素麺とは、ひと夏の恋

 歩けば汗が滴る季節。あの白くて細い束が六つほど入った袋を買う。ネギなどの薬味も買う。冷たく、喉越しもよく、安い。素麺である。冷凍庫から氷を召喚しバラ撒き、さらに冷たさを増す。美味さは増さない。ともかく、
狂ったように、七月から九月まで食べ続ける。ミョウガやショウガなどの薬味にも凝りだし、つゆにラー油を垂らすなどの変化も楽しみだす。
 そして、飽きる。あんなに一緒の時間を過ごしたのに。幾度となく粘膜という粘膜を通過させたのに。「さぁ、秋になったらキノコ素麺だ!」とはならない。「冬になったぞ。鍋焼き素麺だ!」ありえない。
 季節が進んだからといって、味が落ちるわけではない。うどんのように通年で楽しまれることもなく、一端、存在感を消す。冷やし中華のように「はじめました」とも言わず、次の夏でまた、私のそばにいる。
 考えてみれば、どのタイミングで購入を控えるようになるのか。誰も知らない。馬鹿の一つ覚えが如く、スーパーに行くたびに手を伸ばしていたというのに。「あ、いいや」と変わる瞬間を、今年は、今年こそはしっかりと記録したい(今、初めて思いました)。夏の終わり、季節の変わり目にその様子をnoteに記す。忘れてなければの話だが。
 そんな今日のディナーは素麺。当然、揖保乃糸。安いプライベート商品は不味いイメージがあるので買わない。薬味はネギとショウガ。この夏、初の素麺。ディナーに素麺は貧乏くさい気もするが、それもよし。あぁ、腹が減った。朝食に昨日の残りのフライドチキンとポテトを、レンジでチンせず食べてから、十時間が経過。今日のベスコングルメは、「素麺」。ショボい。

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