クラウチングスタート

死にたくなった。わかりやすく、わかりにくく。けちょんけちょんになって、届かなくて、言葉になるべきだったものたちはあまりに醜くてみていられなかった。冷静になって、地に足つけて打ち込んだ言葉を消す自分が本当に大嫌いだった。

笑えないなぁ、ほんとに。言葉が、感情とか思考とか、経験すらも追い越していく瞬間が好きだった。何かがぴったりと重なる、歯車が揃う瞬間はいつもクラウチングスタートを切っているみたいだった。スローモーションにすら思えた。
体育祭のリレーの、足に体がついてこないあの感覚によく似ていた。愛おしかった。
自分のこと、というよりも自分の感性が好きだった。あれも、これも、全部言葉にしてみたかった。

世界を、視界を、ちいさくちいさく分解してはひとつひとつと向き合って、そのたびに大丈夫になった。その大丈夫は今までのそれとは比べものにもならないくらいに根拠を持っていて、ずっしりとしていて、ものすごく頼りになった。

その反対で、根拠のないものばかりに、頼りにならないものばかりに縋っていた自分が怖くなった。それで生きていこうとしている自分が苦しくなった。それでも、それしかないとも思った。

求められた時に、必要な時に、必要な分発揮できるわけじゃないもの、もしかしたら1年も2年もかかるかもしれないようなものを信じて、頼って生きていくのがふと怖くなった。

死にたくなった。
もっとありきたりな才能、でも、やっぱり今の自分の才能がいいな。これがいい。この感覚が、頭がどんどん真っ白になっていって、そこに普段心の中にあった感情たちが待ってましたと言わんばかりに姿を現すのが、クラウチングスタートを切る瞬間が、本当に好きだと思う。

大先輩が電話してくれた。
別に対して何も言ってないのに、空っぽになってるからって、言ってくれた。言いたいことを言い尽くして、空っぽになってるって、
その中で曲を書くなら、新しくなにかを取り入れる。映画でも、本でも。それか、その空っぽの自分を書いてみる。

空っぽの自分、何もない、何もない をどう表現するか、これこそ本当に自分が追い求めてる日本語かもしれない。

空っぽの自分をもっと見つめて、というよりも寄り添って、自分よりも自分を理解してあげられる自分を探そう。きっとどこかにいるよ、絶対。

あんたのこと嫌ってる人ってなかなかいないよって言葉に救われた。本当かはわかんないし、そうなのか!とは思えないし、やっぱり人間は怖いし、それでも。

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