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綺麗な世界で生きていたいので。

皆さんの「世界」はどんな感じでしょうか。
今日はそんなお話です。



本日のご挨拶

こんばんは、雪猫なえです。
ちょっとしたハプニングを経ての今朝でした。昨夜は相棒がいてくれなかったらどうなっていたかわかりません。大したことではないのですが一大事でした(苦笑)どうすることもできないまま寝たのですが、結局大丈夫そうです。

何度目かの宣誓ですが、今日からまたエンジンかけ直そうと思います。2月になりましたし、月変わりましたし。月が変わるのは好きです。季節がようやく前進した気がしますし、人生もまた一歩進んだ気がしますし、リフレッシュの機会になりますし、使えるお金もリセットする気がしますし(笑)
とにかく、色んなことがやっと進んだ感覚になるので好きです。どんどん時よ過ぎろ、なんて思うのは贅沢なことでしょうか。

2月なので、そろそろ洋服を一新したいところです。これは女性なら少し共感してもらえるでしょうか、なんて。でも流石に2月1日で一気に新作入荷とはならないと思うので、もう少し待ちですけどね。春服なんて興味なかったのに、誰のせいでしょうね、何のせいでしょうね?
夏服は相変わらず楽しみです。暑いのは好きじゃないですけど。

2月に入って手帳も新しいページになりました。今月のテーマカラーはです。青寄りの紫を設定しているので、他の色の組み合わせは努めて寒色系にする予定です。
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総括って難しくないですか?週や月で一応まとめ・振り返りを書いてはいるのですが、いまいちピンとこないと言いますか、まとまりきらないんですよね。そうなると意味を成している気がしないのでちょっとした悩みです。
でもまぁ、その内コツを掴んでくるかなと思って続けています。
今月こそは「ちゃんと」生活するぞ!と意気込んでおります。

さーいごっ!
2月はいつもそんなに思い入れも思い出もなかった月なのですが、父の誕生日があるくらいで。バレンタインは学生時代は友達へ張り切って作っていましたが、やっぱり結局チョコレートを渡し合うってくらいで、なんていうか、そこまでパッとする月ではなかったんです。
でも、去年から2月の立ち位置が変わりまして。少し、いや結構好きな月になってしまいました。なんてこった。
去年の今頃は、そうですねぇ……薄い期待と大きめの不安の最中さなかでしたね(苦笑)今となっては良い思い出ですが。
まさか2月がこんな存在になるなんて思いもしませんでした。


それではそろそろ本題に入りましょうか。



「世界」

人それぞれ見ている「世界」って違うと思っています。

例えば、(すみません偏見のオンパレードで書きますが)
いじめられている生徒から見たら「世界」は絶望に満ちていて先なんて真っ暗闇かもしれません。
主婦から見たら「世界」は毎日平凡で普遍的で穏やかなものかもしれません。
芸能人から見たら、「世界」はドロップアウトする可能性のある限られたスペースの舞台のようなものかもしれません。
作家から見たら「世界」は締め切りが次々迫ってくる過酷な鬼ごっこのようなものかもしれません。
研究者から見たら「世界」は探求すべきもので溢れている金山かもしれません。

すみません、わかりやすいかは置いておいて、例えを考えるのが楽しくてつい長々と書いてしまいました。少しでも伝わったのなら幸いです。
要するに、見えている世界が違うということかと思います。

今日は終始抽象的かつ独善的な記事になると思います。
ところどころ丁寧さに欠くので尚更だと思います、すみません。



自分の「世界」

さて戻って自分の世界ですが。
これには定義なんてつけられなくて、問いかけるしかないです。
皆さんの「世界」はどんなものですか?

雪猫の世界は、結構綺麗事で構築されているかもしれません。(物理的ではなくもっと抽象的な意味で)汚いものを見たくない潔癖症なところがあると自覚してるのでそのせいもあるかもしれません。

雪猫から見たら、「上手く世渡りする」世界は怖いです。
選択肢が多くあることを喜ばしいことと思うか苦痛に思うかの違いだと思います。



諦めることができること

雪猫は結構な面倒くさがりで、解決・解消の為に考えて動くくらいなら我慢する、という行動をとりがちです。これは幼い頃からずっとそうでした。

選択肢が多い賢い世界というのは、選択という行為が増えることであり、思考する必要性が増えることであり、疲れるタイミングが増えるということです。
選択肢があるのならば最良を選ぶので、無視するという選択はないので、そもそ「少し大変な最良」が出てくることを阻止しようとしている節があります。



