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意図(エリザベス・アンスコム)

ソクラテス: 本日は、20世紀を代表する哲学者の一人、エリザベス・アンスコムさんと、彼女の著作『インテンション』について深く掘り下げていきたいと思います。アンスコムさんは、言語哲学や倫理学において重要な貢献をされましたが、特に『インテンション』においては行為の意図という概念を独自の視点から分析されました。アンスコムさん、ご自身の研究について、私たちにもっと教えていただけますか?

エリザベス・アンスコム: もちろんです、ソクラテスさん。『インテンション』では、意図的な行為に対する理解を深めることを目指しました。従来の哲学では、意図は内心の動きや決定として捉えられがちでしたが、私は意図を行為自体の特性として捉えるべきだと考えます。つまり、何をしているのかを知りながら行為することが、その行為を意図的なものにするのです。

ソクラテス: 非常に興味深い見解ですね。アンスコムさんは、意図が行為とどのように関連していると考えていますか? そして、その考えに至った背景や文脈についても教えていただけますか?

エリザベス・アンスコム: 私の考える意図は、単に行為をする前の計画や意志だけではありません。むしろ、行為者が何をしているか、そしてなぜそれをしているかの理解と密接に関連しています。例えば、誰かが窓を開ける行為をしたとします。その行為が意図的であるかどうかは、その人が「なぜ窓を開けたのか」という質問に答えられるかどうかにかかっています。私がこの考えに至ったのは、言語行為とその意味、特に行為の背後にある理由や目的に関心を持ったからです。

ソクラテス: なるほど、行為の背後にある理由や目的、それが意図的な行為を理解する鍵となるわけですね。では、アンスコムさんは、意図の理解が倫理学や道徳哲学においてどのような役割を果たすとお考えですか?

エリザベス・アンスコム: 倫理学においては、行為の意図が中心的な役割を果たします。行為の道徳的価値を評価する際、単に行為の結果だけでなく、行為者の意図も考慮する必要があります。たとえば、善意から行われた行為が不幸な結果を招いた場合、その行為を完全に非難することはできないでしょう。逆に、悪意に基づく行為が偶然良い結果をもたらしたとしても、その行為が道徳的に善であるとは言えません。

ソクラテス: それは確かに重要な観点です。では、アンスコムさんの考えを受けて、意図の理解が深まることで、私たちは倫理学や道徳哲学において何を学ぶことができるのでしょうか?

エリザベス・アンスコム: 意図の理解が深まることで、私たちは人間の行為とその道徳的評価に対するより深い洞察を得ることができます。これにより、単純な結果主義や義務倫理学を超えた、より複雑で微妙な道徳的評価が可能になります。また、意図の理解は、個人の責任と自由の問題にも光を当てます。行為者が自分の行為を意図している場合、その行為に対する責任もまた、より明確になるのです。

ソクラテス: ご説明ありがとうございます。確かに、意図の理解は行為の道徳的評価において重要な役割を果たすようですね。しかし、意図を正確に把握することは常に可能なのでしょうか? また、意図を把握することが困難な場合、私たちはどのように行為を評価すれば良いのでしょうか?

エリザベス・アンスコム: 確かに、意図を完全に把握することは常に可能ではありません。しかし、重要なのは、行為者が自分の行為に対する意図を明らかにする努力をすることです。行為者がその意図を言語化し、説明することができれば、その行為の道徳的評価もより正確になります。意図を把握することが困難な場合には、行為の文脈や、可能な限りの行為者の説明をもとに、慎重に評価を行う必要があります。また、意図だけでなく、行為の結果や影響も考慮に入れることが、より公正な評価につながります。

ソクラテス: アンスコムさんの見解は、行為の意図と道徳的評価の関係性に新たな光を当てていますね。しかし、意図を明らかにすることの難しさや、時には意図が不明確なまま行為がなされることもあるのではないでしょうか。このような場合、私たちが道徳的評価を下す際の留保すべき点は何でしょうか?

エリザベス・アンスコム: 意図が不明確な場合、特に留保すべき点は、結論を急がず、可能な限り多くの情報を集め、慎重に評価することです。行為者の意図を完全に把握することができない場合でも、その行為がもたらす結果や影響、行為の文脈、行為者の過去の行動パターンなどを考慮することで、より公平な評価が可能になります。また、道徳的評価は時には再考や修正が必要になることも認識しておく必要があります。私たちの理解や情報は常に完全ではないため、新たな情報が明らかになった場合には、評価を見直す柔軟性も大切です。

ソクラテス: 非常に洞察に富んだ回答をいただき、ありがとうございます。アンスコムさんの『インテンション』に関する議論は、行為の意図をどのように理解し、評価するかという問題に対して、私たちに多くを考えさせてくれます。しかし、意図が常に明確になるわけではないこと、そしてその意図をどのように評価するかについては、引き続き慎重な検討が求められるようです。アンスコムさんの主張は、倫理学や哲学において重要な貢献をしていると私は考えますが、意図を完全に理解することの難しさや、その評価の複雑さを考慮する必要があるでしょう。

エリザベス・アンスコム: その通りです、ソクラテスさん。私の研究は、意図の理解と評価の問題を解決することを目的としていますが、これは哲学における永遠の問いの一つです。私たちが行うすべての試みは、この複雑な問題への理解を深める一歩であると同時に、新たな疑問を提起するものです。哲学の旅は、終わりのない探求であり、私たちは常に新たな理解と解釈を目指していく必要があります。

ソクラテス: 素晴らしい洞察をいただき、心から感謝します。アンスコムさんとの対話は、意図の理解と評価に関する私たちの思考を豊かにし、深める機会を提供してくれました。哲学は確かに終わりのない旅であり、私たちは常に探求を続けなければなりません。アンスコムさん、本日はこのような濃密な対話を共にできたことを大変嬉しく思います。ありがとうございました。

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