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寛容と許し、罪と償い。内省するには誰かが。

過ちを犯した人はどうやったら善に基づいて自分を改める事ができるのか。
今年最後の投稿はそれについて。

5年前からSNSを見ていて、テレビを見ていて
あまりに多くの人がバッシングによって社会的地位を奪われている。
時代の空気。

代表的なものは
Call-out culture

アメリカから入ってきて、SNSとミックスして今日の時代精神化しているこの現象は人は失敗して反省して何かを気づくという人間性を全て否定している。

この精神性を持つ人は
一回間違いを犯したら人間は終わりだと思っている。

日本でも昭和の人が言ってたみたいに
「人を点ではなく線で見る」とか、「若き日の過ち」などの失敗の人生観。

フランス17世紀の哲学者ラ・ブリュイエール

ラ・ビュルエース
「我々は犯してしまっ間違いを全てやり直すほど長生きではない。一生の間、まちがいを犯し続けるのであって、我々にできることは改心するという事である。

映画も失敗について語る。
例えば、PTアンダーソンの「マグノリア」

<悔いを土台にして自分を正すのだ。>
実際この記事で私が言いたいことは、過ちを認めて、悔いて、それを土台に立て直すために何が必要かということである。

なんで私がこんな事を書くのか
それは私が多くの過ちを犯して生きてきてその結果、全部を一度失った人だからだ。

間違いを犯す人間の気持ちは、間違いを犯した人間しか分からない。
なんだか今年一年の年の瀬にそんなことを書きたいと思った。

先に言っておくけど、自分は被害を被った人を評価したり、危害を与えた人を評価したりしない。いいとか悪いとかじゃなくて起こってしまったことへの解釈と改心するために必要な事を述べるだけである。
また私は自分が正義だなんて1ミリも思わない。だから誰かを審いたりしない。
どちらかといえば、カイジの地下の住民の様に過ちを犯した人間が送られてきた時に、そいつに「お茶でも飲め」と言ってお茶を差し出す側の人でいたい。

現代社会は基本的にいい人の集まりだから(そう、想定されているから)
何か間違いを犯した人間への理解がほとんどない。
理由は簡単でほとんどの人が大きな間違いを犯さないからだ。

でも実際に大なり小なり失敗を犯す人はいるのが現実で、そもそもそれが人間だと思うところもある。失敗を犯さない人間などいない。

だからと言って失敗は正当化されるものではない。
できるのは失敗した人間が反省して、改心して、善く生きる実践をすることができる状態(可能態:デュナミス)を整えることだ。

まさにこの一言に尽きる。

私自身、2018年に東京に出てきて、大失敗によって積み上げたものを全部失って
”いま、ここ”に至るまでの経緯を書こうと思う。

今から4年前。
目標は、いい音楽を作ることと、誰よりも深い知識と思想を身につけるために勉強することだった。

神戸から東京に引っ越し当時の彼女と彼女の犬と同棲を始めた。
東京で何もやることがなく数少ない友人と遊んだり、警備員のバイトを2つ掛け持ちしてなんとか日々の金銭をやりくりして、本を買うためにコツコツお金をためていた。

学術の専門書になると基本的に一冊4000円することはざらで、さらに過去の文献は絶版しているので1万円以上の値がつくこともあり、預金残高はMAXでも10万円以下だった。それでも金は無かったけどそれなりに楽しくやっていた。

数ヶ月経って東京の暮らしにほんの少し慣れて来たころ。
気づけば自分の身の回りには人が集まってくるようになった。それは私が持ってる知識目当ての人もいたし、純粋に人として友人として面白がって好きになってくれる人もいて、東京という街はなんだかチャラチャラして嫌いだったけど思ったより悪くないなと思えてきていた。

東京という街で、身内から始まって自分が少しづつ評価されている感覚があった。事実多くの人に紹介され、音楽系の仕事の幅も広がっていた。私が主催している哲学政治の勉強会にも参加したいと申し出る人も増えてきた。
そんな環境は私にさらに勉強意欲とパンク精神を高めさた。どんな環境でも草の根的な田舎魂を大切にすることを忘れないようにずっと自分に言い聞かせた。
「忌み嫌った東京的な人間になるな」と。


物心ついた時から誰にも理解されず、実存と魂一本(パンク精神)で戦いながら生きてきた事だけが東京という街で自分が抱いていた誇りだったし、自分にはその生き方しかなかった。器用には生きれずぶつかって少し分かるだけの生き方。

逆にそれ以外に守るものが無かった。
そのパンクス精神が無くなることは=自分の死、だとずっと思っていた。

東京生活が半年を過ぎた頃、テレビ出演が決まった。
家族は喜んでいたし特に地元を離れて寂しがっていた祖母が喜んでいた。
そして次から次へと番組の依頼が舞い込んで来た。

