週刊「我がヂレンマ」<元日号>

 新年一発目にして、新レギュラー企画。4カ月前『気刊ヂレンマ』として投稿したモノ。「気刊」とは気分で刊行するという造語である。しかし、新企画のため脳内会議を行った結果、ろくに浮かばず「えいや、週刊でやってしまえ」となった。
 内容としては、愛用しているセブン・アンド・アイのリングノートのメモについて解説と考察。現在進行形で読んでいる本と、読む予定の本の紹介。
 ここ一週間で印象的だった出来事。そんなまとまりのない、内容をひたすら書いていく。そんな雰囲気です。御託はこれぐらいにしておく。

<メモについて解説と考察のコーナー>

「港区女子を全員、無人島にブチこんで最後の一人になるまで、バトルロワイアル」

 非常に血生臭い。物騒である。いくら世間から若干嫌われているとはいえ、これは酷い。そもそも、港区の夜光虫として活動する彼女たちが、厳しい大自然で何が出来るというのか。実際やった場合、いくらかのグループに分かれていき、内輪揉めは必定。かなりB級の香りがする。仮に、最後の一人が決まったとしても、港区女子は自然発生する。決して、消えることはない。甘いモノがあれば、虫は湧く。欲望にキリはない。

「I My Me Mine 灰になる少年」
 これはPOLYSICSの名曲である。が、灰になる少年の意味が分からない。余計な言葉に聞こえて、意味ありげな気もする。何を思って書いたかまったく覚えていない。これが何かに化ける可能性は皆無に等しい。だが、メモとはそんなものである。ほとんどは思考の塵にすぎず、のちに宝となる言葉はほとんどない。そんな中のひとつ。

「ビーバップ・ロースクール」
 勿論、『ビーバップ・ハイスクール』のもじりである。ちなみに、三十代後半の私は世代ではない。故に元ネタをほとんど理解していない。知っているのは、不良モノということぐらい。おそらく田舎の不良が一浪し、猛勉強の末、法学部に合格。完全に異物である主人公が法曹を目指す、サクセスストーリー。といったところか。なんだか、2000年前後の香りがする。昔懐かしい画角で観たい。

「一生分の野菜」
 伊藤園の『1日分の野菜』の魔改造バージョン。ちなみに、私は毎日風呂に入る前に飲んでいる。それにしても恐ろしい。人間が一生に必要とする、野菜でとれる栄養素を凝縮している。逆に体に悪そうだし、液体というより固体な気がする。健康に対する反逆、アンチテーゼ、モノリス、それはもう人類の終わりを感じさせる。他方、「一生分の肉」は摂取した瞬間に、成人病の役満が確定しそう。何事もほどほど適度でよい。

「SF(少し、不倫)」
 少し。とはどの程度を言っているのか。不倫とあるので、性行為には及んでいる。語感に関して、「少し」は控えめな印象なのに「不倫」がキツいため中々の不快感。だが、それ以上でもそれ以下でもなく、何かに発展しそうな空気はまったく感じられない。かつて藤子・F・不二夫先生が「SF(すこしふしぎ)」と略した。『ありふれた日常の中に紛れ込む非日常的な事象』というテーマを扱うジャンル。
 ならば、「すこしふりん」は『ありふれた日常の中に紛れ込む不倫行為にまつわる事象』だろうか。だからなんだ。

「催眠術アプリ」
 確実に犯罪に使用されるであろう、アプリケーション。最初は遊び半分で、友達同士で試して盛り上がるだけ。しかし魔が差し、性行為を目的として悪用してしまうに違いない。ナンパなどのアプローチや、面倒くさいコミュニケーションを省略して、行為に及ぶ。使えるなら使ってしまうのが人間の性。子孫を残すため、根源的な生存戦略が、利己的遺伝子がそうさせる。
 ただ、相手の意思を無視しているので、繰り返すと虚しくなっていくだろう。そしてそう遠くないうちに、逮捕である。地獄行き確定。

「湖畔を逍遥(しょうよう)しながら」
 逍遥とは、気ままにあちこち歩き回ること。そぞろ歩き。「郊外を逍遥する」など。これを書いた記憶はあるが、動機は不明。それに加えて、逍遥なんて難読で、一見して意味不明な単語である。かような単語を乱発するべきではない。一方で、使ったら格好いいなんて浅はかな感情もある。頭が良くなった気がする。それは気のせいなので、正気を保つ必要がある。
 逍遥ではなく、散歩でいいじゃないか。

