光山キム

あさ目覚めた時から言葉が頭を埋め尽くす。 え、なに? ふむふむ、そうか。うわっ、もぉー…

光山キム

あさ目覚めた時から言葉が頭を埋め尽くす。 え、なに? ふむふむ、そうか。うわっ、もぉーっ! じわ~ん。 はっとして、ぐっときた話。なんなのさーっと、いらっときた話。 それでもみな生きている。死ぬまで生きるのだ。ということをあれこれ綴ります。

最近の記事

本が必要になるとき

 読書の習慣はあるし、活字を読むことは嫌いではない。しかし、系統立てて読みこんだり、ある作家を追いかけたり、マニアックな本を手に悦に浸ったりするタイプではない。他愛のない会話の中に著名な作家の言葉や小説の一節が出て来ると、どぎまぎしてしまう。知ったかぶりをするのも恥ずかしいし、知らないことを露呈するのはもっと恥ずかしい。ひいてはそんな見栄っ張りな性格、それ自体が一番嫌悪することでもある。  世に言われる読書家なる人は、圧倒的にこども時代から本が友だちであった人が多いように思う

    • 【詩《うた》う】オンザウェイがマイウェイ

      いつも道の途上  そしていつもそれが本番 ここじゃない何処か これじゃない何か あなたじゃない誰か を求めて来たわけじゃない いつだって いまいる場所で 目の前のことを 隣の人と やってきた なのになぜか 気づけば てん てん てんまり てん てまり てん てん てまりの てがそれて あいもかわらず 点が線に それが面に なっている気もせず迷走中 それでも底をよくよく見れば わたしだけの地図がある 山あり谷あり アスファルトや沼地 消えた足跡 わたしには見

      • おもしろいということの民族性 -あるハルモニ(おばあさん)の思い出-

         日本で韓流ブームが起こる以前、ソウルに語学留学のため3か月滞在したことがある。喜怒哀楽の表出が日本人のそれとはあまりに違うので面食らうことも多かったが、その血が私にも流れているからか、そうではなかったとしても、人間の野生を想起させるからか、彼らの立ち振る舞いにどんどん惹きこまれていった。  なかでも持って生まれたと呼びたくなるような「笑い」のセンスは抜群で私のツボにはまった。とは言ってもジョークを連発するような、いかにもおもしろおかしい人たちが多いという意味ではない。日常の

        • 【詩《うた》う】サジェスチョン

          こうせい ああせい しゃらくせい やってみなけりゃ はじまらん やってみたけど あかんやん 基本のきーはだいじでやんす なくてもよいのは 天才だけざんす どっちにしたって その道行くのはこのわたし こうするべきーではなしに こないするのはどないやろ ってなぐあいに言うてくれへん? ほなやったら リッスン リッスン するわいな ほいでもって レッスン レッスン はじまるかもね どっちにしたって 心に響くは控えめーな  そんな あんなの サジェスチョン そのうち な

        本が必要になるとき

          バイトあれこれ・その2「水商売」

           バイトあれこれ・番外編で、60代女性のライターの言葉、「仕事は主に、頭を使うか、気を遣うか、体を使うか」の三つに凝縮されるという記事に触れた。一番大変なのは気を遣うだけの仕事。と彼女は言う。  私の数あるバイト経験で「気を遣う」仕事、その筆頭にあたるのが水商売と呼ばれるものだった。一番大変というより、私にとっては「一番合わない」ものだった。なにせ口から生まれたと傍から思われるのが常なこの私が、店に入っているときは失語症に陥るのだから、拷問だ。  二ヵ所のスナックで働いた。

          バイトあれこれ・その2「水商売」

          【映像シナリオ・1シークエンス】光と闇

          明朝新聞社記者の野上純(27)は、整理部に3年所属した後、念願の編集局に移り、京都総局にて記者となり、2年目を迎えようとしている。 東京生まれのアメリカ育ち。不公平なことは我慢ならず、正義感の強い性格は古風な記者像そのものといえる。だが、難関新聞社の就職試験を突破したものの、中に入ると、自分と同じような熱き血潮をたぎらせる記者には巡り合えず、発表ジャーナリズムに甘んじる現実に悶々とした日を送っていた。一見優等生な風貌ながら、気の合わない相手には、いらないひと言をつい発してしま

          【映像シナリオ・1シークエンス】光と闇

          「笑い」の友へ

           人生最大の緊張した瞬間は、憧れの先輩にバレンタインチョコを渡すときでもなければ、3000メートル上空からスカイダイビングをしたときでもなく、お笑い芸人の集う劇場に学生時代の友人と出演したときだった。舞台袖での待機中、以後二度と使うことのなかった私たちのコンビ名を司会者に告げられた瞬間、文字通り、心臓が飛び出すほどの緊張感に襲われた。逃げ出したくなったがやるっきゃない。(時代を感じる表現だなー)  舞台に出てしまえばこっちのもの、ともならなかった。ひとつも笑いが返ってこない。

          「笑い」の友へ

          替え歌『これが自由というものか』

          変わってほしくないものは、どんどこ変貌し、 変わってほしいものは、どーんと居座りつづける。 ♪うーさぎおーいしかのやまー、なんて風景が破壊されて久しい一方、忖度だらけで、誰も責任をとらず、それを仕方ないと見過ごす風潮は停滞したまま。   それでも、顕微鏡、はたまた望遠鏡で覗いてみれば、いつの時代もどこの場所でも、違った「動き」が見えてくる。 エノケンこと榎本健一が歌った、三木鶏郎作詞『これが自由というものか』(1954年作)をご存知だろうか。70年前の元《もと》歌を聴くと

