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おばあちゃん~私が体験した不思議な話~2000文字以内

小学2年生の夏、おばあちゃんが癌で亡くなった。
まだ子供だった私は死というものをよく理解していなかった。だから、寂しかったが悲しくはなかった。
 
大腸癌だった。1年近くの入退院を繰り返し、医者からもう助からないと宣告されると、最期は自宅で看取ろうと家族で決めた。
 
私の家族は祖父、祖母、母、私の4人家族だ。自宅のリビングにベッドを置き、そこにおばあちゃんを寝かせて何かあった時には皆で対応できるようにしていた。
とは言っても私はまだ子供だったので、お水を運んだり話し相手になってあげる事くらいしか出来なかったが。

余命宣告を受けた人を自宅で看病をするのは並大抵の事ではない。祖父も母も仕事をしていたし、母は子供である私のお世話もしなければならず、家の中は常にバタバタとしていた。
 
そこで活躍した介護用品がある。乾電池式のボタンとスピーカーがセットになっており、おばあちゃんがボタンを押すとスピーカーが「ピンポーン、ピンポーン」と2度鳴って、そのスピーカーを母が常に持っていれば料理や洗濯等の家事をしていてもおばあちゃんが呼んでいるのがわかるという仕組みの物だ。スピーカーはズボンのポケットに入るサイズでポケットやベルトに引っ掛けられる作りになっており、ワイヤレスなので家中どこにいてもすぐにおばあちゃんの元へ駆けつけられてとても便利な物だった。自宅用のナースコールといったところか。

少し値段は張ったらしいが、母は家事が捗るようになり買って良かったと言っていた。
 
おばあちゃんの病状が悪化するにつれ、その自宅用ナースコールが鳴る頻度も増えた。私も家にいる時に何度もその音を聞いた。
 
自宅で最期を看取ると決めてから1~2ヶ月後、おばあちゃんは遂に息を引き取った。60歳だった。早すぎる別れに家族や親戚中が悲しみに暮れた。
 
お通夜、葬儀、初七日、四十九日とあっという間に過ぎ去り無事に納骨が済んだ。我が家は代々お寺の納骨堂にお骨を収めていた為、おばあちゃんのお骨もそこに収めた。自宅からすぐ近所のお寺なので色々と利便も良かった。
 
納骨から数ヶ月が経ったある日の夜。
その日は母の友人が我が家へ遊びに来ていた。おばあちゃんを亡くして落ち込んでいた母を励ましに来てくれたようだ。久しぶりの来客に私も楽しんでいた。
 
テレビを見ながら談笑していると、いきなり聞き慣れた「ピンポーン、ピンポーン」という音が鳴った。その場にいた全員が一瞬驚いた。自宅用ナースコールの音だ。もう使う事もないのでどこかに仕舞っていたはず。
 
「今のっておばあちゃんの音だよね?」
 
何が起きたかわからない状況の中、私が最初に言葉を発した。
すると母が、
 
「そうだよね。ボタンに何か当たったのかな?」

そう言って自宅用ナースコールを探し始める。
 
「たしか抽斗に仕舞ってたと思うけど…」
 
と言いながら心当たりのある抽斗を開けてみると、そこにボタンとスピーカーがセットで仕舞ってあった。
母が友人にも申し訳なく思ったようで、
 
「ごめんね、ビックリしたよね。またいきなり鳴ると困るから電池を抜いとかなきゃ。」
 
そう言いながら乾電池を入れる場所の蓋を外した瞬間、母の顔色が青ざめる。
 
「電池・・・入ってない・・・」
 
「え?どういう事?」
 
母の友人も私も理解が出来ず、母の手元を覗き込んで驚いた。本当に乾電池が入っていないのだ。
 
その瞬間、家の外に消防車の音が響き渡った。近くで火事のようだ。
自宅用ナースコールの事で驚いていたが、近所での火事となれば我が家も危ないかもしれない。とにかく場所を特定しようと皆で外に出た。家から見渡せる範囲に火は上がっていなかった。安堵しながらも念の為に消防車が進んだ方向へ私たちも行ってみた。
 
そして数百メートル先の角を曲がった所でまたしても驚いた。とんでもなく大きな炎が上がっている。しかもその場所には心当たりがあった。つい数ヶ月前におばあちゃんのお骨を収めた納骨堂があるお寺だ。
 
私は、おばあちゃんが燃えてしまうと思い泣き叫んだ。思えばおばあちゃんが亡くなってから初めて泣いた。悲しいと思った。

 



後で聞いた話によると、住職とその奥様がお寺の隣にある自宅に火を点けて心中したそうだ。理由はわからない。

 あの「ピンポーン、ピンポーン」という自宅用ナースコールの音は、きっとおばあちゃんが火事を知らせてくれたのだろう。消火が間に合わず住職の自宅とお寺は全焼したが、納骨堂だけは無傷だった。


終わり

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