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優しい世界で生きている。

優しさは、時に難しい。
誰かに優しくされた時、じょうずに受け取れない時がある。贅沢な話だが、実際あるから困ったものです。

自分が優しくしたつもりでも、相手は優しいと感じない場合がある。
世間ではありがた迷惑と呼ばれたりしています。本当に贅沢な話だとは思いますが、確かにありがた迷惑は存在します。

わかりやすい例えはサザエさんのエピソード。
階段の下で荷物を持つ老婆。そこに現れたサザエさんが荷物をもって階段を駆け上がる。そこでおばあさんが一言「さっき降りてきたのに・・・」
まさにありがた迷惑でしょう。

ありがた迷惑が存在する限り、やはり優しいは難しい。
私がした優しいは、本当に相手に優しいまま伝わっているのだろうか。そう考えると相手に親切にすることが怖くなったりもします。それでも他人には優しくしていきたい。

ここで少し私の話を。興味がない人はスキップして頂きたいが、スキップ機能はないのです。

以前も書いたのですが、私は職場では肩身が狭い人間です。

身体が少しだけ不自由である為、職場で出来ないことが多くあります。そのおかげで、周りの職員は私の数倍仕事をしないといけません。それは、私が肩身が狭い思いをする理由になるでしょう。私の職場の皆さんは優しいのです。

ところが、私にも出来る事はあるのです。出来ないこと以外はできるのです。その旨何度説明しても、必ず助けてくれます。出来ますと伝えますが、必ず助けてくれます。私に出来る事はさせて頂きたい。少しでも役に立ちたい。それでも助けてくれます。

本当にありがたいのです。なにも出来ない私を見捨てず助けてくれる。ありがたいのに、素直に受け取れない。事も有ろうにありがた迷惑だなんて、失礼極まりない。私は最低な人間です。
それでも、私はもう少し出来るぞと言いたい。その優しさに反抗したい。
でも、それが出来ない心と身体に苛立つ毎日です。素直に優しさを受け取れない自分にも苛立ちます。

言い訳する気はないのだが、私は職場の皆さんに感謝している。あなた達の優しさは、しっかり伝わっているのです。それでも、たまに心が贅沢になるのは許していただきたい。

優しさは時に難しい。優しくするのもされるのも。
それでも人に優しくするのは素晴らしい事だと思う。
もし、その優しさはありがた迷惑だなと感じた時は、それでもありがとうと伝えてほしい。相手に悪気はなく、優しさがあるだけですから。



ここまで読んでいただきありがとうございます。
私は人に優しくされて今があります。その全てに感謝出来てないのかもしれません。未熟者です。ここで改めて感謝の言葉を伝えたいと思います。
「皆さん、ありがとうございます。皆さんの優しさに日々感謝しています」

それでは、佐世保の隅っこからウバでした。

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