「胴体と地面をつなぐもの、それは足」
 出典が不明の謎の標語。センスがあるようで、ギリギリ奈落行きな感覚。当たり前のことを、大げさに書く。そんなボケだが、これ以上発展しそうにない。もしかしたら、セリフの一節として使える可能性はある。典型的な「使えそうで、使えない言葉」としか思えない。もう一方を考えてみよう。「頭と宇宙をつなぐもの、それは大気圏」だからどうした。
 やはり、どうあっても使えない。

「極座標ラプラシアンの導出」
 どうやら数学に関する言葉らしい。何を見てメモをしたのか。何を思って書き残したのか。おそらく、「きょくざひょうらぷらしあんのどうしゅつ」という言葉の響きが私の琴線に触れた。ただそれだけ。当然、何かに使えるわけでなく、理数系の人を少し刺激するだけの、そんな言葉である。高卒の私にとって、まったく縁のない言葉。だからこそ、使ってみたい。書いてみたい。そんな俗な欲望から、メモをした。その程度。

<最近、読んでいる、読む予定の本について>

「暴力の解剖学 神経犯罪学への招待」
 犯罪研究は新時代に突入した! 新たな学問分野・神経犯罪学を確立した著者が、脳や遺伝などの生物学的要因と、生育環境などの社会的要因、おろびその相互作用から、いかに暴力的な性格が形成されるかを解説する。
 また、研究結果の実践にあたって直面する人権・倫理・法に関する議論を整理するとともに、暴力削減のための万策を読者に問いかける。
 タブーに斬り込む、画期的研究の全貌!
 だそうです。「さまざまな文化のもとでのサイコパス」「だが環境の影響は?」「幼少期の共通の性質、成人後の多様性」「フィニアス・ゲージの奇怪な症例」「ロンブローゾ・プログラム」など、中々興味深い。

「ヴェトナム壮大な悲劇 1945-1975 上」
 ヴェトナム戦争取材に携わった英国のジャーナリストが、悲劇を再構築。第一次インドシナ戦争前夜から、サイゴン陥落までの30年を振り返り、戦場で何があったのか、戦闘に至る歴史的背景と政治的思惑、その結果もたらされたものを事実に即して描写し、悲劇の本質に迫る。
「包括的で、魅惑的で、驚くほど親密で、すばらしい歴史ナラティブだ」とティム・オブライエン『僕が戦場で死んだら』『本当の戦争の話をしよう』の著者。
「まさに名人芸」サンデータイムズ。
「ヴェトナム戦争に関する最高の本。戦争の実感がありのままにさらされ、不快な真実が暴露されている」タイムズ。
「今後何年にもわたって、ベンチマークとなる作品、どのような形であれ関与したすべての人々にとって、この戦争とは何だったのかをスリリングに描いた物語である」デイリー・テレグラフ。

 ですって。すべて言われてしまった。高卒の私でも理解できるので、おススメである。真実という重みがひしひしと伝わってくる。まだまだ序盤なので、上下巻を完読したら、感想でも投稿しようか。

「統合失調症の一族 遺伝か環境か」
 12人の子供のうち6人が統合失調症に。自分をポール・マッカートニーと思い込む九男、修道士のようにふるまう長男・・・・・。 
 彼らに何が起きたのか? 国立研究所の調査により、やがて衝撃の真相が明らかになる。精神医療史の画期をなした一家の記録。
「ノンフィクションの可能性を開いた、忘れがたい作品」
 スザンナ・キャラハン(『脳に棲む魔物』著者)
「何度でも読み返せる稀有な本」
 デイヴィッド・グラン(『花殺し月の殺人』著者)
「並外れた調査であり、大変な労作」
 シルヴィア・ナサー(『ビューティフル・マインド』著者)
 
 ですって。なんにせよ、子供12人はヤバすぎ。時代関係なしに問題アリ。大家族すぎると、何かと目が行き届かず、金銭的に貧しければなおの事。一人ふたりでも大変だろうに、火を見るよりも明らか。不自然なことには、不自然な展開が待っている。人間、なるようにしかならないのさ。

