バイトあれこれ・その2「水商売」

 バイトあれこれ・番外編で、60代女性のライターの言葉、「仕事は主に、頭を使うか、気を遣うか、体を使うか」の三つに凝縮されるという記事に触れた。一番大変なのは気を遣うだけの仕事。と彼女は言う。

 私の数あるバイト経験で「気を遣う」仕事、その筆頭にあたるのが水商売と呼ばれるものだった。一番大変というより、私にとっては「一番合わない」ものだった。なにせ口から生まれたと傍から思われるのが常なこの私が、店に入っているときは失語症に陥るのだから、拷問だ。
 二ヵ所のスナックで働いた。どちらもママが好い人で、一見さんお断り、酒癖の悪い客もいなかったように記憶している。それでも苦痛だった。もらった名刺を見れば、名の知れた会社や役職の高い人もいた。あぶく銭(バブル景気)が飛び交う時代、「接待」名目の領収書を切るのが当たり前。支払う側も受け取る側もウホウホした顔でいた。
 私はしかしそこにはのれなかった。同じ「飲食業」でも昼間のそれとは時給が3倍くらい違ったし、お酒が強くない私にノルマ的に飲ませるママでもなかった。ボディタッチはご法度。意地悪なお姉さんたちもいないし、高級店でもカジュアル店でもなく、ほどよい雰囲気の店だった。それにたった週1、2回の勤務。なのになぜ我慢できなかったのか。

 それは、ひとことでいえば、おそろしいくらいに場がもたなかったからである。

 他の人たちが無理なくできる、野球の話やテレビで話題のネタなどが、私の引き出しには何もなかった。かといって聞き上手にもなれない。少なくとも相手の話題に関心を持つ姿勢が、嘘でも醸し出されなければ、ことごとく失敗する。愛想笑いがひきつり、相手の退屈さが顔色から伺え、壁に目を向ければ時計の針は一向に進まず、何度も化粧室に失踪した。

 肩書やお金のあるなしは人間の魅力とは全く関係のないものだと、このバイトのときほど実感したことはない。

 おそろしいくらいに場がもたなかったのは私のせいのみならず、おそろしいくらいにつまらない話しかしない輩でもいっぱしの名刺を持ちえた時代背景があったからとも言える。
 いい大学、いい会社に就職するために費やしてきた「知識」の詰め込みの貯金だけで生きられた時代。社会人になるためには”会社人”としてのふるまいを覚えるだけでこと足りた。もちろん、そんななかでも「個」として生きるかっこいい大人がいなくはなかったが、圧倒的少数派で、そんな人は身銭を切って店に来ていた。

 あぁ、あのときの主流派が爺さんになっても政治や経済界の中心にいることを思うと、ジェンダーギャップやあらゆる指数が下位を争っている日本の現在のありさまは、さもありなんや、である。

 

 

 

 

 

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