梨の花読書会 課題図書:小川洋子『密やかな結晶』ふりかえり

第3回梨の花読書会
9月3日開催 
課題:小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫)
参加者4名:(U、I、S、K)
下記まとめ:参加者U

参加のSさんが、以前表紙が気になって購入したことが選定の経緯。

〇あらすじ
「わたし」の暮らす島では、ある間隔をおいて人々の心・記憶から事物が消失する。原因も理由も分からない自然現象のような消失を、島民は受け入れている。島民の中には消失によっても記憶を失わない人々がおり、小説家である「わたし」を担当する編集者のR氏も、そういったタイプの人間だった。
消失が起こる島の治安を維持しているのは秘密警察と呼ばれる組織だった。かれらは人々の家に押し入って、家中をかき回すように捜索し、消失したはずのものを隠し持っている人間がいないか検察した。それは「記憶狩り」と呼ばれた。当然、かれらは記憶を失わないという特異な人間も引っ立てて行った。
島ではしだいに「記憶狩り」が激しくなってきた。このままではR氏も秘密警察にさらわれてしまうかもしれない。そこで「わたし」は、子供のころから家族ぐるみで付き合いのあった「おじいさん」と協力して、R氏をかくまうため行動を始める。

〇回にて出た感想
・読後感
本作品の読後感を話し合った際に、重ための内容でホラー感がある(Iさん)、シリアスで結末は虚無的な感じ(Sさん)といった意見が出た。
ストーリー展開は、R氏は常に隠し部屋に潜んでいて、しだいに消失は激しくなって、どこにも行き場がないような閉塞的な感じ。どんどん消失が進行する物語の終盤、記憶を失わないR氏の振る舞いに異様なものを感じて、お二人は上記の読後感を持たれた。

・「わたし」とR氏
Kさんからは、「わたし」とR氏の関係が、物語の進行によって変化しているという意見が出た。
「わたし」はR氏のために隠し部屋を用意する。「わたしはあなたのために、いつまでも小説を書いていたいだけなんです」(p.115)と伝えるように、「わたし」がR氏をかばうような関係がまず、ある。
ところが「わたし」の左足が消失したあたりから、二人の関係が反転し始める。消失はやってくる、逃げ道はないという「わたし」に対して、R氏はどこにも行かなくていい、と言う。

「君はどこへ行く必要もない。ここにいればいいんだ。そうだよ。ここなら安全だ。隠し部屋は失われた記憶を保存しておく場所なんだからね。エメラルドや香水や写真やカレンダーと一緒に、この宙に浮かんだ小部屋に隠れるんだ」

(p.415)

かばう側からかばわれる側へ。そしてそのことは、「わたし」の書く小説にも暗示されている、とKさん。
この小説内小説の中で、主人公は最初タイプライターの先生と親密な関係を結んでいたのだが、ある日声を出せなくなってしまう。それは先生が彼女の声をタイプライターの中に封印してしまったからだった。そしてそのまま、先生は時計塔の一番上に主人公を幽閉して、まるで人形に対するように、彼女を玩弄する……
タイプライターの先生がR氏に基づくなら、R氏はかなり特殊な嗜好をお持ちということになる。Rくんきみ、シュッとしてえらいかっこいい感じやけど、本心のところはどうなのや? と訊いてみたくなるが、しかしこの小説内小説を書いているのは「わたし」なのである。
読書会の中では、「小説は読者の深層心理に訴えかけるように書かれるのではないか」(Sさん)という意見も出たが、すると、この小説内小説の唯一の読者=R氏の「深層心理」が、ここでは表現されてしまっている、ということだろうか……それは、なんというか、「わたし」はそこまで見透して小説を書いていたのだろうか・・・? だとしたら一体なにがどうなるのだろうか・・・? 誰が誰を思っていることになるのだろうか・・・? うううう……
読書会のときには思いつかなかったが、今まとめていてそんなことを思った次第である。
冒頭に挙げた「ホラー感」ということについてはIさんから、R氏の「大丈夫だよ。怖がることなんてないさ。僕は君を隠し部屋に大切に保存するよ」(p.416)という部分に絡めて指摘いただいた。「保存」とは「わたし」をいかにも物と見なしたもの言いで、消失していくものと同列に扱っている。そのことから「ホラー感」はやって来る、と。
私Uは回の中で、タイトルにある「結晶」はR氏の部屋なのではないかと発言したのだが、こうしてみると、本作は「密やかな結晶」と涼やかかつ神秘的なタイトルでありながら、大変に淫靡、陰湿な面が見えてきてしまう「結晶」ではないだろうか……
ただ回の中では本作の明るい点、おじいさんのユーモラスな存在感、淡々として正確明澄な描写、その生活の具体性(これは出てないかも)、といった点も挙げられたのであり、様々に読み取れる要素を含み込んだ、良い長編小説であることに間違いはないと思う。

・生活と忘却
回の中でどなたかから、島民は食糧が乏しいのに反乱を起こさない。島民は様々なことを忘れてしまって、反抗への意志も持てないほど従順な存在になってしまって(おとしめられて)いるのではないか、という意見が出た。
何かを覚えていることと、現在目の前にあるものを見ることのつながりという点で、この現実を考えるためにも示唆的な視点だと思う。
一方で記憶の消失ということから派生して、「仕事や人間関係をリセットして一からやり直したい」という意見も出た。私は意外な意見だったが、あらためて考えてみると、そうかも、と思う。
私たちは日々いろいろなものにとり巻かれて、関係をむすんで(関係がむすばれてしまって)生きている。だからそれを「いったんなし!」とできるなら、なんと大きな開放感がともなうことだろう。忘れてしまえば、もう私たちは他人の、社会の中であくせくしなくてすむのだ。すべてがうまくいくように、もう一度初めからスタートを切ればよい・・・ けれどそれはどこまでも生活者の夢であって、現実には私たちは様々な関係性の中で他人と出会い、ぶつかり、そこにこそ生活の喜びも、悲しみも生まれ……

〇終わりに
ページ数、内容ともに重厚感のある課題本であったけれど、参加者の方がそれぞれの視点を持って読まれてきて、それを持ち寄って話し合うことで作品への理解・イメージが深まった、良い回だったと思う。
『密やかな結晶』の最後、私Uとしてはかなりロマンチックに感じるラストの展開をみなさんいかがお感じになるだろうか。本作が書かれた1994年から二十年近くが経って、小説が社会に求められるあり方も変わってきていると思う。そういったことも踏まえて、このラストについてあらためて考えてみるのも面白いのではないかと思っている。

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