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曇り空の動物たち

二人が望遠鏡を握ってなかったら、きっと気づかなかった。
マンションの2階、角部屋。
ベランダに敷物を敷いた子どもが二人、雨雲に向かって望遠鏡を覗き込んでた。
もちろん、子どもたちは歓声なんてあげてない。

空はグレーの絵の具をバケツごとひっくり返したようで、悪いけど100パーセント星は見えない。
よりによってこんな日に天体観測なんて。

僕は買い物帰りのエコバックを手に、「あー」と声を漏らしてその場から動けなかった。

「ちょっとぐらい雲の切れ間があるんじゃない?」
とか、
「月だったら観れるはず」
なんて。
淡い期待を膨らませ、これでもう三回目。チカチカと点滅する青信号を三回見送っていた。
ベランダの二人に何か光るものを見せてあげたかった。

兄妹(多分)は顔を寄せあって、目を見開いている。
あのさ、と僕は思う。
こんな日はさ、と自分の耳にしか聞こえない声で口にする。

「その目を閉じちゃいなよ」

目を閉じれば、あたりまえ。
薄暗い曇天の真下が闇になる。
西寄りの風が強く吹き、甘い匂いが鼻をついた。

ハクチョウ、おおぐま、こいぬ。
神話の輪郭を線で引っ張ってできた星座。
今、獣の脚でベランダの二人をまたいでいく。

その赤い舌、なめらかな耳、クルミみたいな目。
綿菓子が溶けるような声で、動物は囁く。

「目に見えないものの中に、本当がある。嘘に騙されちゃいけないよ」

信号が変わった。
僕は横断歩道を渡って、家路を急ぐ。
振り返れなかったのは、やっぱり僕がもう大人になっていたからだろう。

ベランダのあの二人に、背中を見つめられるのがちょっぴり怖かったのだ。
もしも見つめられたら、たまんない。
とにかく何かを見せたい、何か見れたらいいと思ってる僕の勝手な価値観をすっかり見透かされてしまう気がした。

曇り空の下、あの二人は何がしたかったんだろう。
振り返ると、二人はベランダの敷物の上でただ幸せそうに笑っていた。

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