見出し画像

宮沢賢治と宮崎駿から学ぶ日本の基層文化の再生


1.トトロと山猫、森の神や精霊の世界

 宮崎駿が絵本「どんぐりと山猫」を読んで、山猫が小さかったことが気に入らず、自分なりの山猫のイメージ、大きさは2メートル以上でボーッと立っていて、足下でどんぐりたちがキイキイ言っている。その強烈なイメージからトトロは生まれたという。
 トトロ美術館の看板には、トトロの原型になったヤマネコの看板が掲げられている。

引用:ジブリ美術館、トトロのような山猫の看板

 宮沢賢治の「どんぐりと山猫」の山猫は、どんぐりたちの見た目の争いに困り果てている裁判官として現れる。森の中の争いや秩序を守る存在。
 「注文の多い料理店」は、猟に来る人間を逆に料理して食べてしまう森の神のような支配者でもある存在。
 現在日本に山猫は、ツシマヤマネコとイリオモテヤマネコしかいない。幻となりつつある動物。
 かって北海道から鹿児島にかけての貝塚や洞穴からオオヤマネコの骨や歯の化石が発見されており、旧石器時代から縄文時代まで日本中に生息していたという。
 宮沢賢治の童話は、この縄文時代自然崇拝、自然のあらゆる万物に霊が宿るアニミズムの世界と通じる世界観がある。

引用:「どんぐりと山猫」宮沢賢治著 いもとようこ絵 金の星社

 宮崎駿「となりのトトロ」の時代1960年代(昭和30年代)は、まだ日本の田舎に縄文時代からの自然崇拝やアニミズムの世界が残っていた世界。
 そのため宮崎駿は、糸井重里(「となりのトトロ」お父さんの声)が書いた「となりのトトロ」のコピー、
「このへんないきものは、もう日本にいないのです、たぶん」という言葉を「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん」と変更した。
 森の精霊である存在を信じる人がいる限り、森は守られ、人と森は共存できる。そんな宮沢賢治と宮崎駿の共通の願いを感じる。

出典:映画「となりのトトロ」ねこバスと山猫がモデルのトトロとサツキ

2.人間と自然が一体になった日本の基層文化とその喪失

 宮沢賢治宮崎駿。二人の世界観のベースに縄文時代、自然と人間が共存していたアニミズムの世界があるように思う。そして二人の作品が、世界中の人々に支持されるのも、原初的なアニミズムの世界観が私達の普遍的な記憶を呼び覚ますからではないかと思う。
 
 宮沢賢治の「狼森(おいのもり)と笊森(ざるもり)、盗森(ぬすっともり)」は、岩手山の麓の狼森、笊森、黒坂森、盗森と名付けられた四つの森とそこを開拓した四人百姓家族の物語だが、そこには森の精霊を信じ、森の神許可を得て人間達が森に入り暮らす世界が描かれる。
 童話の中では次のように書かれている。

四人の男たちは、てんでにすきな方へ向いて、声を揃へて叫びました「ここへ畑起してもいいかあ。」「いいぞお。」森が一斉にこたへました。 みんなは又叫びました。「ここに家建ててもいいかあ。」「ようし。」森は一ぺんにこたへました。 みんなはまた声をそろへてたづねました。「ここで火たいてもいいかあ。」「いいぞお。」森は一ぺんにこたへました。 みんなはまた叫びました。「すこし木きい貰もらつてもいいかあ。」「ようし。」森は一斉にこたへました。

出典:「狼森と笊森、盗森」宮沢賢治著 青空文庫

 四人の男は、いちいち森の許可を得て、丸太小屋を建て、栗の実を集め、薪を作る。
 しかし、森は、時として恐ろしい存在と化す。森に住むは、子供たちを攫い、山に住む山男は、農機具を奪う。その度に農民は粟餅を森に供え農業の邪魔をしないよう祈る。単なる平和な予定調和の世界ではなく、常に不条理な災難と背中合わせの自然と人間の世界が描かれる。

引用:「狼森と笊森、盗森」宮沢賢治著 絵:三谷 靱彦 講談社

 宮沢賢治の童話が単なる空想や幻想で作られたものではなく、鉱物採集から生まれた石や元素の科学や化学の知識、天文学や土壌学の農業に関する知識、文学や芸術の表現にいたる多くの知識の裏付けから生まれた物語。それゆえ読者は、賢治の童話に魅かれ、多方面から考察を試みる。

 宮崎駿の「もののけ姫」は、宮沢賢治と共通する縄文時代のアニミズム文化が、なぜ現代失われつつあるのか、過去に遡って追求した物語。
 宮崎駿もこの題材を、照葉樹林文化や蝦夷の歴史、森を伐採し、火を燃やし続ける日本古来の製鉄(タタラ場)と、鉄の文明などあらゆる角度から資料を集め、考察を深めながら作り上げる。