          替え歌『これが自由というものか』

          【詩《うた》う】よんもじ

          ヒロシマというとき、 ああヒロシマとやさしくこたえてくれるだろうか。 フクシマというときはどうだろう。 ミナマタはどうだったろう。 チョーセンは? ザイニチは? ヒノマル・キミガヨは? 口を閉ざすことなく、 オキナワ の現在《いま》をかたれるだろうか。 そして、昨年、そこに ジャニーズが加わった。 四文字の響きが、未来を絶望しないためにあればいいのに。 いいのに。なんていっているばあいか。 あなたはだーれ? だれでしょねー。 なんの責任もない赤子ではもはやとう

          【詩《うた》う】よんもじ

          見えない壁

           越してきたお隣さんに挨拶に行った。入居した人が向こう三軒両隣に挨拶に回ることが習わしだったのは、遥か昔のことになるのだろうか。私自身はいままでそうしてきたけれど、されたことは、この20年間、5回住まいを変えたなかで、1度しかない。されることを待っていては知り合うきっかけは作れない。上下ならいざしらず、生活音が聞こえてくるお隣さんなら、せめて顔だけでも見知っておきたい。挨拶交わせば、「おたがいさま」と持ちつ持たれつができる気がする。  それでもいまどきのご時世。隣は何をする人

          見えない壁

          バイトあれこれ・番外編

           バイトあれこれ・その1「やまだや」を書いた時には、次々と書きあげるつもりでいた。なにせネタには尽きない。だけれど、ものごとというのは何でも「はじめて」がおもしろい。いや、おもしろがられる、おもしろいと思ってもらえる。一発屋と呼ばれるのは歌手に限ったことではない。  その1は勢いで書ける。その2は、勢いだけでは無理だ。noteの書き手の主旨はそれぞれだろうが、私にとっては単純明快、読んだ人が「おもしろい」と思ってくれるものを書きたい。そのためには、当り前のことだけれど、自分自

          バイトあれこれ・番外編

          悩みの重さ

           そのむかし、ある人が言った。  五歳の子どもの悩みも五十歳のおとなの悩みも重さは同じだ。  なるほど、うまいことを言うものだと感心したが、いまはちょっと見方が変わった。重さは変わらぬけれど、こびりつきかたが違う。こどものそれは瞬間で、おとなのそれはリフレインする。  泣いたカラスがもう笑った。とはもうならない、もはやなれない。  そのあたりのことを人生相談で問えば、脳科学者や小説家や僧侶など、それぞれの知見を教え答えてくれるだろう。  でも、そんなことが聞きたいのではない。

          悩みの重さ

          【映像シナリオ・1シークエンス】岐路

          ①琵琶湖・俯瞰(夕) 琵琶湖大橋が架かる湖。 ②あおぞら幼稚園・外(夕) 木造の園舎。大津市あおぞら幼稚園の看板がある。園の外で立ち話をする花岡笑子(30)と宇野愛(34)の横で、闘いごっこをする花岡尚也(6)と宇野祐樹(6)。 愛「もう2月も終わりなんて、年長になってからめっちゃ時間経つの早いわー」 笑子「(茨城弁。以降同)そだね。尚也、祐君と離れるのつらいだろうな。卒園式って男の子の方が泣くって聞くから、きっと…」 愛「大人もよ。たまにしか送り迎えしなくても男親の方

          【映像シナリオ・1シークエンス】岐路

          ムーの助言・その1「できることから」

           そのむかし、友人の結婚式の前夜、身内だけの集まりに参列させてもらったときのこと。隣に座る友人の母親が、小学生のころのエピソードをひきあいに娘自慢を聞かせてくれた。  どんな会話だったのかわからない。でも、うんうんと頷くその表情から、相手が深刻な悩みを打ち明けているであろうことは想像できた。そして、目を移すと、受話器を持ちながら失禁しているのに気づいたという。話の腰を折ってはいけないと、ちょっと待ってねという言葉をのみこんで、おもらししたまま友だちの声に耳を傾けている娘を見て

          ムーの助言・その1「できることから」

          決められない

           迷う、迷うのだ。人生さまよいながら生きてきた。  いまの世の中、選択肢が多すぎる。  いや、だからということを理由にして、世間の誰もが迷いのさなかにいる、そうに違いないと断定することはできない。しかるに、これは自分の性《さが》であるというしかない。  幼い頃にさかのぼってみると、他の家も似たりよったりだったとは思うが、よっぼどの金持ちの子に生まれないと、「選ぶ」環境にはなかった。親の経済力、親の考えに支配されるのが常である。  「今日は何が食べたい?」などと聞かれたこ

          決められない

          聞く耳を磨く

           話す力と聞く力。単純に両者を比較すると、どちらがより高度な能力を求められるだろう。  企業などでは「プレゼン」スキルが高い社員ほど注目されるし、「人前で話すのが苦手で……」という人はいても、「聞くのが下手なんですよ」と口にする人はそうそういない。  それは、「人の話は最後までちゃんと聞きなさい」と言われて育った人も多いと思うが、長い学校教育の過程で、ほぼ「聞かされる」立場におかれ続けるなか、次第になれていった結果かもしれない。聞くふりが身についたにすぎないともいえる。また、

          聞く耳を磨く