 なぜこんなことを唐突に言い出したのか、という疑問をわたしはそれほど持たなかった。人間は鳥や牛を好んで食べる。同様に我々が捕食の対象になっても不思議ではない。かつてたちこめていたであろう腐臭は、われわれの鋭敏な嗅覚でさえもうとらえようがない。思えば我々も、命を食らうという感覚を、人間とともにすっかりと忘れていたのかもしれない。食事といえば人間の用意したものをただ口にするだけである。

空腹、そして


 さっきから底の底から渦を巻いて引き込まれそうなはんなの腹の音が狭い洞窟に響いていた。風雨を避けるように山道を歩いて、日が暮れるころに見つけた横穴で体を休めている。体をがたがたをふるわせているはんなの傍らで、わたしは集めた紙くずや木の枝を積み重ねて、拾ったライターで火をつけた。動物が自分で火を扱えるようになるなど、進化の歴史からかんがみれば人間にとって脅威のような気もするが、はんなはさも当然といったように、ありがととつぶやきながら手をかざした。
 空腹の音は鳴り続けている。はんなは唾を飲んだ。かつてこの中に飛び込んで人間の食料となったうさぎは神となったそうだが、むろんわたしにそんなつもりは毛頭なかった。ただ、かつて老人に飼われていた犬は、同様の最期を迎えたようだ。
 この山中で何日も遭難し、飢えた夫婦の前に、犬は身を差し出すように息絶えた。もともと老年だったということもある。結果として老人はそれを口にした。もともと若いころ、食糧難の最中に犬や鼠を食べたこともあったので初めてではなかったが、その犬は数十年も老人と共にあり、家族も同然だった。自分が生きるためとはいえ犠牲せざるをえなかったということはもちろんだが、それだけではなく、結局自分は多数の犠牲の上に生きているということに、気づかされることになった。
 それは彼にとっては、とてつもなく重いかせとなった。いままで彼を支え、食料となった命のすべてが、その一口に集約されたようだった。人生で一番まずい肉の味が命の味となり、そして二度と肉を食べないと決めた。
 老人は偽悪者の皮をかぶろうと決めた。所詮は愛犬さえ平気で虐げることができる人間である。いや、それは自然の摂理なのだ。強いものが弱いものを捕食して生き延びる。つまり人間と動物の間にはうすっぺらい偽善で取り付くことなどできない壁があり、乗り越えるべきではない、どうせその気になれば、簡単に首を絞め、刃物を突き刺し、火にくべることができるのだ。

老人と妻の結末


 この横穴には人間の涙と血のにおいがしみついている。数十年前の話だが、老人はずっとここに来ていた。妻を亡くしてからはさらに足しげく、である。
「だが、違ったのか」
 老人は病床から、古びた天井にただ問い続ける。
 家にも血と涙と唾の臭いがしみついていた。ある日、妻は突然卒倒した。数日後目覚めたときには、もう以前の妻ではなかった。言語はおぼつかず、ときおり奇声を発して暴れだし、深夜に徘徊する。白くぼんやりと視界がかすみ、目もほとんど見えないといっていた。
「お前はそこいるんだな」
 妻のことなら、死んだ者がいるはずがないのである。しかし人間というものは、その高い知性ゆえに記憶という概念を得た。結果として、その生前の姿を、深く、長く、大事に知っている者は、存在しなくても、思い返すことによってそれと同等の存在を傍におくことができるようになったのだ。はんなと、その家族のように。
 老人の決意がわたしの眼前に、どっしりと位置をしめる。偽善者はそれを否定し、われわれは肯定するだろう。妻は果たしてなんといっただろうか。迷いが我々に対する敬意ゆえであるのなら、われわれはその迷いさえ賞賛しよう、迷いゆえの苦しみに感謝しよう。神となった天敵に肉球を打ち込もう。
「結局、どちらにしろ同じだったのか。だから、これでよかったんだ」
 老人が目を開くと、自分の顔を覗き込むようなのこの顔があった。ヒゲがゆれ、虹彩がぴくりと収縮した。
 肉球が喉仏を撫でる。爪先が喉に食い込む。ゆっくりと力をこめると、皮膚がほのかに紫付き、やがてぷつぷつと、赤い斑点のようなものが浮き出てきた。
 妻の看護は老人にとって苦ではなかった。これまで数十年、自分のために苦労をかけてきた妻に報いることが出来るという気持ちがあったためである。しかし、本当に苦しんでいたのは妻自身だった。最期の直前、一瞬だけ正気にもどった妻は、老人にその苦しさを訴えた。耳をふさぎたくなるほど悲痛な叫びをあげた。妻の唇が震えるように何か言葉を発したが、二度と思い出さないと心に決めた。
 老人は自分の首につめをたてるのこの、その痛々しい首筋に、そっとスカーフを巻いた。白くかすんでいく視界を黒い何かが覆い、その暖かく、重い何かが首筋にのり、頬にべっとりと落ちた。のこの瞳が不気味な光を放ち、その中には、確かに妻と老人がいた。

