にくまんさん

書くことは、書けないことや書かなかったことの間に生じる緊張感のなかで生まれるもの。小学…

にくまんさん

書くことは、書けないことや書かなかったことの間に生じる緊張感のなかで生まれるもの。小学校教員。五月雨登校含め不登校歴5年のキャリアをもつ中1娘から、学校とは?学ぶとは?等など学ぶこと多し。葛藤や矛盾を抱えつつ、笑顔で生きたいと願っている。好きな言葉は、ぼちぼちいこか。

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ことばと、私

今、思うと私は バメンカンモクジだったのかな?と思う。 外来種生物ではない。場面緘黙児。 小学一年生、二年生の2年間、学校では、ほぼ発声しない子どもだった。求められた必要最小限度の言葉を小声で発するだけ。 授業内容もよく理解していたと記憶している。わからないことや困っていることは、記憶のなかには ほぼ、ない。 心のなかは、さまざまに躍動していた。感じたり考えたり。 40人の子どもがひしめき合う教室で、ひっそりとそっとしておいてもらえた。そのありがたさを時々思う。(いや、

    • 見上げれば

      見上げれば 緑。    たくさんのみどりが、語りかけてける5月。

      • 春に放りだされ

        春は、苦手だった。 そんなことを思い出した、雨降りの春の日。 今日みたいな雨の日。 つめたい雨。 昨日まで属していたものから、一度解かれる年度末という、終わり。そして、「新しく」始まる年度始め。 春は、終わりと始まりの間に放り出される時間だ。 私は、そんなに簡単に終わりにも出来ないし、そんなに簡単に始まりを準備出来ない。 私は春に放り出された。 間に心許ない気持ちを抱え震えながら。 家族のいさかいの声を、空気を、感じをまといながら、寄る辺ない時空間を生きていたあの

        • 祝🌸蕾

          さくらの蕾がほんのり色づいている。 見上げる木々の葉を揺らす風がゆるんでいく。     蕾のなかは、なにがあるのだろう。 蕾は、にぎりしめている拳に似ている。 掌をゆっくりひろげていくように、蕾がひらく。 掌のなかには、まだ見ぬ未来。 掌のなかには、抱いていた希望。 蕾のさくらを見つめながら、君のことを想う。 卒業だよ、おめでとう。

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        ことばと、私

          あなたと私の影

          空を見上げるのが好きだ。 風に吹かれ揺れる木々の様子や、葉っぱたちの奏でる音に足をとめる。 葉っぱたちは、重なり合いその緑を濃くする。 彼らを照らす光や、揺らす風、そして自ら存在することによっておとされる影。それらすべてがあいまって、ひとつの木としてたち現れる様にしばし心うばわれる。 二つの影を重ねたら、もっと影は濃くなるのだろうか? 映画PERFECTDAYでは、登場人物が互いの影を重ねそのことを確かめようとする場面があり、とても印象的だった。 今を生きている私とあな

          あなたと私の影

          止まり木を。

          今日は、金曜日。 一週間、よく、頑張ったね、私。 止まり木のような時空間を、自分の生活のなかに設けよう。

          止まり木を。

          明日があるさ

          先日、娘のフリースクール見学へ出かけた。 娘は、小学生時代から中学1年生の現在まで不登校時間を生きている。正確には、行く時期もあればそうでない時期もあった。 これらからも、未知数だ。 娘は普段、自室で歌詞やエッセイ、川柳、小説などを書いている。今は、言葉によるアウトプットをひたすら行っている。  歌詞は、心にうかんだものをつかむような感じと彼女は言う。掴めそうでつかめない。つかんだと思ったけれど、掌をあけてみてみると少し違ったな。なんてこともあると話す。 そんなふうに

          明日があるさ

          一緒に

          平日は、ワンちゃんの散歩が遅い時間になる。 テク、テク、テク、テク   たっ、たっ、たっ、たっ 月灯りに照らされて、私とワンちゃんの影2つ。 どんなに寒い夜も、どんなにやるせない気持ちのときも、共に前を向いて歩をすすめる。  おまえはなにもしゃべらないけれど、こうして、一緒にいてくれる。 ありがとう。 ありがとうって、思うんだよ。

          整える

          今朝は冷たい雨が降っています。 雪の予報も出ていることもあり、少し重い雨の音が響いています。 頭痛がするな。少し悪寒もするな。 先週一週間は、多忙を極めていたので、体も心も素直な反応をしてくれているのでしよう。 疲れちゃったね。よくやったね。と自分を労ろう。 こんな時は、無理は禁物てす。 ゆっくりと過ごすことにします。 大好きな産婦人科医の高尾美穂さんが、今年の抱負を三文字で設定してみては?という話をしていました。 私は、何にするかなあ? 起床したばかりのお布団を整