その結果、私は哲学者兼パンクロッカーという名義でNHK、TBS、日テレ、ネット番組などに出ていてバンド活動の傍、文化人?的ポジションでテレビに出るようになった。コンビニに行っても店員に顔をさされるようになった。

兵庫県の田舎に育ったパンク精神の私にとって、キラキラした東京、テレビ、芸能人、とは本来忌み嫌う対象であったけど、気づけば似合いもしないスーツを着て、基本タクシーで移動したがる、なりたくなかった業界っぽい人の在り方をしかていた。
「でもこの在り方はいいのか?」と自分の心は私に問い掛けていた。
以前に比べてほんの少しだけ裕福になっている自分は葛藤の毎日を生きていた。

今思えばこの時はまだ心の声が聞こえていたんだと思う。

政治にも精通していたこともあり、私の家に某報道番組のディレクターが通うようになった。私はそこで番組作りにもアドバイスをしていた。
そのような日々の中で私は”先生”と呼ばれたり、彼らは私に「あなたは次の世代を背負う文化人だ」、「平成の三島由紀夫だ」、「未来のホープだ」、「天才だ」、「知識量が半端ない」と言って私を有り余る言葉で賞賛してくれていた。

初めてのアドバイジングの後に、一食1万5000円の高級な焼き肉を食べに行った。内心店に入るときに「うわー結構、高そうだなぁ。お金足りるかな。」と思っていた。
すると会計時、番組関係者は「経費で落とせますので」と言って私はタダ飯を食った。
始めは、「え?」と思っていたがそれが10回、20回と回数を重ねる中でタダで上手い飯が食べられることに関してなんの感謝も疑問も抱くことができなくなっていていた。完全に感覚の麻痺ってやつだ。

他の某番組においても、次回の番組のキャスティング(番組参加者を選ぶ部署)の会議に参加していて、焼き肉屋でまるで接待のように煽てられながら次回の番組のキャスティングについてアドバイジングをしていた。
ある会食で、確か目黒の焼肉屋だったと思うが(うる覚えですが)、番組関係者が待っている場所にタクシーで行き、しかも数分遅刻して席に着いて、特に謝ることもせず開口一番特上ハラミ(2900円)を私は頼んだ。その時、心のどこかで「人としてそれはいいのか?」という疑念の声が上がったの覚えている。でも、当時、感覚が麻痺している上に天狗になりかけていた私にはその声に向き合う余裕も、誠実さも無かった。

また番組出演が決まり、テレビ局に行きタクシーチケットで家に帰る、人によく思われたいから見栄を貼って高い外食に行き、タクシーで移動する。

金が無くなるので深夜警備員のバイトをして朝帰ってきて、勉強をして曲を作って、本を買ってノートを取り勉強する。毎日呪文のように新しく知った単語を呟き続けてた。もっと知識を、もっと思想を、もっと感覚を、もっと本質を。

このようなハードワークを続けていると心が休まる事はなくて、常に不安に苛まれていた。身内からの評価は上がっていくし、主催する勉強会は会場がパンパンになるほど人が集まるようになってきて、その喜びからまた勉強する。
天狗の中にも目指すものはあって、ありたい自分に向かって少しでも邁進したかった。

でも、この時にすでに彼女との日々はほぼ崩壊状態にあった。
この記事内容の詳細はあまり語れないけど、原因は私にあった。
私が持っていたくだらないプライドが原因だったと思う。それが張り続けられない見栄になっていたし、彼女は経済的に余裕のある人だったから、ずっとバイトしている自分が恥ずかしかった。人格否定的な言葉が部屋中を汚して、もう誰が見ても長く続かない関係だった。

表で語る私の言葉は雄弁
しかし日常は破綻していた

バイト三昧の日々と音楽やテレビなど華やかな世界。
業界人にアドバイジングを行いちやほやされ、経費で高い飯を食べる。当時の私は彼らを仕事を超えた関係だと思っていた。彼らが好きだったし、何度も飲みに行ったし、本音でいろんなことを話した。
私はどんどん天狗になって俗に言う”裸の王様”になっていた。

でも、テレビに出るようになっても、ギャランティーはそんなにいいわけじゃない。
一本平均3万円くらいなのでそこまで生活は潤わない。もちろんテレビに出ればアンチも増える。Twitterを見る頻度も増える。家に帰って彼女と喧嘩の日々。正直この時点で私の精神は限界に来ていた。