「俺が公園でペリカンにした話」
 平山夢明先生の、おそらく最新作の短編集。とりあえず、帯に書いてあるセリフを書きだしてみよう。
「おれは確かにろくでなしだが、親でも糞でも厭なもんは厭なんだ」
「女にヒッチしてもらうのは初めてだ」
「自分のことは自分で決める! あんたもそうだろ?」
「貧乏が奪っていくのは目に見えるものより、見えないもののぼうがずっと多い」
「おれが持ってるのは魂だけだよ」
「幾らだしたら健康な指を折れる?」
「あんな風に扱われた経験がなけりゃ、この気持ちはわかるわけがねぇ」
「そんな莫迦なことしてたら、資本家のドアマットになるだけだぜ」
「惚れた腫れたの諍い場もコソツキ庭付き一戸建て」
 お察しの通り、自由である。どこもでもフリーダム。小説ってこれでいいのか。面白ければ、言語センスが魅力的なら、楽しめればいいんだ。
 そう思わせてくれた平山夢明先生に感謝して、文庫本を四冊購入した。

「サイエンス・フィクション大全」
 未来を推測し、仮説を立て、不安を言語化し、未知の事柄を具現化しながら、想像の世界へと読者を誘うサイエンス・フィクション。科学を刺激し、科学から刺激を受けて発展してきたSFという広大なジャンルがこの1冊に凝縮されている。
 本書ではサイエンス・フィクションを5部構成で探査する。サイボーグと人間、宇宙旅行、エイリアンとのコミュニケーション、遠い銀河、核戦争や気候変動によって左右される地球の未来。20世紀の半ばに生まれた名作に影響を与えた科学者たち、気象問題を取り上げた近年の作品が提唱する新しい生活と、SF作品における科学とSF文化の進化を辿っていく。
 陳楸帆、チャーリー・ジェーン・アンダース、ヴァンダナ・シン、テイド・トンプソン、キム・スタンリー・ロビンスンとSF界を代表する現代作家たちへのインタビューが各章の終わりを飾る。
 200点以上のイラストとともに世界的現象を強烈に提示する。

 ですって。個人的にSF入門の書としては調度よさそう。ビジュアルが豊富なので、楽しんで読みやすい。部屋の目立つ場所に鎮座しているので、「俺はSFを書くんだい! 高卒でも書くんだい!」
 と、奮起できる。好きなんだから、我慢せず突き進めばよし。

<近況。ここ一週間で印象的だった出来事>

「年越し蒙古タンメン中本」
 昨日。大晦日。午前10時過ぎ、『蒙古タンメン中本・市川店』に向かった。予想はしていたが、並んでいる。食べぬわけにはいかねぇと、並ぶ。前には50代ぐらいの夫婦。その他、中年男性や陰キャと思われる男性多し。いくら待っても一向に進まず、牛歩戦術が如くである。途中、勿体ないことに夫婦が離脱。店を入り口が見えたところで、金色の文字をあしらった服を着た男性が出てきた。ダサい。そう思ったら、蒙古タンメン中本とプリントしたあった。マニアだ。大晦日に来店するくらいだから、そんな人もいる。 
 1時間以上待って、入店。注文したのは12月31日限定かつ30食限定の『北極JAPAN』です。
 お雑煮を意識して考案されたメニュー。ベースの北極スープはカツオと昆布で出汁をとり、具はお餅、鶏肉、人参、大根、椎茸、ゆず、ほうれん草、三つ葉、カマボコと具沢山。和風の出汁、お餅は二つ入っており、この一杯で年末年始を感じられる絶品。
 私は麺特大、背脂、北極煮卵、さらにライスという腕白二十歳前後男子食欲大解放状態で、無事完食。セルフの水を飲み干して「ごちそうさま」と告げて退店。大満足の大晦日であった。
 一時間も行列に並ぶのは、蒙古タンメン中本だけ。他の店で並ぶつもりはまったく無い。週に一回、金曜日、必ず食べる中本。
 まさに、『NО中本、NОライフ』蒙古タンメンのない人生など、今のところ考えられない。改めて確信した出来事でした。

<終わりに>

 レギュラー新企画・週刊「我がヂレンマ」元日号。いかがでしょうか。そろそろ5000字を超えそうです。この文字数は、元日号なので特別長いものです。来週からは2000字程度でしょうか。「メモの解説と考察」は毎回やるとして、他は自由に面白いと判断した内容で攻めていくつもりです。
 伊達巻を恵方巻が如く貪った、朝。昨日の残りの宮崎地鶏の炭焼きで、昼。そんな元日を過ごす私。
 今年はいい意味で暴走し、実力を大幅に向上すせる所存です。以上。

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