【大阪考】#1 はじめに ~大阪を考察してみたら~
僕が保持する大阪検定準1級、それはとてもレアなグレード。
大阪検定1級でもなく、大阪検定2級でもない。
大学受験の浪人時代は大阪の予備校に通い、
大阪の大学で学び(ほとんど学んでないけれど)、
就職した最初の勤務地は鶴橋だった。
さらにオフィスが堂島、南堀江に移り、
「青春時代=大阪」だった。
31歳で東京転勤を命ぜられ、東京に8年。
そして大阪に戻ったと思ったら1年半で岡山へ。
2年の岡山生活ののち、大阪に戻り今に至る。
大阪検定を受けたのは実は東京時代。
東京にいたからこそ大阪のことを遠くから見ることができ、
東京にいたからこそ大阪の良さを実感することができた。
東京にいたからこそ大阪を”考察”するようになったのだ。
ちなみに、僕の「大阪考」は大阪バンザイ、ではない。
これを読む方々にとっては、青春時代を謳歌した「あなたの地元バンザイ」がテーマである。
ここまで書いて、僕は大阪出身ではない。
大阪のとなり、兵庫県は西宮出身である。
実家からは歩いて15分で甲子園球場がある、
大阪ではないが、神戸でもない、「阪神間」に生まれ育った。
わが故郷のすぐ東にはお笑い界の巨星ダウンタウンを生んだ「兵庫県なのに市外局番が06」な尼崎があり、
西は芦屋、神戸といったハイソサエティタウンが広がる。
そして実は西宮は「大阪弁」と「神戸弁」の緩衝地帯なのだ。
関西人以外はまったく違いが判別できないであろう大阪弁と神戸弁の違いを耳にして、
言葉と文化の関係をいつの間にか感じて育った少年時代が、僕の今の考察を導いたと言っても過言ではない。
そして今は大阪南部の「泉州」と言われる地域に住む。
泉州は大阪の中心地とはまた違う、それでもやっぱり大阪であり、
小さな大阪でありながら大阪北部とはまた違う空気を持つ地域である。
こうして大阪を「地元」として暮らす日々は大阪への考察をより深くするのだ。
少年時代に触れた大阪、
青春時代に濃密に感じた大阪、
東京時代、岡山時代に遠く見えた大阪、
泉州に住み、大阪の中から見た大阪、
これらが今の僕の「大阪考」につながっている。
これから書き記していく大阪考はいくつの記事になっていくかわからないが、
「大阪人」が書くからこそ楽しく面白いものにしていきたいと思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?