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心理的安全性について

「心理的安全性アワード」という賞に会社で応募することになりまして、それについていろいろ考えていた1週間でした(15日締め切り)。

最近よく心理的安全性の高い職場づくりを目指そうとか言われるのですけど、実際にはなかなかそういう環境は創りにくいみたいです。

たぶん北陸人材ネットは心理的安全性が高い環境ができているようなのですけど、なぜそういう環境が構築できたのかを今回のアワード応募のエントリーシート作成に合わせていろいろ考えました。

おそらく私自身の心理的安全性が高い状態にあることが一番大きいのではないかという気がしています。

昔から付き合いのある人と最近会うと、よく言われるのは楽しそうだよね!です。

言われてみたら確かにそんな感じなんですけど、
昔はこんな感じで仕事していなかったなぁと言う部分があります。
どこで自分の価値観が変わったのか?

結果を出すことにこだわり、それが全てであると言う考え方のときには、おそらくそういう気持ちにはなれなかったような気がします。

いやもちろん今も結果を出さないと会社が続かなくなってしまうので、結果を出す事は大事ではあるんですけれど、、

結果を出すことを否定しているわけでは無いですがそれが全てであると言う考え方にはなっていない気がします。

おそらくやり方にこだわりがあって自分自身が楽しめると言うことに対してすごくこだわっている気がします。

最近コーチングやコンサルティングの引き合いが増えてきてまして、とあるクライアントにめちゃめちゃ廉価のフィーを言ってしまいました。

今の自分の稼働コストを考えると明らかに安過ぎるのですが、その組織があまりにも面白そうな組織だったためについそんな金額を言ってしまった自分がいます。

先日キックオフの打ち合わせをやったのですが、
その時に先方に伝えた言葉は、
「どうか私を楽しませて欲しい!
私のワクワクは皆さんが私の想像を超えた成長を遂げ、私の期待を超えた成果を生み出すことです。」

うまく言語化できないのですが、仕事でやっていることが自分にとってのワクワクをどこかで常に刺激している感覚があり、それが楽しそうにしていると言う印象につながっているように感じます。

じゃぁ嫌な仕事はやってないのかと言う話になりますが、よく考えてみるとやっていない気がします(笑)。

仕事を選んでいるかもしれません。
こう書くとすごい傲慢な感じに受け取れるかもしれませんが、そもそもワクワクしない相手と仕事してもお互い楽しくもなく、その中で価値が生まれる気がしないんですね。自分の中で何もワクワクを感じられない事はやらないようです😂。
交友関係も狭くなってる気がします。

ありのままの自分を素直にだしあえる仲間とは深く、また、そうした人たちのコネクトを大事にしているようです。

昔はもっと幅広く人と付き合わなくてならないとか、考えていたみたいです。

なぜそこが変わったのか?

1つはもうこれでいいや!みたいな形の開き直りに近い感覚があったように思います。自分をもっとわかってほしい、正しく理解してほしい!って言う願望はあったのですが、理解されない人には無理だな、みたいなあきらめに近い感覚。
ちなみにそういう人との付き合いは忌避します😁。
もう一つはそれと逆なのですけど、分かり合える人間としての関わりが楽しすぎて、自分をわかってほしい欲求を上回ってしまった瞬間があったのかもしれません。

さらには、そういう狭い人との関わりだけで世の中で生きていけるのか?という恐怖のあったのですが、むしろこのネットワークの方がいろいろな意味でめちゃめちゃ役立っているって言う実感があります。

価値観が合う人って3分話すとなんとなく信頼感がうまれ、5分位でなんとなくさらけ出し合えるオープンな関係を作れる事があります。

最近は開きなおってこういう関係性のことを「変態ネットワーク」と読んでいます。「ワクワクすることしかやらないで俺たちは!」みたいな集まりです🤣。

この同質性の高いネットワークは「友達の友達はみんな友達」なので、何か新しいことをやろうとし、そこに自分達が持っていないスキルがある人を巻き込みたい時、このネットワークの中ではめちゃくちゃ親和性の高い人たちとの関係性があっという間に作れてしまいます。

そういう人たちと一緒になって何かやることがめちゃくちゃ楽しいんです。

この楽しさを味わってしまったことがいろんな人とうまく付き合なければならねば!を消してしまったようです。

自分はいろんな人と関係を作れるタイプじゃないけど、ハマる人達と何かをするときにめちゃくちゃ楽しい強いタイプなので、そうやって生きていきます!

