明治東亰恋伽(試し読み3)

 するとその時、不穏な空気に不釣り合いな声が辺りに響いた。
 芽衣がびくりとして振り返ると、シルクハットに燕尾服姿の怪しげな男がこちらへと近づいてくる。目が合うと、男は片眼鏡の奥の瞳を細めた。
(あれ?この人、確か・・・・・・)
 どこかで見覚えがあるのだが、すぐには思い出せなかった。こんなに派手な身なりをしている人物をそう簡単に忘れるわけもないと思うのだが。
「やあやあ、無事だったようだね。お嬢さん」
「あの、私」
「うん、大丈夫。どうか警戒しないでほしい。僕はね、決して怪しい者じゃないんだ」
 まだ何も聞いてはいないのに、男は勝手にぺらぺらと喋りだした。
「君が驚くのも無理はないよ。かくいう僕も驚いてる。稀代の西洋奇術博士を名乗りはしているけど、まさかまた人間を消してしまうとは思わなかったんだ」
 はあ、と芽衣に相づちを打たせる隙も与えず彼は続ける。
「ああ、消したって表現は語弊があるよね。なにも本当にこの世から君を消してしまったわけじゃないから、こういう場合は『飛ばした』って言った方が正しいかもしれない。まあなんにせよ、こうして同じ時代で再開できたのは不幸中の幸いと言うべきだ。君もそう思うだろう?」
「は?」
 言っている意味が理解できずにいると、
「つまり!君と僕との出会いは運命なマジックなのさ」
    真顔でそう答えられてしまい、名はぽかんと口を開けた。
「わかるかな?運命のマジック、人はそれを『奇跡』とも呼ぶ。僕は常々思っているんだ。人と人とのめぐり会いは、神様が仕掛けた大いなるマジックに違いないと・・・・・・」
 彼はあっけにとられている芽衣を余所に、歌うように運命を説いている。ますます意味がわからない。
「じゃあ私、そろそろ行きますね」
 そう告げると、男は腕を組み、ゆっくりと首を傾げた。
「行くって、どこに?」
「え、どこって家に帰るんですけど」
「うん。でも君は、自分の家がどこにあるのかわかるのかな?」
 男の奇妙な問いに、今度は芽衣が首を傾げる番だった。
「わかるに決まってるじゃないですか。子供じゃないんだから、自分の家くらい・・・・・・」
 そこで芽衣は、言葉を切る。
(あれ?私の家って・・・・・・?)
 どこにあるのか、にわかに答えが出ない。
 住所はおろか、最寄駅も思い浮かばない。そんな自分に愕然とした。まだ頭が寝ぼけているのだろうか?そもそもここがどこなのかもわからないままだ。
「そう、君はいま、一時的に記憶が混乱している状態なんだ。まあしかたないよね、タイムスリップにはつきもののアクシデントさ。そのうち少しずつ記憶が整理されるはずだけど・・・・・・」
    ータイムスリップ。
 唐突に出てきた脈絡のないその言葉に、芽衣はまだたきを繰り返した。
「え?ええっ?」
「焦らない焦らない。まずは君の名前を教えてよ。自分の名前くらいはわかるよね?」
「私の、名前・・・・・・」

ー芽衣ちゃん。

   誰かに、頭の中で呼びかけられたような気がした。「・・・・・・芽衣。綾月芽衣」

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