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掃除の会に参加して学んだこと36 ~ 学校の今昔、トイレから見えてくるもの         

 月に1,2回、学校や公共施設などのトイレ掃除を行っています。
 それぞれの場所ごとに、本当にさまざまなトイレがあります。
 床がタイルの所があれば、フローリングの所もあります。
 壁もタイルのところがあれば、木でできているところもあります。
 便器にしても、陶器で色が白いところもあれば、水色や緑の所もあります。
 いつだったか、白い便器の方が、値段が高いと聞いたこともあります。
 学校であれば、最近は洋式が増えてきたとはいえ、和式のトイレもまだまだ健在です。そして、ウォシュレットや便座の保温機能がないトイレの方が多いのではないかと思います(私が掃除した学校のトイレの多くは、保温機能がない便器がほとんどでした)。春や夏には感じないでしょうが、冬の寒い時期に冷たい便座に座って用を足すことは、子供達にもとってもかなりの負担、ストレスになるのではないかと思われます。子ども達が「声を上げる」ことをしないから気づかれないだけで、トイレ以外にも「我慢」してもらうことで、「成り立っている」「表面的にはうまくいっている」ように見えることは多くあるのではないかと感じました。

 少子化対策にお金も必要でしょうが、ぜひとも、今現在子供たちが生活している学校の中の設備にも税金をたくさん使ってほしいと思います。「自分が大切にされている」気持ちを持ててこそ、周りの人や物を大切にできたり、自分の子どもを大切に育てていきたい気持ちを大きくできたりします。
 
 さて、タイトルの話に戻します。
 学校のトイレを掃除することで、マスコミではなかなか報道されない学校の裏事情が見えてきます。
 いくつか紹介します。よかったらお付きあいください。


1 1年生のトイレから見えてくるもの

 今回は、1年生が使うトイレを掃除しました。
 今まで掃除したトイレと比べて汚れていました。
 要因は、いくつか想像できます。

・連休があり、掃除する機会が少なかったからではないか?
・1年生は、入学したて。掃除の時間がそんなにないんではないか?
・1年生で、掃除の仕方がまだ分からない子も多いのではないか?

 さらに、掃除しながら面白く感じたのですが、

「和式便所」の水が溜まるところに、「藻」が生えて緑色になっていました。

 私は、ただ「汚いな・・・」と思っていただけですが、会に参加している方から

たぶん、最近は家でもいろんな施設でも洋式トイレが増えて、和式を使う子がいないんじゃないか。使わずに水を流さないから藻も生えるのではないか」

という話が合って、なるほどと納得しました。

 中には、学校で始めて「和式トイレ」に出会うという子もいるかもしれません。
 そんな時、その使い方も学校で教えてもらうということかな・・・と想像しました。
 
 また、1年生のトイレは、他のトイレに比べて、臭いがこもっている気がしました(あくまで、今回掃除したところであって、他の学校全てではありません)。

 これも、会に参加する方から

「ひょっとしたら、ボタンを押して水を流すという習慣の子も少ないかもねえ。今は便座を離れたら自動で水が流れるトイレも多いから・・・」

という話があってハッとしました。たしかに、私は子供時代に「自分で水を流す」トイレを使い、大人になってから自動洗浄のトイレを使うようになったので慣れていますが、生まれてからずっと「自動洗浄トイレ」ばかり使っている子にとっては、自分で水を流すことは理解できないかもしれません。
 
 また、ただ押せばいいわけではなく、「水流」も関係してくるので、けっこう長く、3~5秒押し続けないと水が勢いよく流れません。1年生のトイレには、流し切れずに便器に汚物が溜まっているトイレも多かった理由も分かるような気がしました。

2 学校の今昔  学校は取り残されている?

 トイレの設備自体が、学校と家庭、それを取り巻く地域で差が出てきています。
 
 予算の都合もあるのでしょうが、学校のトイレは、和式、ウォシュレットや保温機能なし、自動洗浄なし・・・など古いままのところも多いようです。
 家庭や地域のきれいな最新式のトイレに慣れた子にとっては、「汚い、臭い、使いにくい」トイレで負担を感じるかもしれません。
 
 これは、先日参加した読書会で話を聞いたことです。

「昔は、学校で学ぶことが最先端、文化の中心だったんだけどねえ」

と、ある方が言っていました。
 
 戦後の「青空教室」を経験されている方で、家も地域も、みんな何もないところからのスタート。それでも、学校には、当時の家庭にはないようなものがあり、そこで学べることがうれしかったと言ってみえました。

 それは、ピアノだったり、レコードで今まで聞いたこともない外国の音楽を聴くことだったり。

親も知らないようなことを習える。それだけでうれしかったなあ・・・。

 そんなことを言ってみえました。
 
 しかし、今の学校はどうでしょうか?
 ひょっとしたら、家庭の方が、より最新式のものを取り入れていることの方が増えているかもしれません。
 また、学校で「初めて習う」ことは減っているかもしれません。
 中には「もう、塾で習った!」と学校の勉強より先に額数している子もいるかもしれません。
 そして、そんないろいろな事情をもつ、多くの子どもが教室に集まるという学校。

 多様性と言えば、聞こえはいいですが、何十人もいるいろいろな子を、食べ方、掃除の仕方、遊び方?まで教えて、まとめていく先生方って、改めて、難しいかじ取りをするのだろうなあと考えさせられました。

3 学校の役割 あれこれ

 私自身のイメージだと「学校は勉強するところ」ですが、今は事情も違うようです。

 特に4年前のコロナによる全国の学校が一斉に臨時休業した時に、考えさせられました。
 子供らが長期間(約3か月)、学校を休む状態になり、当たり前と思っていた学校の存在について考えさせられました。
 ある意味、次のような役割もあったと気付きました。

・元気そう、ちょっと体調が悪いみたいですと、心身の状態を確認してくれていた。
・子供同士の遊びの時間、先生との交流など、直接つながる場。
・給食によって、「栄養」を保障されている子もいた。
・今まで自分が知らなかったようなことを教えてもらえる、一緒に学べる場。
・・・

 
 なんだかんだと言いながら、やはり、

学校でいろんなことを保障されていて、そして学んでいることが分かりました。

 そして、掃除の会だけではなく、

「お話会(読み聞かせボランティア)」
「スクールサポーター(例えば、ミシンの調整、除草作業、図書館の本の整備・・・)」
「見守り隊(子供の登下校に付き添うボランティア)」

など、学校を支える組織や集まりもあるようです。

 学校の役割は違ってきているのかもしれませんが、自分たちの住む地域の「中心となる場所」であることは変わらないようです。

何でも学校任せにならないように、何か支える側にも回れるように・・・と掃除をしながら思いました。


 
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。

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