 室町時代、元遊女であり倭寇でもあるタタラ場のエボシと謎の集団「師匠連」「唐笠連」たちが、シシ神の森に入り、常に火を燃やすタタラ場(砂鉄から鉄を取り出す製鉄場)の為に、森の木を伐採し、シシ神を殺す計画を立てる。

引用:「もののけ姫」シシ神の首を狙うエボシ御前

 その森を守る神、シシ神、山犬に育てられた少女サンが、猪神である「乙事主」と共に、シシ神の首を狙う人間達と壮絶な戦いを繰り広げる。

引用:「もののけ姫」人間に捨てられ山犬に育てられたもののけ姫・サン

 その間に立ち、大和朝廷との戦いに敗れた縄文文化の背景を持つ蝦夷(エミシ)の末裔アシタカが、サンと共にシシ神の命を守ろうとする。

引用:「もののけ姫」大和朝廷に滅ぼされた蝦夷(エミシ)の末裔・アシタカ

 蝦夷(エミシ)の村は、盛岡、花巻、水沢、釜石を中心とする北上川周辺の東北地方の民族である。
 蝦夷(エミシ)の起原は狩猟、採取を主軸とした縄文文化。宮沢賢治の童話の世界のルーツでもある人々の世界。
 
 大和朝廷は、縄文文化は野蛮で遅れた文化と見なし、近畿以南の隼人(はやと)、九州の熊襲(くまそ)、東北の蝦夷(エミシ)などの諸民族の弾圧と滅亡へとつながった。
 それはやがて北の蝦夷(エゾ)アイヌの地や琉球(沖縄)処分へとつながっていく。それにつれて縄文時代の自然崇拝と人間の自然が調和した世界は、破壊され失われていく。

引用:「もののけ姫」生命の授与と奪取を行う神獣・シシ神
引用:神を「もののけ姫」木々の精霊であるコダマ、カタカタと首を振りシシ神を呼ぶ

 なぜ1997年に、宮崎駿は大和政権に滅ぼされた蝦夷(エミシ)の末裔・アシタカと森の中の荒ぶる神々(山犬神、猪神等)に育てられたもののけ姫サンと、渡来人である鉄を作り社会的弱者である女性や病者を救うエボシ御前とシシ神の物語を描いたのか、そこに混沌とした現代を生き抜くヒントがあるからだと思う。

3.宮沢賢治と宮崎駿から学ぶ日本の基層文化の再生とSDGS

 この世界の構図は、グローバル化が進む現代こそ、経済発展と環境保護の両立が必要になっている。
 SDGS(持続可能な開発目標)を実現させるためには、まず私達一人一人の社会全体の意識改革が必要ではないかと思う。
 私自身、高度資本主義社会の競争的、自己顕示的な自由な欲望主体の経済システムの中で育ち、社会のルールの中で決められた事はするが、それ以上地球環境の事を考え行動する事はない。どのような意識改革が必要か、宮崎駿が「もののけ姫」のパンフレットの「この映画の狙い」で言っている。

このような時代(「もののけ姫」の時代)人々の生き死にの輪郭ははっきりしていた。人は生き、人は愛し、憎み、働き、死んでいった。人生は曖昧ではなかったのだ。
21世紀の混沌の時代にむかって、この作品を作る意味はそこにある。世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺戮のさ中にあっても、生きるに値する事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る。
 憎悪を描くが、それはもっと大切なものがある事を描くためである。
 呪縛を描くのは解放の喜びを描くためである。
 描くべきは、少年の少女への理解であり、少女が、少年の心を開いていく過程っである。

出典:「もののけ姫」パンプレット

 あらゆる民族や人間、動植物、生き物、全ての地球で生きるモノに視線を向けて、それぞれの違いを認識し、理解し、互いに心を開き「共に生きる」共存する世界を目指す事。
 日本の基層文化と言えるアニミズム森羅万象に神が宿る八百万の神の記憶を呼び覚まし、荒ぶる神である自然災害や異常気象の危機から生き抜く事。他にも、日本の基層文化には、季節や自然の移り変わりへの感受性を取り戻す事。日常の中にある伝統や工芸、芸術を大切にする事。自然への感謝や敬意を示すお祭りや行事をその意味を知り、心から楽しみ参加する事。なにより家族や家庭の絆を大切にして、地域社会とつながり、他者との心地良い関係を目指す事。
 これらの日本本来の文化を自覚した上で、持続可能な開発目標であるSDGSを考え、一人一人が自分なりに行動する事が必要な時代だと思う。 


この記事が参加している募集

最近の学び

映画が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?