姫路の田舎から出てきて自分のコツコツやってきたことが実を結び出している。
いけるこのままいける!
そんな感覚がある一方、どこかずっとしんどかった。
自分の中にある嘘に魂は気づいていたし、私はそのことにかすかに気づいていた。
でも、嘘は積み上がれば上がるほどさらに嘘をつかなければならないものだから、もう何がなんだか分からなくなっていた。

朝バイトに向かってコンビニの飯を食べて、バイトの休憩中に本を読んで、家に帰ってまた深夜のバイトに行く。
本を捲って新たな知識を入れて、また誰かの前でそれを雄弁に語る。そして、その足で深夜の警備のバイトに向かう。曲を作るためには苦悩が必要で、いい曲を作るためにはいい日々だと思っていた。

この時期血尿が出ていて、躁鬱傾向もあって不眠症だった。イライラと癇癪とチックが止まらなくなって、ヘルペスも増えていた。
でも自分を求める人々の中に自分の居場所を見つけて最大のパフォーマンスをする。もてはやされる。それが気持ちよくて”もっともっと素晴らしいそれに”という感覚が止まらなかった。

そんな日々を続けているともう、気づけば自分の魂と対話する時間も無くなって、大切にした田舎魂も、謙虚さも節制の姿勢も無くなっていた。

結局、私の精神と体はその生活に耐えかねて、自分の布団に何度もうんちと尿をする彼女の犬を手を乱暴に挙げて怪我をさし、それを彼女が家の中にあった犬用の監視カメラで見ていたことで発覚し、そのことを彼女がSNSに載せたことで、誹謗中傷のDMでTwitterは溢れかえった。無理して加速し続けた私の人生は一回終わって私は全部を失った。

心が壊れる音を聞いた。

住む家は無くなったのはもちろんこと、彼女に謝りに行き土下座をし、慰謝料として80万円払った。その時に親に借金をしたこともあって、経済的にもどん底だった。でも、精神的に参ってしまって何も動けない。バイトができないから住む家もない。とりあえず荷物をトランクルームに預けて、最後の気力を振り絞って安いアパートを見つけて住んだ。

今まで慕ってくれていたTV業界の人間に事情を説明しようと連絡すると、即レス系の彼らから一切連絡が返ってくることは無かった。
彼女がSNSで発言したことで、自分と関わる事がリスクになる可能性が出たと踏んでブロックされた。自分が大切にしてた彼らは、向こうからみれば損得感情に基づくものだった。
周りに集まっていた人達も離れていった。
グループラインから退会者が続出していく。
あれだけ一生の友だとか言ってくれてた人もみんないなくなった。
DMには誹謗中傷が届く。

心の中では怒りが渦巻いていた。
裏切りやがったな。ぶっ殺してやりたい。そんな感情ばっかりで、反省する方向に心が向く事は全くなかった。

何を食べても味がしないし、心がもう動かなくなっていた。

姫路の田舎から攻め続けて戦い続けた人生、安らぎのない焦燥とはち切れそうな衝動を抑える日々。
「色々頑張ってきたけど、もう終わりなんだ」
そう悟った私は遺書を書いて、自殺の準備をした。
彼女にあなたは死ぬ勇気もないとよく言われていたのが思い出された。

だから、最後に自分に死ぬ勇気があって良かったと思った。
結果未遂に終わったから私は今この文章を書いているわけだけど
詳細は重すぎるのでここでは割愛する。

全部失ってから数週間、ずっと家で死んでいた。
風呂にも入らず、ただ朝から寝ている、でも悪夢でうなされて起きる。
精神がグチャグチャだから、負の感情で世界が覆われる。裏切った人々、悪い噂、被害者意識と怒りで正しい認識なんてできない。
何日も風呂にも入らず、歯も磨かないから臭い。臭いけど清潔にする意味もないのでそのままいた。

去っていった人々からあの日もらった嬉しいことがば思い出される。
その分、すごく辛くなる。
自分が好きな環境は全部なくなったのに、楽しかった思い出はたくさん、いくらでもあるから辛い。

正真正銘全部失った。無気力な人間になっていた。何も考えない人になってた。
このままお先真っ暗の絶望のまま終わるんだと思った。

でも、これで終わらなのが人生というものなのか。
残った数少ない友人は私をボロクソに叱りながらも支えてくれた。
私が衰弱しているのを知って毎日ご飯を作りにきてくれる人もいた。
精神的に壊れてしまった自分を支えてくれる人がいた。

