日記

様々な機会に恵まれて、アフリカのとある国にホームステイに行ってきました。病気を持ちながらも無事に帰ってこられて、感謝のきもちでいっぱいです。幸運と、関わってくれた皆さんの優しさと面白さに支えられた日々でした。

これは気づいたことのメモです。思考を巡らせた結果なので、今回の体験と直接関係ないこともあります。思い出したら追記します。



◯幼い頃からの極度の不安と恐怖、好奇心について

ー向こうで出会った女の子が、外国人の私に英語(彼女にとっての第3言語)で一生懸命に話しかけてくれました。

幼い頃の私に似ていると思いました。私も、好奇心旺盛でなんでも知りたがる子どもでした。

こんなに美しい世界への探究心は、大切に守られて尊ばれるべきものだと思いました。

私は日本でも外国でもよく人に声をかけまれます。今回の滞在でも、親切か不審者か微妙だなぁという経験が数回ありましたが、危険なことは回避できました。あんなに悩まされた動悸とパニックの前兆が、私を守ってくれました。


ー子どもが、もしくは若いたましいが、面白そうなことをやってみたり遊んでみたりすることは自然なことで、その性質を大人が濫用することは非常に罪深いことだと思いました。(父からの虐待について)

あの女の子にとって、彼女の持つ好奇心とちょっとした自信と神経質さがぜんぶ彼女の味方になりますように。そしてたくさんの優しい人たちに守られますように。そうこころから願っています。

ー旅をしたいとか、海外に行きたいというのは、とにかく親から逃げ出したい、現実逃避をしたいという願望だと、ずーっと思っていました。

でも、ちいさかった私も、人一倍臆病だったけれど、同時に本当にいろんなものを知りたかった。恐ろしいからこそ世界の全てを知りたかった。

この不安と知的欲求も虐待による影響なのかどうかは分かりません。でももう許そうと思います。虐待されたから私がこういう性格になったのだとしても、そんな自分を許そうと思います。



◯愛を受けとるにあたって
*やさしさやしんせつについて

少し事情を知っている教授が、私にさまざまなアドバイスをくれたのですが、それが悉く、いわゆる「うつの人、PTSDの人、病気の人に言うべきでないアドバイス」でした。

結構こころを抉られたのは確かなのですが、一方でそれもまあひとつの考え方だよなと。

「前に進もう」とか「とらわれるな」とかの鬼スパルタ発言も、言葉の意味とは別に、こちらを思ってくれる気持ちを受け取れるようになったことに気が付きました。

友達や支援者などたくさんの人に、私の被虐待体験のつらさに共感してもらったからだと思います。

弱音を吐く場所があるから、そのような発言に対しても相手との経験や考えの違いを踏まえて、それがどんな意図によるものなのか冷静に判断できるようになるのだと知りました。

少しでも傷ついたら死んでしまう(自殺未遂してしまう)私でしたが、少し傷ついたら友達とご飯食べようとか、詩を書こうという選択肢がうまれました。

また、精神・身体の複数の病気になり、複数の闘病アカウントを眺めるうちに、人はみんなちがう感受性をもって同じ言葉でも全く別に受けとることを身をもって体感しました。

年齢を重ねて、受けとれる愛は受けとっておこうという図太さも身につきました。



◯慢性疲労症候群と脳疲労について

ー英語で第3言語についての授業を受けていたのですが、奇跡的にあまり脳疲労の症状が出ませんでした。

その第3言語はまだ学び始めて数ヶ月で、街中の会話、ホームステイ先の家族の会話、テレビの音声も全く聞き取れないのです。
授業はハードでも、1日で脳が処理する情報量は日本にいるときよりも少なかったように思います。
(私は元々APD気味で聴覚情報の処理が苦手な自覚があります)


ー滞在国はとても不衛生で胃腸も悪くなり大変だったのですが、それでも私にとっては日本よりも感じるストレスが少なかったです。

シャワーの頻度は週1・2回がデフォルトなので、疲労感で入れなくても全く問題ないです。歯もあまり磨かないので、疲労感で磨けなくても問題ないです。

ー成田空港からの帰路の電車で、体中に力が入っている自分に気がつきました。車内がとても静かで整然としているので、自分もきちんとしなければならないというプレッシャーを無意識に感じていました。

日本の卒業式>日本の電車内>日本の都会の道>滞在国の電車内=日本の田舎道
みたいな緊張度です。

私はむかしから式典の雰囲気が苦手なのですが、東京で生活しているとそれを薄めた雰囲気をところどころで味わうように感じます。
そういう空気の方が落ち着くという人も多いと思いますが、(私も他方で騒がしいところや喧嘩の声なども苦手なので)個人的にはこれが疲労の一因になっている可能性はありそうです。



◯親と、記憶と、過去と離れること

ー特に精神面では、親と非常に大きな物理的距離が空いたことによる一時的な改善がありました。心理的侵害については不明ですが、少なくとも身体的侵害への恐怖記憶については、この瞬間絶対に会うことがないというだけでだいぶ落ち着きました。

そして、ひとつうえで色々と挙げてみましたが、こころとからだは繋がっているので(気合いのはなしではなく神経のはなしです)、それが慢性疲労症候群のほうの調子の良さに影響した可能性も高いと思います。

私は潔癖症なので、滞在国の不衛生さや汚さに大きなストレスを感じましたが、そんなのは凌駕するくらい親へのストレスは大きかったようです。残念で悲しいですが、仕方がありません。


ー滞在国で、私は来訪者で旅人でした。過去ではなく今を生きていました。家族がいないことと帰る場所がないことは当たり前で、その孤独を自由として楽しんでいました。

私の場合、ふるさとである日本にいながらそのように生きることは難しいです。過去が私に付き纏い、意味を付与し、定義してしまうのです。

どうするべきでしょうか。
私は日本の清潔さも食べ物も桜も大好きですが、親が死ぬまで海外を拠点とした生活をした方がいいのかもしれないです。

或いは、ふるさとにいながら旅人気分でいるその孤独や悲しみに慣れればいいのかもしれないです。自分の過去には、人と語り合うことができるような思い出が何もないということに。誇れるような強い思い入れのある経験がないということに。

周りの人はそんな私を、薄っぺらい人間だと思うのでしょうか。そして実際に私は、何もない人間なのでしょうか。

答えはまだでていないです。


ー過去の辛い体験を乗り越えることや切り離すことが難しいのは、虐待のなかに私の人生が置かれてしまったからなのかもしれません。

本当はそんなことはないのだろうけれど、それ以外の大切なものをたくさんたくさん溢してきてしましました。

私はやっぱり知りたいです。

本当に弱っちくて、人生をぜんぶ支配されてきたのだけれど、悲しみや憎しみや恐怖が、あたたかいものをすべて追い出して、空っぽになって生きてきたのだけれど、私の存在と人生を取り戻す方法を知りたいです。

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