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恥ずかしいを探しに行く。二頁目「年下と何を話したら良いのか」

最近の恥ずかしいことは、年下に何を話しかけたらよいかわからないとき。

そんなに変わってないつもりだけれど、変わっている事も恥ずかしい。

どういう感じが良いのか?年齢相応のチャンネルを捜して多分見つかってませんね。


よく考えてみると、恐らく昔、私は何を話してもらいたかったか?少し忘れてきてるのだと思う。何故だか悲しいね。36歳だもんね。
ちゃんと時を重ねられて嬉しいのに、忘れてしまうのはちと寂しい。

必死こいて思い出そうと頑張ってみると、いつも心の声聞いて欲しかったかも?
あと、偉そうにして欲しくなかったような気がする。
同じ目線にいてほしかった。

違う目線で話されると同じ場所に居ても異様に寂しかったのだ。

だいぶ求めすぎな若者と感じる。

しかし、今の私はそれができてるんだろうか?

経験から何かアドバイスしてあげたいなどと100%くらいで思いがちです。

全然同じ目線じゃなかった事に気づいてしまった。
明日からよりわからなくなりそうだ。

時間が経過しているのだからと、何かしら掴んだものが欲しいんだろうね。

せっかく長く生きてるし!傷ついてきたり努力してきたのです。と言わんばかりの勝手な経験がすくすくと育ち固めなプライドになっていく。

そんなわけで、年数がちょっと重たい漬け物石。

どうせ深く浸かるなら、味わい深くなりたいけれども、思ったより染みていない気分もあります。

そんな意味のない石を外して、屋上から投げて、粉々にしたい。

一体、36歳はどうしたら同じ目線になれるのか?

経験を消去する以外なさそう。ゴミ箱に入れて、一括で空にできないだろうか。

たまに、偉そうにしてるときは、恥ずかしいのサイレンが知らせてくれる「そっちじゃないよ。」と言っているようです。

恥ずかしいは、過去の私の厳しさなのか?

ならばずっと消えないでもらいたい。

明日も恥ずかしいに気づけますように。


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