彼らは私が善くなることを望んでいた。
腐っちゃダメだ。と言われた。
お前の才能を世の為に生かせとも。
おすすめの映画を教えてくれたり。

彼らのおかげで私はなんとか生きた。
全てを失ってから3ヶ月後
バイトにも復帰できるようになった。

ある日久々にバイトに入った時に
私は飛んだと思われていたようで、警備のリーダーの女性に
「辞めたと思ったよー!よかったぁ。また入れて嬉しい!今日もよろしく!」と言われた時に少し、久しぶりに心が晴れた気がした。

そこからゆっくりと生活が始まった。
仲間が心配して側にいてくれた。「お前ほんまにカスやな、人間一からやり直せ」と言いなが側にいてくれた。
彼らと話す中で、ゆっくり自分がやった間違いを澄んだ目で認識できるようになった。そして初めて内省できるようになった。
そしてたくさんのことに気づいた。

自分は死ぬほど天狗だった事、欺瞞に満ちていたこと。
してはならぬ事をしていたこと、いろんな態度が間違っていた事。
改心する事の意味は結局”善”に向かうことしかないこと。

多くの人が支えてくれて
そして少しづつ、ほんの少しづつだけど前を向いて生きれるようになった。

ある日、私の女性の友人が私を家に誘ってくれた。
家に行くと犬がいた。彼女は自分がやったことを知っている人だった。
あの日以降、犬を見ると自分のやったことのトラウマで震えが止まらなくなっていた私は怖くなって家から出ようとした。すると彼女は「大丈夫」と一言って引き留めてくれた。すると犬は、私に近寄り飛びかかってペロペロ鼻を舐めた。臭かったけど、なんだか泣けてきた。

その日の帰り、人生を1から本気でやり直そうと思った。
そして今まで裏切ってしまった人や多くの迷惑をかけた人にちゃんとやってる自分を見せたいと心から思った。

それから仲間とアルバムを作り、MVを作り、周りに役者が多かったことから映画を撮った。昔の自分ならできなかった感謝が心の底から湧いてくる。

古代ギリシアの言葉に
愚か者は失敗から学び
賢者は歴史から学ぶ
と言う言葉がある。私は完全に愚か者だ。

でも、多くの人に支えられて私は生きている。
本当はずっと支えられてたんだと思う。そして今も。

あれからもう4年が経つ
今ではあの時彼女がSNSで自分を告発してくれて良かったと思う。

私は頭を打つべきだったし、それなりのことをしたのだから当然の報いだと思っている。

そして人生を1からやり直せるきっかけをもらった。
もう絶対同じことはしない。反省は一生する。
でも、自分のやることはしっかりとやる。前を向いて生きる。


今の世の中は失敗した人に厳しい社会。
でも、だからこそ私は失敗した人を受け入れたい。
自分もそうして人生をやり直させてもらったから

気づきとして

人は一人では改心できないこと。善き人が側にして初めて、間違いを真正面から受
け止められること。

  • 問題発覚⇨絶望⇨内省(誰かと)⇨内省(1人で)⇨改心、、、順番がある

  • 渦中にいる人間はその渦中では何が正しいか間違いか分からないこと

  • 過度な誹謗中傷はその人を改心から遠ざける事

  • 改心に至る為の内省は心理的安全性が必要で、誹謗中傷はそれを妨げる

  • 自分の過ちを素直に認め内省するには最低2年はかかる

  • 正しく内省するためには正しく整理して真心で寄り添ってくれる誰かが必要

  • 少しでも善く生きる事を可能にする魂が無い場合は、内省はできない。


時間が経っていろいろ考えて。このような私の人生の経緯から世の中の為に何かできないかなと思った。

自分がしてもらったことを誰かに返すように
少しでも世のためになれないか、何かできないかと思った。

たいそうな事はできないけど自分と同じ境遇の人の気持ちなら
他の人より分かってあげられると思う。

だから自分が何か大きな間違いをやってしまって
”ちゃんと反省したいけど”、一人でそのことを認めるには大きすぎて
壊れてしまいそう。
そういう感覚を抱えている人の支えになりたいと思った。

自分にできるのは、相談者の頭の中の整理の手伝いと
あなたがどんな過ちを犯していようと受け入れる態度でいること。

この2点。

反省するには時間がかかる。
内省するには誰かが要る。

金はいらないけど
善く生きたいと思う気持ちがある人しか対応できない。

守秘義務は守る。

だから本当に苦しんでてどうしようもなくて相談する相手がいない人の相談にのって寄り添ってあげたい。もしどうしようも無い人は電話してほしい。

真田 080-2448-5658

出れない時もあるけど、基本掛け直すので先にメッセージを送ってくれると繋がりやすいと思います。

人生いろいろ、これからも前向きに謙虚にやっていきます。
今年一年みなさんお疲れ様でした。
そして来年もよろしくお願いいたします!

真田






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