「徳を積む」を考える
「徳」について考えるようになったのは、
最近のことだ。
何やら科学的ではない、
あやしげな思想みたいなものは
あまり受け付けないタチなのだが、
知らぬうちに「徳」が積まれた結果なのか
不思議なチカラを何となく感じることが実際にある。
例えば、
困った時でも、最悪の事態には陥らずに済んだり、
思いもよらぬ幸運によって助かったりすることが
けっこうあるのだ。
自分の力では到底できないようなことが起こり
何か大きな力を感じずにはいられない。
*
そもそも、徳を積むいう考え方は、
元は仏教の「因果応報」が由来となっていて、
良い行いも悪い行いも、巡り巡って最終的には
自分に返ってくるという教えらしく、
この考え方は非常に共感できる。
天の神様に見られているとは思わないが、
周囲にいる人々みんなに見られているわけで、
そちらの方がよっぽど影響力がある。
人の目=神の目だと、ある意味思う。
そして、影響が影響を呼び、広がっていって
自分に対する評価や、優しさや、
意地悪などに変わって返ってくるのだ。
だから普段の心持ちの積み重ねが大切で、
人生を豊かにするかどうかは
自分の行いにかかっている。
裏を返せば、自分次第で
いかようにも人生を豊かにできるということだ。
*
頼まれごとは後回しにせず、心よく。
なおかつ優しさを持って丁寧に。
辛そうな人の代わりに、元気な自分がやる。
思い付いた良いことは、すぐやる。
意識をするだけでも、
小さな徳が積まれているはず。
心の中は、立ち居振る舞いに出るものだ。
見返りを求めず、思いやりの感じられる人には
周りからも同じことが与えられると思う。
もし、思わぬ嫌なことが続くようなら
まずは自分のここ最近の行いを振り返ってみよう。
人の悪口を言っていないか?
頼まれごとを、雑に返していないか?
失敗を人のせいにしていないか?
面倒なことを後回しにしていないか?
思い当たることがあるとしたら、
過去の自分がした行いが、
まさに今、返ってきているんだと思えば
次にすべきことは分かってくる。
徳はすぐには積まれない。
繰り返し繰り返し、身を正して
いつかの幸せを願って生きていく。
結局、人や世界に良くすることが
自分に良くすることになるのだ。
良い風が吹くようになってきたら、
今までの行いを振り返り
自信を持って続けて行こう。
きっと誰かが優しい目で、見ていてくれる。
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