          13歳おめでとう

          1月17日。 娘は今日。13歳になった。 毎年、薔薇花束を誕生日に贈ることにしている。 歳の数と同じ本数なのだが、なかに1本だけ白い薔薇を入れる。 これは、尊敬する同僚先輩が、お父様に子どもの頃から大人になるまでずっと、されてきたプレゼントを、真似たものだ。 1本だけ白薔薇なのは、この1年を自分の色に染めていってほしいという想いが込められているらしい。 娘、13歳。 この1年、自分の地図をひろげ、固有名詞である自分を、豊かに生きてほしい。

          13歳おめでとう

          こちらと続いているむこう

          あちらとこちらは、地続き。  ここからはじまって、ぐるりと一周。  円。 そんなことを、仕事帰りの坂道を下りながら思っていた。暮れかけた夕空は、オレンジと紺色が混ざりあっている。 くるりと一周。円。 そんなことを思うのは、近しい人やものたちとの永遠のお別れに、ここのところ際すことがあるからだろうか。   思い出す風景がある。 父とよく行った、海と空がよく見える丘。 弧を描くように水平線が走り、見渡す限りの青に包まれる場所。 私は、その場所が大好きだった。 今から20年ほ

          こちらと続いているむこう

          自ら

          無いもの数えるより、あるものを数えよう たしかになあ。 どこに視点をおくか、向けるかで物事の見え方は違ってくる。 笑顔が大事 これも、その通り。そうだろうなあ。 だけど、今までの私は、心からそう思えてこなかった。 笑いたい気持ちになれないのに、無理して笑顔なんて、出来るわけない。なんなら、そんなのしたくない。 そう、思ってきた。 けれど。 太陽にあたるだけで体内にビタミンDが生成される、、というようなテレビ番組を年始にボケ~とみながら思った。 日光浴、太陽を

          15時あたりの陽だまりに

          甘じょっぱい帰省物語その① を昨日書いてnoteにアップした。一部抜粋以下のような感じ。 なんだ、そりや!   と叫びたくなる思春期ならぬ更年期おばちゃんの はあ? が続出の年末年始帰省物語を少しづゝアップしていきます。 乞うご期待! 甘いのかしょっぱいのかわからない、 梅味ざらめおかきみたいな物語になるでしよー 乞うご期待!なんて、笑っちゃいますが  もしなんでしたら、にくまんさんページを覗いてみてくださいね🥸 ①があるから、②もあるわけである。 もちろん、そのつもりで

          15時あたりの陽だまりに

          甘じょっぱい帰省物語その①

          実家帰省 シンドイ   実家での寝室としてあてがわれた部屋で深夜、ムクッと目が覚めスマホで検索。 はあー。 なにやってんだろ、私。 そんな検索をしている自分の行為自体に、得も知れない罪悪感を感じてしまい、やたらと高い天井を目上げる。 はーー。 常夜灯に照らされた自分の影が虚無感を色濃くする。 昨日の夕方に、帰省を終え帰京してきた。 東京生活が長くなるにつれ、「帰る」と「行く」のどちらをどうつかうのがぴったりくるのか、もはやわからなくなっている。 いやあー。しかし、

          甘じょっぱい帰省物語その①

          軋む音をききながら

          軋む音が耳に届いていた。 船が接岸している。 海に浮かぶ小舟を岸に繋ぎ留めている、太い綱。 船は、海に漕ぎ出していきたい意思をもっているかのようだ。 かたや 岸は綱を以ってして、船を自らに繋ぎ留めようとする。 ギシ、ギー ギシ、キーッ 耳をすますと、とおくから微かにだが、たしかに届いてくる軋む音。 それは、船が発しているのか。 岸がつなぎ止めようとする綱が発しているのか。 暗く寒い冬の海に浮かぶ一艘の船。 耳に届いてやまない、軋む音。 まるで、私と娘の姿の

          軋む音をききながら

          根差す

          ここ数年、こころのなかでテーマになっていることの、ひとつ。 現実に根差す、ということ。 現実とは、 様々な役割や立場に即して、様々な価値観が縦横無尽に存在している世界。 価値観のみならず、思惑、関係、利害、感情なども、複雑に絡み合いながら眼の前にひろがり、展開する世界。 私は、その現実を生きている。 座り心地がしっくりこない椅子に腰掛けているような気持ちを日々くすぶらせながら、こうなりたい、こうありたいという願いをポケットのなかで懸命に握りしめている。 それが、日常だ