そういう開き直りを持てることが大きかったんでしょう。

皆からほめそやされるような良い経営者になる必要なんかなくって、自分らしい経営ができればそれで十分という割り切りでしょうか??

これにはもう一つ続く言葉があります。
それは
「別に無理に売り上げ伸ばさなくてもよいし、会社を成長させる必要なんてない!!自分とそこで働く社員が楽しく生きていくだけのお金が稼げれば十分!!」という考えです。

この話をとある大手企業の管理職の人と話していて大手企業ではかなり無理筋っぽいということも明らかになりました。

というのは

大手企業ってそもそも無理ゲーで結果出してきた人が出世する図式になっており、さらには成果を出すことに限界がない、成長にも限界を置かないのが当たり前になっているんですよね。

よくあるのが上から降りてきた目標の数字をみて「これはどう頑張っても無理!!」みたいな状況。

それでもやらなければならない状況で心理的安全性なんて生まれっこないですよね??

でもそういう状況で奇跡を起こしてきた人たちが上司だったりすると「NO」といってしまった瞬間に出世レースから降りることになってしまったりするわけで、そうするともう「やるしかない」という話になるわけですよね。

そういう壮大な消耗戦をやって事業拡大して地球環境を破壊しちゃったりしているわけで、、

なんというか?チャレンジと無理ゲーを混同しちゃっている感があります。

でも事業を成長させないと株主から圧を受けるわけですから、実は経営TOPもこの無理ゲーから逃れられていなかったりするわけですよね・・

いったん資本主義って何なんでしょうか??

ちょっと話が逸れましたけど、この仕組みって誰も幸せにならないし、心理的安全性なんて生まれない!!と思っちゃったりします。

いやオーナー企業なら大丈夫かなあ??

いずれにせよ、経営TOPの心理的安全性が担保されないとその組織内での心理的安全性が高まらないんじゃないかという気がします。

経営者の人生の価値って会社の業績だけなんでしょうか?

「あの人と一緒に働いてみたい!!」「あの人の下で働きたい!!」と思ってもらえるような何かで会社を見るという物差しがあってもよいのかな?と思いました。

ちなみに、経営者が心理的安全性を持てるようになる可能性は圧倒的に中小企業のほうが高いと思っています。

大企業はステークホルダーが多すぎて、やはり周囲の何かに縛られてしまわざるを得ません。

でも中小企業でオーナーならそんなことはないはずです。あとは2代目3代目とかですとつぶしてはいけないみたいな意識に縛られるかもしれませんけど、どうやってもうまく行かないときはうまく行かないのだから自分の好きにすればよいじゃんと開き直ってもらえるとよいですよね~

でもなかなかそういう意識にはなれない人が多いなあと思っていますが
そこの意識を変えていくような働きかけをコツコツやっていきたいと思う今日この頃です。

ロジック思考(正解探し)からデザイン思考(課題解決)、そしてアート思考(自分らしさをブランド化する)への思考の変化を促していきたいですね~
※ロジック→デザイン→アートについては下記、ご参照ください。

https://note.com/kin12272002/n/nbe6f4c59e7d8

あと、人からの評価を気にする仕組みは人を幸せにしないのでは?と思い始めていて、人事評価は辞めたほうが良いのでは?という元人事屋としてはものすごい自己否定の問いをもっています。

誰かに評価されるということはどうしてもその人の視線を気にしてしまいませんか?(私はこう見えて実はめっちゃ気になる人間だったりします)

いろいろなこれまでの当たり前を疑い、新しいパラダイムを創っていくことが心理的安全性を高めていくことにつながるのかもしれませんね~




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