今日は、こどもを抱えてのぼる帰り道の階段で感じる重さが、重く感じなかった。 この重みを、噛み締めて生きようと思い直した。いろんなことが起こった一日だった。 家にいるあいだは自分を、たっぷり甘やかさねばならない。軽いドラマでもみて、甘いものを食べて、帰り道には普段頼まない甘い飲みものをスタバで頼んだ。 どんな感情かわからない、という境地だった。涙だけが流れていった。悲しいのか、つらいのか、なにかもわからないまま、ただ泣きたかった。
先日、昔から気になっていた西洋占星術の占い師の方に鑑定してもらった。 なぜ、わたしが、、、?と感じる状況にでくわすとき、どうしてこんなことが起こるのか、そんなどうしようもない問いに、占いは天体の観点からこたえてくれる。答えのないものに対する救済のひとつとなり、自分をある視点から理解するための手立てとなる。あぁ、自分が生まれたときはこんな天体の配置だったから、こんな影響をうけて然るべきなのか、と。 自分の行いが悪かったから、起きたわけではないんだな、なんていうふうに誰かを
どうして自分ばかり?とおもうとき。 土生ちゃんが出ていたので見ていた『日曜日の初耳学』にて、福山雅治が言っていた言葉がいまの自分にぐさりと刺さる。 それは、こんな内容だった。自分の殻を破るのは自分ではなくて、周りにひっぱられることが多い。こんなこと自分にはできないとか、まだ無理だ、とおもうことでも自分にオファーがあったことに対して向き合っていくと、自ずとその地位が自分をひっぱりあげてくれる。一皮むける、みたいな話だった。 なるほど最近は、仕事が大変だったし、でも周り
6月1日大阪城ホールで開催された櫻坂46のライブを見に行った。声出しのライブが久しぶりだったことも相まって、ここ数年見たライブの中でもおそらく1番、本当によかった。その後も余韻がなかなか冷めなかった。 最近は「推し活」がはやっているけれど、私は小学生の頃からアイドルが好きだったので未だに「推し」とかそういう言葉はどう使ったらよいのか分からない。でもおそらくそういうもの。様々な思いを背負ってステージに立ちパフォーマンスをするアイドルの姿から、私はいつも、これまでも、沢山日
2019年のサターンリターンで人生から横殴りされたあと、心の奥底ではひとりで戦ってきた、と感じる日々だった。自分の周囲にいる人は自分の映し鏡だというけれど、自分ってそんな人間だったのかとショックを受けるほど正直ろくな人間が周囲にいなかった。新たな出会いもなく、(ここでいう出会いとは恋愛での出会いを指さない)あぁ、これは自分がこれまでの自分から脱皮して成長しない限り新しい人間関係は開けてこないのだろうと思った。 その頃からもう4年も経つのか。先日大学時代にお世話になっていた
仕事がお休みの平日は、とても静かだ。昨日はあまり寝付きがよくなかったので、とうとう寝ることが難しくなるなんて、と悲しい気持ちになっていた。眠れないまま、携帯でマッサージの予約をとろうかと考えあぐねていたけど、外にでる気力も体力もなかったのでやめた。 結局、近所の本屋へ行き雑誌を一冊買ったあと、食材を買って帰宅。Y2K新書でしきりにでてくる『ジュリー&ジュリア』を見ながら、チーズケーキとアイスカフェオレを飲んだ。 今日は野菜スープを食べたいと娘が言うので、これから晩ごはん
植本一子さんの『愛は時間がかかる』がとても読み心地が良かった。もちろん、『かなわない』もそうだし、私は人の日記や随筆が好きだ。だから、自分の書いてみたいと思った。「愛は時間がかかる」っていう言葉、本当にいい言葉だとおもう。事実を端的に示した言葉で、その通りだと頷くしかない。私も時間をかけながらゆっくりと進んでいきたい。思えば、20代の頃は焦っていたのかもしれないなぁ。今は幸せを焦らない、さまざまを味わえる余裕がある。この日記がその過程を残すものであればいい。 今日は仕事が