綺麗な世界

綺麗な世界は狭いです。狭くてシンプルで理不尽で多分生きにくいです。この世界の住民は、きっとそんな性質を持っています。

要するに正攻法のみの世界です。美徳と霊徳が横行する世界です。
(勿論、例えば根回しこそが正攻法だとする人もいるかもしれませんが)

そんなに世の中甘くないと言われても、雪猫はそんな「世界」の中で生きることを望みます。ノイズが鬱陶しいので(これまた何を「ノイズ」とするかは人によりますが)。



「世界」から落ちるとき

「世界」から落ちることがしばしばあります。それはいつも触れない「世界」に触れることで起こるイレギュラーです。この現象は大変怖いもので、別「世界」に紛れ込んでしまうとHPを大幅に削られたり生気を損なったりします。

……ファンタジー小説を書いているわけでも気が狂っているわけでもありませんのでご安心ください(苦笑)

あくまで雪猫の症状ですが、「世界」から落ちると、幼少期に両親の喧嘩を見たときのような、足下が崩壊していくような感覚に陥り、何もできなくなることもあります。とにかく不安に支配されてしまい、今まで自分が使っていた物差しが機能しなくなるので本当に不安定な空間に投げ出されたようになってしまいます。



軌道修正

「世界」から「ドロップアウト」したとき、他の「世界」と混ざってしまって正常な動作ができなくなったとき、軌道修正をする必要があります。

修正方法は人それぞれだと思いますが、雪猫の場合はいつものメンバーと関わることや自分の空間に籠もること、読書(読書は自分の世界だけに照合しながら籠もる行為だと思います)、創作(一次創作は間違いなく自分の「世界」でしかないです)などをして回復を図ります。



視野を広く持つ

視野を広く持つと、他の「世界」が見えます。そのときが自分の進化のチャンスかもしれませんし、自分の破壊のピンチかもしれません。

視野を広く持つと楽になることもあれば、息が詰まりそうになることもあるんですが、これって雪猫だけでしょうか。

見たくないものは見なくなくてもいい、少なくとも、要らなく苦しくなるのならば、と雪猫は思うのですが、どうでしょう。甘いことを言っているとしても、それで自分が望むように生きていけるのであればいいかなと思います。

進化に苦行は必須かもしれませんが、苦痛と向上心を天秤にかけることは悪いことではないはずです。人それぞれ、望むものは違いますしね。



「世界」の融合や対立や

「世界」はほぼ人間の数だけ共存しているわけですから、勿論相互間で何かしらあるのだと思います。

その動きは融合かもしれませんし衝突かもしれませんし破壊かもしれませんし侵食かもしれませんし化学反応的助長・進化かもしれません。



殻に籠もる

雪猫はしばしば殻に籠もるという手法を採ります。言う人に言わせると現実逃避なのかもしれません。

でも、該当「世界」で生きる気がない雪猫からするとそれは防衛行為であり生き続けるための方法です。移動する気がないということはその別「世界」に順応する気がないということで、つまりはその「世界」について考える必要はないんです。だったら逃げるが勝ちです。

視界のシフト、「世界」のシフトは怖いです。なので逃げても生きられるのであれば、逃げます。合わせる義理はないので。雪猫は雪猫の「世界」の秩序維持に忙しいので。



終わります

この記事を書けて嬉しく思います。
このネタを思いついたとき、それこそ自分の「世界」の安寧を見た気がしました。自分の「世界」を維持して生きればいいんだなと思えたので。

随分と抽象的な記事を書いたなぁと思います(苦笑)これがどのくらいの人数にどれくらいの精度で伝わるのか全然わかりませんし自信なんてありませんしそもそも伝わらないだろうと思っているのですが、文字として共通言語で表記できたことを嬉しく思います。千里の道も一歩からです(ん?)。

度々使っている表現なのですが、「何でも『アリ』な現代」だから、「世界」から「ドロップアウト」しそうになるんですよね……。少なくとも雪猫はそうで、そうならないように結構毎日必死なんです。

皆さんの「世界」がそれぞれに優しく幸せなものでありますように。


それでは今日はこの辺で。また。

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