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大学生活の始まりとダンス部の裏表を知る

好奇心と下心で始めることになった社交ダンス。
それまで運動音痴だった私にも「これならできそう!」と思わせる何かがそこにはあったのです。
当時、ほぼ男子校だった高校を卒業したばかりの私には、先輩がドレスを着て踊っている姿はとてもキラキラとしたものに見えました。

しかし、「社会に出たら、ダンスのひとつも踊れないと世界に通用しないよ」という言葉とは裏腹に、憧れと好奇心だけでは到底、乗り越えられない試練の道を歩き始めたことに気付いたのは、5月の連休が明けてからのことでした。


人生で一番チヤホヤされた4月

4月に始まった新歓コンパはすべて先輩のおごり。
キレイな先輩とイケメンの先輩に囲まれて、とにかく楽しいことばかりなのが競技ダンス部(以下、ダンス部)なんだ…と勘違いするには十分でした。

いまでこそダブルスという種目がありますが、社交ダンスを踊るには男女ともに同じだけの人数が必要です。
そもそもが男子学生が少ない外国語大学では、男子は貴重な存在。

大学生って、こんなに楽しいんだ!という心の声がします。

とにかく1年生男子を勧誘しまくろう!というのがミッションだったのです。そのため、部室に行けば「授業は不安じゃない?」とか「お菓子食べる?」などと先輩から声をかけられ、人生で一番というくらいにチヤホヤされまくっていました。

そして、4月の終わり頃には1年生の男子部員が4名、女子部員が20名を超える規模になっていました。
あとで知ることになるのですが、当時のダンス部は社交ダンス部から競技ダンス部に鞍替えして3年目、だったと記憶しています。

連休明けの手のひら返しはホールドを張るところから

ゴールデンウィークが明けて部活に行ってみると、先輩が「本格的にダンスの足型を教える」という雰囲気に変わっていました。

いわば、甘々の新歓シーズンは終わって、競技会目指して体育会並みの(とは言えそれでもヌルい)練習が始まったのです。
放課後、たしか授業が終わったあとの教室を借りて17時からの練習会だったと思います。

当時、20歳未満の未成年はダンス教室に通うことができなかったため、1年生のうちは先輩から社交ダンスを習います。
それもまずは、ホールドを張るところから。

「え?一緒に組んで踊るのがダンスじゃないの?」

…という疑問が浮かぶ間もなく、ワルツの曲に合わせて肘を真横に張り続けます。ワルツは1曲2分程度…それが3曲流れている間、ずーっと一人で肘を真横に張り続けるのです。
1分も経たないうちに肩がプルっプルっしてきます。

幹部と呼ばれる3年生の先輩2,3人が、一年生のまわりを巡回して、
「はい、もっと肘張って!」
「肩が上がってる!!」…といった檄が飛んできます。

決して、怖くはないんですよ、なんちゃって体育会ですから。
それでも、連休前までのあのチヤホヤされた空気感とは正反対の状況に「あれ、なんでダンス部入ったんだろう?」と疑問に思う気持ちがムクムクと湧いてきます。

練習会は、いつもホールド3曲から始まりました。
しばらくして、少しだけ自分が何をやってるのかがわかるようになると「あ、この曲は長いヤツだ…」と曲のイントロを聞いてガッカリしつつ、気持ちにも余裕が生まれて「どうやって手を抜こうか」と考えるようになります。

手を抜く=力が抜ける
今となってはいい意味で解釈できる言葉なのですが、当初のやる気とは裏腹にいつ辞めようかなという気持ちがチラチラと浮かんでは消えていきます。

競技ダンス部を設立した先輩との出会い

そんな男子学生の機微を察するかのように、先輩からすかさずフォローが入ります。1時間半の部活が終わると「おい、メシ食いに行くぞ~」と気前のよい先輩が食事に誘ってくれました。

一人暮らしを始めたばかりのなで、一も二もなく先輩についていきます。

最初のダンスの手ほどきをしてくれたその先輩は、いまは関西でプロとして競技会の審査員を務めるまでになっています。
H本先輩がいなかったら、競技ダンス部はあり得なかったし、私自身もここまでダンスに深く縁がなかったと思います。この場を借りて感謝の気持ちを記しておきます。

さてそのH本先輩ですが、とにかく体育会のノリ。
体育会で4年生と言えば、神様も同然です。
見た目もヤンキーっぽく(失礼!)革ジャンを着てアメリカンスタイルのバイクに乗って、奈良から枚方まで通っていました。

およそダンス部という縁がなかったら、私の人生で出会うことはなかったタイプです。
豪快で一本気、これと信じたことに邁進する姿を遠くから見てカッコいいと感じる反面、絶対に自分はああなれない…とひそかに思っていました。

H本先輩に声をかけられた日は、ほぼ確実に大学の最寄駅に近いカウンターだけの居酒屋に連れて行かれました。

そして、先輩はビールを飲みながら店の定番の「ナシ」とどて焼きを注文します。
浜松出身の私にとってどて焼きは、白いコメに最もマッチしている食べものです。そして、ナシ。ナンではなく、ナシ
いわゆる店の符丁で(豚玉キャベツなし)のことです。
豚肉と炒り卵に特製のタレがかかっていた、これまたコメを大量に食べられるおかずです。

そんなものを食べながら、ふと思います。
あれ、先輩ってバイクで通ってるんですよね…。

そう、食事になるとH本先輩は必ずビールを飲む。
…必然的にそのあと先輩は私の下宿に転がり込むことになります。酔いが醒めた深夜にバイクで帰ることもあれば、そのまま下宿に泊まっていくこともありました。

思い返すと、H本先輩は私をダンス部に慰留することはありませんでした。

とういうか、やめようと考える隙すら与えない偉大な先輩でした。
大学生ってこんな生活を送っているんだ…そう思わせるに十分な貫禄がありました。バイクの後部座席に乗せてもらったのも、懐かしい思い出です。

physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。