10年以上使ったTwitterのアカウントを消した

記事を更新するよりもTwitterアカウントを消すことを選びました

先日「11/30までにnoteで指定記事更新できなかったら、Twitterアカウント消します」と宣言したので無事Twitterアカウントを削除する運びとなりました。
実は作ってから10年以上経つアカウントを削除するのはこれで2度目です。
ちなみに一度目は半年ほど前、高校生の頃に作ったアカウントを削除しました。
アカウントを作って十数年、何も得ることがなかった私はSNS活用による稼得への適性が限りなくゼロに近いことでせう。

最近やはり30の大台に乗ったせいか、若い頃と同じテンションで生きることが難しくなってきています。そんなテンションでいるところに若々しい情報が変わらず流れ込んでくることにも、どこか疲れを感じている。
あんスタにも、エスケーエイトにも、松にも、FGOにも、さらざんまいにも、ゲゲゲの謎にも乗ることができず、かと言って流れ込んでくる情報に一つ一つ脳が無意識に反応するうち、僅かずつ積み重ねていた思考がどんどん塗り潰されていって、言葉にし難いしんどさが出てきました。

そのうちの一つに、いわゆる特定のコミュニティに真に属することができなかった、という幼稚園時代から現在に至るまで私が抱き続けている病が起因していることも考えられます。「なんだ、また私輪の中に入れなかったんだなぁ」という諦観。
原因は多分自分にあるんだと思う。けど、今の私にその原因をdigって解決策を自分の中から掘り起こさんという余力も無い。

何故なら、一年ぶりに復職した仕事も経った2ヶ月で既にしんどさすら感じている最中なので。社会に帰属することで養える自己肯定感がある一方、そもそもその社会に疲れてメンタルを病んだ自分という事実も過去に存在したのだからそれは仕方がない。
最近は早く済ませられたかもしれない仕事に要らないチェックを入れられて業務が滞った時、リモートワークだったかもしれないけど、思わずその業務を滞らせた相手との電話が済んだ瞬間

「×ねーーー!!!×んでくれーーーーーー!!!!!!」

とどデカボイスで喉を枯らしながら大泣きして叫んでいました。みんなはこうならないためにも30になる前に役職者になっておこう。
ちなみに同期のバックオフィス入社(弊社は新卒入社の9割が技術職採用)は私以外みんな役職者です。やはり入社して7年で2回も1年近い休職をしていると昇進が遅い、というより休職するくらい適合し難い環境だからこそ昇進から遠い位置にいるというか。

環境が合わないなら転職なりなんなりして今の仕事を辞めれば良いのですが、

私は自分の置かれた環境を変えるのが、極端に苦手なのです。
(この人確かお見合いしてから1年経たない相手と結婚して1ヶ月で離婚していたような)(都合の悪いことに対する記憶能力が極端に低いな)

なんの自慢にもなりませんが、幼稚園から高校まで15年間同じ学校に通いました。
幼稚園から高校まで15年近く同じ習い事に通いました。
30年、同じ場所に住んでいます。
新卒入社して7年目、同じ会社に勤めています。

今、どうやって動いたらいいか分からない。

そんな私のささやかな日常へのつまらない反抗、それがもしかしたらここ最近のアカ消しなのかなぁと思ったらちょっと笑えてきました。
ちなみにその無言で消した長寿アカウントにつき、各アカウントにつき一人ずつ、別のSNSから即座に声をかけてくれた人がいます。
勝手に心の中で彼女達を「心の友」と呼びました。拗らせ人、怖い。

さて、メンタルリソースを割く要因をまた一つ消したので、自分に向き合って明日から始まる12月を、1ヶ月先に控えている2024年の準備期間として過ごそうと思います。


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せっかくだから寝る前に宝塚を見に行った時の話をしようかな。
15年間女子校で過ごした人間、生粋女性ホモソ出身者としてイケメン女子には目がなかったため、月城かなとの美しさには心を打たれました。

演目のテーマは東西ドイツの併合、自分が生まれる前の出来事ではあるけど大学で専攻していた分野でもあったため、見ていて胸を突かれるような気持ちになりました。そうだ、そのうち『グッバイ、レーニン!』とか見直したいな、昔ゼミで観た……。それにしても宝塚は私の大好きなジャニーズと同じで胴元の取り分が多く出演者へのバックは安いのか、舞台装置や衣装も凝りに凝っていて見事でした。輝きの強いものは常に闇深い影が落ちている。

最近起こる事件の数々は、なんというか文明が成熟したからこそ避けられない事象だった、と考えることがある。誰が悪いとか背景に何があったとかどうすれば避けられた、とかでなく、現代社会においてある種"自然"に発生したといえば良いか。
そう言えるのは私が常に蚊帳の外におり、輪の中にいない人間だからかもしれない。輪の中にいる人は、私のそういう不誠実さを嗅ぎ取っているのかもしれない。なら私はそれを前提として生きていくしかないんじゃないか。もう自分が向いてない方面へ努力をできる余力の残る年齢ではないので。

家人に怒られたのでそろそろ寝ますね、今度は石田組の演奏を聴いた時の話でも書きたいです。

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