詩(詩)

 人間は文脈の束で編まれた織物である。多数の文脈を編んで人の形にしてそれが駆動するのだ。その文脈には当然、他者がいるのである。誰々といついつに見た〇〇。そういったものが、イメージを形成し、それがその人の認知を支配し、嫌悪や歓喜を生み出すのだ。
 であれば、我々はあなたと話す際、本当はあなたの文脈と語り合っているのである。あなたが嫌悪を語る時の顔はあなたの母であり、趣味について語るときは父の顔で。その複数の顔顔顔。その濁流の中に確かに貴方らしい顔を見つけたとき、私は貴方と語り合えたと思うのだ。
 文脈はある行動のパターンを生み出す。その行動のパターンはまた新しい文脈を生成し、それを編み込んでまた誰か別の人が人になっていく。遺伝子が身体的特徴を継承するものであるならば、行動のパターンも同じように脈々と継承されているのではないか。例えばつきもの筋のような一族の業や呪いの正体とは実はそういうものではないかと思うのである。
 それらを解呪していくこと、それが私の唯一確実に成したいと思えることの一つである。それこそが、祖先の供養と呼ばれることの最大の方法ではないか。
 私は確実に継承している行動のパターンがある。それらに新たな文脈を付け加え、それを別の意味に変えなければいけない。それはあたかもある言葉とある言葉をお見合いさせて新しい意味を見つけることである。人はそれを詩と呼ぶ。詩と呼ぶのである。詩はきっと杞憂と兄弟で、恋と親戚なのである。

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