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(1)渥美たくあんの歴史を遡る。

※今日からの数日間の記事はマニアックになりそうですので
 興味もある方のみ、読んでみてください。


渥美たくあんとは愛知県渥美半島で昭和40〜50年頃に
大ブレークした干し沢庵のブランドです。

私たちはこの渥美たくあんの製法を大切に引き継ぎ、
製造を行っています。

私の生まれる前から幼少期、そしてこれまでの
記憶を思い出しながら遡ってみたいと思います。


江戸時代末期に愛知県名古屋市の御器所村というところで
尾張藩の御用商人が村で採れる大根を加工して、
たくあんづくりを始めたようです。

このたくあんは、藩の参勤交代のお土産にも用いられ、
とても美味しく、人気を得ていたということです。



その後、明治から大正になる頃には加工業者も増え、
「御器所たくあん」として全国でも有名な沢庵の産地に
なりました。


ただ、その後、名古屋の都市化が進み、
原料産地は名古屋周辺から渥美半島まで広がって行った
のだということです。


ちょうど「渥美たくあん」は大正中期に始まったと
されています。


そして昭和初期頃には組合もでき、
太平洋戦争後の1947年には渥美郡漬物協会も設立され、
ますます渥美半島で沢庵づくりが
盛んになって行ったようです。


私どものグループ会社である
愛知県のキムラ漬物(株)は
その後まもなくの1951年に創業しています。


戦後、渥美たくあんは名古屋方面だけでなく、
東京方面への出荷もどんどん増えました。


それは、

東京では気候的に塩押したくあん(天日干しではない沢庵)が主で、
天日干しされたたくあんは家庭で漬ける田舎漬けとしての
独特の風味があり、とても人気だったからだそうです。


そして、1960年頃からそれまで米ぬかと塩などと甘味料で漬け込んだ、
ぬか漬けから調味料で味をつける新しい技術が生まれ、
沢庵のイメージを一新させ、干し沢庵として独自の評価のあった
渥美たくあんの重要をさらに高めたのだということです。


私の幼少期は、父母ともに休日なく仕事で家にいなかったため、
母の兄弟や叔母などに面倒を見てもらっていたという印象です。


それでも年に1度の家族旅行は毎年楽しみで、
カメラ好きな父と花の好きな母と兄弟4人で
長野県の上高地や山梨県の富士五湖などにいきました。

いまでもその当時の記憶は残っています。
また行ってみたいなぁ。

(続く)


参考文献「渥美沢庵業地域の変動」 伊藤貴啓氏

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