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『「穴」から教わった人間味』

20230625

 小学校低学年くらいの時、いちばん好きな教科は体育で、二番目は「図書」だと答えていたと思う。

 「図書」の時間は、クラス全員で図書室に行って、それぞれ好きな本を借りて、授業時間が終わるまで自由に本を読むという時間だった。
ほぼ休み時間じゃんラッキー!と思っていた。
僕は、天気が良い日の休み時間は校庭で遊んだが、雨の日の休み時間は図書室によく行っていたからだ。高学年になってからは「図書」の授業はほとんどなかったように思うが、誰かに興味のないことを一方的に教えられるのではなく、ただ自分の好きな本を読むだけで1時間の授業が終わるというのは、今考えてみてもやっぱりラッキーだ。

小学生が読む本はみんな似通っていて、一番人気はなんといってもギネスブックだった。低学年ということもあり、当時は言葉や文章の面白さよりも、一目ですごさが伝わる奇怪な写真がたくさん載っているものの方が面白かったのだと思う。ギネスブックは常に最新版が争奪戦になっていて、次は私だとか、次は僕が読むんだとか、よくもめていた。

僕も争奪戦にこっそり参加しつつ、ギネスブックを見るのは好きだった。ほかにも、杉山亮さんの名探偵シリーズや当時活躍していた中村俊輔さんとか川口能活さんなど、サッカー選手の児童向けのドキュメンタリーみたいな本をよく読んでいた。

 そんな中で、当時ギネスブックに載っている奇怪さとは別種の、奇怪なタイトルがつけられた本が少し流行った。それが、「穴―holes―」という本である。確か、友達が表紙が真茶色で少年がぼつんと立っている「穴」とだけ書かれた本を読んでいるところを見かけ、タイトルと表紙の奇怪ぶり、そして「穴」というタイトルだけでは物語がどういった内容か全く予想がつかないところに惹かれ自分も読んでみたのではないかと薄く記憶している(少し調べたところ、著者はルイス・サッカーという人でアメリカで児童書の賞を取っていたり、映画化などもされているとても有名な本であるということが分かった)。

この物語のあらすじはあまり詳しくは覚えていないが、主人公の少年が身に覚えのない罪を着せられて、矯正施設である不毛なキャンプ地に送られ、そこの荒れた土地でひたすら穴を掘るという話だったと思う。
このあらすじだけだと、どこに面白さがあるのだろうかと少し不思議に思うのは当然のことで、よくこの本を読み切ったなと、十年以上前の自分を少し褒めたい。

 この本の最終的な結末やストーリーもほとんど覚えていないのだが、一つだけ今でも色濃く記憶に残っている描写がある。

それは、主人公の少年が矯正施設で知り合った友達と、罰として二人で山に登らされる場面でのことだ。矯正施設があるキャンプ場はとにかく暑く、土地も干上がっているという最悪な環境なのだが、山登りという過酷な場面で、二人が山に登っている最中の終盤でのこと。山登りの際には必要不可欠な水が残り僅かになってしまった時、この二人の取った行動が当時の自分にとっては衝撃だった。

小学生の僕が考えていたことは、仲良く二人で少量の水を分け合うとか、相手には申し訳ないが自分の命は自分で守れという大人の命令を理由に、一人で水を飲み切ってしまってもいいと思っていた。

しかし、主人公とその友達は、とてつもなく長い山登りで次第に会話が無くなっていた。そして、水を飲むか飲まないかについては、先に言い出した方が負けといった空気が流れ、どちらが先に水の話をしてしまうかという我慢比べがしばらく続くのだ。


今思うと、この二人の間に流れた空気感はとても人間らしいなと感じる。当時、この場面を読んだ自分はきっと、わからないようなわかるような、わかるようなわからないような、そんな感情になっていたと思う。それがきっと人間らしさを小学生にして、多少ではあるが理解するきっかけになったように思う。だからこそ、十年以上たった今でもこの場面だけは記憶に残っている。

「穴」を読む前までの読書は、ただただ物語の内容を面白がって読み進めていたと思うが、「穴」を読んでから初めて、登場人物の行動と自分だったらこうするという行動のズレみたいなものを発見することの読書の面白さを体験した気がする。

今では外国の文学作品はほとんど読まないのだが、「穴」と「少年の日の思い出」は人間らしさがにじみ出ていて、僕の記憶に残り続けている。

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