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夜明けのすべては私たちの老後の練習である。

嫌いなもの何かある? 別にない、自分とかかな ↑のような会話があった。二人は少しの関わり合いからお互いを助け合う。 嫌いな人(ではないが)を助ける事ができる。 ひいては自分のことも助けられる。 ほんの少しの坂道の画角。平らでない世界。 部屋のカーテンをあけてあげる、太陽の光をあててあげる。ひとこと声をかけてあげる。寝込んでいたところにラインが届くとふと気がゆるみ、身体を起こす。 日本はこれから超高齢化社会になる。 すでにそうなっているが彼らが初老となる頃は今と何がど

    • 平山はネット上の私だ PERFECT DAYS 追記

      平山はネット上の私だ 先日パーフェクトデイズの感想を書いた後ふと気づいた 平山は生活、街で出会う人たちと目線や小さな言葉を交わして日々交流する。 私のタイムラインで触れ合う人たちの中には10年ほどお互いに認知しつつ会話はおろかいいねを付け合った事もないような人もいる。 実際会った人もいればいいねをしあったりDMだけたまにする人等色々な関係がある。 平山は一歩踏み込まない。それは波風を立てない為orただ興味がないのか。 私も自らリプライする事はほぼない。自分の写真を

      • 今日誰に何回ふれましたか?PERFECT DAYS

        今日、誰に何回触られましたか? 家族友人他人同僚顧客、物理的に触れられましたか? そしてあなたから誰かを触りましたか? 平山が自ら触れたのは親類だけ だったように思う。 しかし彼に触れてくる人は幾人かいる。そして言葉をかけてくる人も何人かいる。目線を交わすだけの人もいる。 それが木漏れ日のイメージとがちっとははまらなかったが、そこで葉っぱの重なりの刹那的な出会いから一歩踏み込んで家で大切に水を毎日あげるような関係性にすること、を平山はしない。毎日の波風を立たせないルーティ

        • 朝が似合う人夜が似合う人

          完全に主観だが(いつもだが)、実際その人が活動している時間帯とは別に、昼間を感じる人だな、どうしたって夜しか似合わない人だな、などと思う事がある。そして昼と夜、両方を感じる(似合う)人もいる。 しかしこれを、太陽か月か、と考えてみると、当てはまらない気がする。 太陽だなと思う人が夜も似合っていたり、月が似合うとしか言いようがない、という人であっても昼間の空気感しか感じなかったりするのはどういう事なんだろう。

        夜明けのすべては私たちの老後の練習である。

          The first

          これからはじめてスラムダンクを読む人がいるなんて羨ましい、というような文をいくつか読んだ。 少し前にこれから初めてバンタンを見る人がうらやましいと書いた事と重なるので書き留めておく。 初見の感動体験を知ってしまうとまたそれを体験したくて新しいものを求める。 知らない事が多すぎる事にもう絶望する年でもないが、誰かにとって私は羨ましいと思う存在なのだろう。

          The first