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小野小町さん、あなたは、どんな人だったの?(『徒然草』第173段)

 いろいろな詐欺のニュースが、頻繁に流れてきます。オレオレ詐欺、ロマンス詐欺、有名人を名乗る投資詐欺などなど……。気をつけたいと思います。

 兼好さんの時にも、まことしやかな文書が、人々の間に広まっていたようです。
 どんな話でしょうか。意訳してみましょう。

(意訳)
 小野小町(おののこまち)は、絶世の美人として非常に有名なのですが、どんな女性だったのか、極めてハッキリしないんですよ。
『玉造(たまつくり)』という文書には、年老いた小野小町の姿が書き残されています。若い時には縁談が雨のように降っていた小町も、身内が次々に亡くなって、天涯孤独の身となり、仏教を聞き求めるようになったそうです。この『玉造』の作者は、三善清行(みよしきよゆき)だといわれています。
 でも、なぜか『玉造』は、三善清行よりもずっと前の時代の、空海(くうかい)の著作目録に入っているのです。
 では空海が、小町の老後の姿を書いたのでしょうか。
 しかし、小野小町が才色兼備の女流歌人としてもてはやされたのは、空海が亡くなった後のはず……。
 真面目に考えると、ますます、分からなくなりました。

(かいせつ)
 兼好法師は、皆が言っていることであっても、きちんと根拠を調べて検討しているのです。
 三善清行は、西暦918年に亡くなりました。
 空海は、西暦835年に亡くなっています。
 小野小町は平安初期の歌人であり、空海が死亡した時には、まだ10歳になったか、どうかという年頃だったようです。空海が、小町の老後の姿を書き残すことができるはずがないのです。

(原文)
 小野小町がこと、極めて定かならず。

『徒然草』第173段
イラスト 黒澤葵

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