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ハマかぶれ日記184〜五月の鯉の吹き流し

 快晴の端午の節句となった。朝の散歩コースである善福寺公園の上の池には、幅30メートルほどの水面を東西に横切って張り渡らせたロープに赤、青、黒、緑、橙と色とりどりの鯉のぼりがずらりとくくりつけられ、気持ちよさそうに風にそよいでいる。
 体長はそれぞれ4メートルぐらいもあろうか。それが、数えると18匹も連なっている。毎年、節句が近づくと、公園事務所の心遣いでお目見えする地元の風物詩だ。一緒に散歩するパートナーなどは「シシャモみたい〜」と、ざっかけない感想を漏らすが、きょうはまさにその晴れの舞台。なかなかの壮観だ。
 「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し 口先ばかりではらわたはなし」。よく知られた古い川柳に、かつての江戸っ子の、口先は荒いが実はさっぱりとして腹蔵のない気質を鯉のぼりに例えて詠んだものがある。実際、口を大きく開けて風を取り込み膨らんで泳ぐ様子は何の屈託もなさげで、宮沢賢治風に言えば、「そういうものに私はなりたい」と、つくづく思う。
 だが、世の中は甘くない。好きで観ているプロ野球の試合でも、すぐに屈託がたまる。わが横浜ベイスターズは今、マツダスタジアムで広島カープと対戦中。カープの先発右腕。九里の調子がよく、3回までノーヒット。このところ低調なベイスターズの打線では捕えるられる気がしない。
 昨日も、同じく右腕の森下の前にわずか2安打に押さえ込まれて4対1で負けた。吹き流れの鯉のように安閑と口が開ける雰囲気には、とてもならない。への字に結んで画面を見ながら、パソコンのキーボードに向かっている。おそらく傍目には、安達ヶ原の鬼婆が人切り包丁を砥石で研いでいる殺伐たる雰囲気を醸していることだろう。試合途中でこれだから、負けた日にゃ、屈託のてんこ盛り、樽に詰め込んで漬物石で重しをかけても、押し戻して溢れるぐらいとなるだろう。やれやれではある。
 「まあ、季節柄しかたない」と、自分を慰める予行演習を今から始めている。考えてみれば、きょうの対戦はいかにも具合が悪い。カープ、鯉なのだから。かつてカープが弱い市民球団だった1960年代、春先に成績が良いと鯉のぼりにたとえて「いつまで続く鯉の季節」といった新聞見出しが躍っていたことを思い出す。あれだ、この季節には顔を立ててやらねばね。そう考えて屈託の前払いをした瞬間、4回表の攻撃で、3番佐野が先制の2点本塁打を放った。
 こうなれば、話が違う。前払いした屈託をいったん引っ込めて、大きく口を開いてみた。とりあえず現状で、腹はスースーして何のわだかまりもない。屈託の入れたり出したり。屈託銀行の試合後の精算やいかに。
 



 

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