見出し画像

エッセイのようなもの│人間なるようにしかならない


良く、60歳を過ぎたかたに見られるのですが、
私の余生はあまり長く無い。
そういう思いが見られます。

まあ、それも意見としては
ある程度納得いきます。
なにしろ昔は、還暦と言えば
よくぞここまで無事に生きられたと、赤いチャンチャンコを着せてお祝いしたものです。

童謡「船頭さん」にも
『村の渡しの船頭さんは、今年六十のおじいさん』
なんて歌がありますね。
60は昔、おじいさんだったのですね。


今は人生百年と言いますが
これは、ボケずに、健康で長生きすることを指しています。

健康寿命という言葉があります。
健康寿命とは、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活出来る期間」と
あり、決して病気をかかえていないと言うわけではありませんね。
第一、歳をとると、誰しも病気の2つや3つ、抱えているものです。

2019年調べで、健康寿命は、男性72.68
女性75.38 です。

しかし、これは平均値です。
長い人や短い人がいます。

私の知る男性で、99歳で
自転車に乗り、カラオケをして、大酒を飲む人をリアルに
知っています。

かたや、小学生で病気でなくなった少年や少女をリアルに知っています。

このように、平均寿命や健康寿命には、ばらつきがあるのですね。

義母は、認知症で特養生活で次第に意識が遠のき、最期は意識不明のまま絶命しました。

その間、義父はどうすることもできずに、せめて見舞いに行くことしかできなかったのですね。

その後、義父も身体の変調をきたし、自活が困難となり、
通いのヘルパーさんに援助していただいていました。

義父は心臓の病もかかえ、ペースメーカーも装着していました。

急に、心臓に変調をきたし、急遽、施設に入りましたが、1ヵ月もしないうちに、心臓発作で亡くなりました。

あまりにも急な出来事で
のこされた三人の娘達は
驚いたのですが、死の直前に義父から聴いた言葉があります。

「人間なるようにしかならない。」

その言葉は真実の叫びには間違いありません。
これは死を悟ったであろうときの言葉でしょうね。

私達は、それからは
こう言うことにしています。

「死や病気はいつ襲ってくるかわからない。でもそれをクヨクヨ考えてもどうすることも出来ない。私達は今生きている。だから日々、今、生あるを感謝したい。」と


私も齢75半ば過ぎ、
妻も来年で70歳になります。
私は軽い病気を3つ抱えていますが、投薬治療ですんでいます。
妻は、かなり深刻な病気を6つ抱えて、病院通いです。
しかし、健康寿命の定義からすると、これはまだ、健康の部類に入るのですね。


極楽蜻蛉な私は
「人間どうにかなる。」

妻は、
「そうよね、気が滅入るだけで、いくら考えてもしょうがないわよね。それより楽しいこと考えましょ。」


そして、夜が来ると
朝を楽しみに寝て
朝が来ると、

「ああ、今日も元気に朝を迎えられたな〜。」

と生あるを感謝するのですね。

朝散歩で時々歌う歌
「新しい朝が来た
希望の朝だ
喜びに胸を開け
大空あおげ」

昔やった「ラジオ体操の歌」
ですね。



          終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?