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私の息子

のんびり、でもメキメキ成長中。

よく喋る。しゃべりすぎて、イオンで警備員さんが振り返って不審者じゃないことを確認するくらい。


やたら指さすのがブーム。
人とすれ違うときには指さす。
こわい人とすれ違わないように気を付けてる。


スイカ食べ終わると悲しくて泣く。
桃も。
ぶどうは泣かない。


甘えてる。
でも、私は佐々木正美先生の本にもあったように、まずは息子を甘えさせる。安心できる場所があなたにはあることを教える、そう決めている。
甘えて何が悪いって私は思ってる。まだ11ヶ月しか生きていない。



絶賛他力本願立ち中。
最初は手のひらと手のひらで向こうも押して立てるようになったけど、私か夫か定かではないけど、立っちが嬉しくてバンバン彼に負荷があまりかからない感じで立たせまくった結果…甘えた。
でもまぁたまにやる気だして何かに掴まって立ち上がっているので、問題なし。


プレイランドみたいなところに行っても、お姉ちゃん見つけてずっと目で追いかける遊びをする。
ボールプールは大嫌い。
おもちゃもいらない。
ほしいものないから、とりあえず座ってお姉ちゃん探す。



ほぼ100%で人にお愛想する。
たくさんの人に声をかけてもらえる。
私も話するの楽しい。


NMB48が出ているCMが好きで、流れると笑顔を私に「これよ、これ!」って合図くれてあとは何してもこちらを向かない。





こんな息子。

昨日保育園の申請を出してきました。

あと2週間もしないうちに結果が分かります。
どこかに入れないと困るのですが、いよいよ保育園がリアルになってきて、今まで「あと少しやなー」くらいだったのに、
「寂しいよー平日ののんびりした、まったりしたお散歩いけないのかー平日おばあちゃん達への愛想振りまきできないのかー」ってほんま寂しくなってきました。


あまり気にせず外に出られるようになってからほぼ毎日とりあえずの散歩はしました。
産後の私の運動に付き合わせた形です。


ほぼ毎日同じところを通りました。
緑がきれいなところです。

秋、冬、春…そして夏。

私は四季を色々なところから感じるのが好きなので、散歩しながら息子に私が感じた季節を伝えていました。


次の秋は、冬は…それができない。
いや、できるけど頻度が減ります。

一週間でも季節は進むので、今年は一緒に感じられた季節が感じられないかもしれない。

そんなことが頭をよぎり、ふと寂しくなって泣きました。




嘘です、泣きそうになりました。



嘘です、おセンチになりました。



そんな感じでひたっていると、また違うことが頭に浮かんできました。

同じくらいの月齢の子でスッと立てる子、つたい歩きする子、おもちゃで上手に遊べる子…
息子がやらないことができる子を見て思う。それがなんとなく皆通る道なんじゃないか。それができることが良い、それができないからちょっとどうしようみたいな感じ。そんなこと思っているんじゃないか、って。


自分では、息子のペースでやればいいし、遅れているなんて思っていなかったのですが、やっぱりこれができてほしいって思うことがあるんやなって思ったんです。

できることが増えることに対する期待はあるのは自然なことだと思うのでそれがいけないとは思わないですが、その時期を決めるのは息子。
これは大きくなっても同じで、できないからってこちらの期待だけでできるようにすると息子はしんどくなってしまうと思う。

自分では人と比べないし、息子のペースで成長するの最高やし、ニコニコしまくる息子は最高って思っている・・・・・・・・って思っていました。
思っていたし、そんなときもあるのですが、やっぱり同じくらいの月齢の子と出会ったらどんな感じかって無意識のうちに比べていました。


「やっぱり〇〇くんもタッチ上手やなー」って思ってはソワソワ。
「いや、比べてるやん」って気づいては自分にビンタ。


最近それが多いことに気づきました。
気付けて良かった。
ちょっと遊び方とかがトレーニングのような感じになってしまっていたと思う。

気持ちを思い出して、肝に銘じた。

息子のペースで。したいと思った時に応援できるように、その瞬間を見逃さない。ニコニコできるあなたが最高。


こんなことを考えたのには、一つのきっかけがありました。

とある縁で出会った人。同じ目的で同じ人のところに集まりました。

その方には息子より2か月ほどお兄さんのお子さんがおられます。
先日息子くん連れてきておられて、かわいーー子でした。

今度会うときは息子も連れて行って一緒に遊べたらなーと思ったので、次連れてこようと思っていることを伝えました。


そこで私は
「息子はのんびりとしているので、活発に遊ばないし、タッチも他力本願なんです。ハイハイも積極的ではないので、一緒にどう遊べるかわかりませんが・・・」って言いました。

そしたら、その方は「全然いいですよ。刺激受けると思いますし。」
って言いました。
なんとなくそれがひっかかりました。

考えた結果、刺激は与える側になる人が刺激になるかもよって判断するのではなく、受ける方が刺激を受けたかどうかを判断するのだと思ったのです。



つまり、一緒に遊んだ結果息子がその子がタッチするのを見て、「自分で立ちたいな」って思って頑張って立つことができたら、息子はその子の姿が刺激になったということです。

きっと何も変わっていないように見えても色々と受け取っているんだと思いますが。



ここまで考えて私は自分が息子の現状をネガティブな感じで話していたんだと気づきました。

「息子はのんびり自分のペースで成長しています。でもニコニコだけは天下一品です。よろしくお願いします。」って言えばよかった。


そして、私がネガティブな感じを出したことも原因してその方は、自分で立てるようになることが良きなので刺激を受けて立てたらいいですねってニュアンスで言ってくれたんだと思います。(違うかな?)

私の言い方もありましたが、やっぱりその方にもハイハイで動きまくれたり、タッチできることが良き、早いと良き、という感覚が頭のどこかにあるのではないかって思いました。(考えすぎか?)


それぞれの子・個を見る。
その子・個ができることを見る。
できないことを見るのではない。



私の仕事もそうじゃないか。

他人なら落ち着いてそうできるのにな。
我が子となると難しい。




息子よ、モリモリごはんを食べ、ニコニコお愛想し、人の力で立ち上がってはどや顔。
最高じゃないか。素敵すぎるよ。ありがとう。






では、また。


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