お味噌汁のルーツを知る①

自分のために癒しご飯を作って
心も体も元気になる
<一汁一菜シンプル自炊>をお伝えする
自炊伴走人ひろきよです。

今日からしばらく
水曜日のテーマは「お味噌汁のルーツを知る」
ということで、お味噌汁の歴史をお伝えしていきます。

◆縄文時代◆
この頃から、どんぐりを原料にした
味噌に近い食品が存在していたことが
わかっているそうです。
縄文時代って16,000年前ですよ!!!
そんな頃にすでに味噌に近いものがあったとは・・・・

◆弥生時代後期◆
弥生時代になるとお米を栽培するようになり
お米を食べるようになると食べ残しが出てくる。
食べ残したご飯をほったらかしにしておいたら
いろんなカビが生えてきた、そのカビの一つが糀菌。
当時の人が試行錯誤した結果、味噌を作るための
糀菌だけが取り出されたようです。

◆紀元前700年頃ー古代中国◆
古代中国で味噌の起源である「醤(ひしお)」が誕生。
「醤」は獣肉や魚肉などを叩き潰し、雑穀、麹、塩、酒を
混ぜて、壺に漬け込んで熟成させたもの。
今の「魚醤」に近い発酵食品で、ソースや醤油と
同じように使われていたそうです。

◆ 飛鳥時代◆
中国の「醤」が仏教伝来とともに日本に伝わったと言う説や
遣隋使や遣唐使が作り方を持ち帰ったという説もあるようですが
いずれにしても、この時代に味噌の起源である「醤」が
日本に伝わったようです。

◆奈良時代◆
701年に「大宝律令」を制定し、「醤院(しょういん)」という
役所が設けられました。
この頃から「未醤(みしょう)」と呼ばれる大豆発酵食品が
作られるようになり、宮中で用いられたことが
記録されています。
また、租税の一つに「末醤」が挙がっています。
とはいえ、まだまだ上流階級だけの楽しみの高級食材でしたが
奈良の大仏を建立した時には、労働者たちに「末醤」が
与えられていたそうです。
味噌パワーで過酷な労働でも頑張れるように!なんでしょうか。

◆平安時代◆
中国から伝わった「醤」が「未醤」という日本独自の
大豆発酵食品と融合して、ついに、日本の「味噌」が誕生!
「未醤」は、「未醤」→「味醤」と変化し、平安時代から室町時代には、
はっきり「味噌」で定着しました。
当時の歴史書にも「味噌」の文字が確認されていますが
今のように調味料として料理に使うものではなく
薬としてなめたり、または、地位の高い人の給料や
贈り物として使われるなど、庶民の口には入らない貴重品でした。

さて、今週はここまで。
久しぶりに日本史の本を引っ張り出してきて
頭が沸騰しています(笑)

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