夜が明けて

 はんなは洞窟の中で夜をあかした。わたしをずっと腕に、たたんだ膝に抱きながら。ときおり暗闇の中に、わたしの猫目とはんなのぱちりとした瞳が浮かせながら。いつか霧は晴れ、薄明かりが差し込んでいた。光は月ではなく、登山道にそなえられている街灯だった。車の音も遠くでかすかに聞こえていた。
 おそらく帰ろうと思えば帰れたのだろう。老人たちが遭難した昔とは違い、いまはそういった整備もある程度されている。わたしははんながここにきた理由がようやくわかった。彼女の頬にあったひやりとした感触、祖母の前でこらえた涙を、ここで流しに来たのだった。
 後日、縁側に挿す光の溜まる場所にわたしは体を丸めている。その家の主はもういなかった。畳の上には雨に濡れたようなしみがまだ残っていた。
 老人は妻のために動物きらいを改めようと模索し、そのためにのこを探していた。のこは妻の意思を尊重し、老人の動物きらいのままにしようとした。病を得て苦しむ妻を、老人は楽にせざるを得なかったが、やがて老人も同じ病におかされた。結局のこは、そういった老夫婦を見て、自ら人間きらいとなることを選んだ。

そしてきらいになった


 きらいとは何か。距離をとり、互いに壁をつくり、姿を見ず、声を聞かないことなのか。相手の自由を尊重し、たがいに干渉しないことなのか。いわゆる疎遠という関係が、互いが決して交わらない離れた場所でささやかな幸福を願うことなら、そんな動物と人間の関係は、むしろ違う生物であるゆえに自然ではないか。わたしは今回の件でそう思った。
 家は近々取り壊されるらしい。夜明けに原因不明の死を迎えた老人に対して、遺族が不安に思ったためである。
 わたしとはんなが帰ってきた翌日、とくに前足あたりが真っ赤に染まっていたのこが、はんなの部屋の前で待っていた。はんなは驚くほど冷静に、すべての顛末を知っていたかのようにのこを受け入れ、とりあえず体を洗った。死んだ祖父が血を吐いて倒れたことを思い出したそうだった。

のことの別れ


 のこがやってきてわたしのとなりで、同じように体を丸めた。最期の挨拶に来たと言った。この町を離れ、人間の目の届かないところで暮らすという。
 本当にいいのか、とわたしは言った。責任をとらなければいけないと彼は言った。老人が妻と同じように死を望んでいたのだろうとわたしは言った。のこはもはや何も答えなかった。
 猫が人間の法になど従う必要もない。人間が多数の動物を、理由はともかく殺してきたのだ、逆も起こり得ることだろう。のこは人間が迷い、苦しむさまをずっと見ていた。それこそ、自由な我々とはまったく別種の、知能と知識、文明を構築したゆえの苦しみを。そんな人間にほんの少し敬意を表し、その苦しみを請け負ってみようという気になったのかもしれない。のこはもうスカーフをまかなかった。かわりに、碁石に紐をとおしたネックレスを身につけていた。はんなが遺品で作ってくれたものだった。
 わたしは去っていくのこを見送っている。だんだんと視界が、のこの姿が、何かまっしろな中に掻き消えるような気がした。これは老人や妻の話に見えた症状と同じだった。視界だけではなく、頭の中も、記憶も、言葉も、体の動かし方も、静かな、真っ白な中に飲み込まれていくようだった。確かに恐怖である。わたしは陽だまりのなかに再び体をうずめめながら、正気を保つよう必死に首をふっていた。

#創作大賞2023 #お仕事小説部門

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