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火柱

おはようございます。
kindle作家のTAKAYUKIでございます☆彡
本日も懐かしいエッセイをお届けします(30歳前後に書いた記憶がございます)
それではごゆったり~。


あと10分でこたつから出なくてはならない。時刻は17時35分。テレビ画面では〇年〇組〇〇先生の再放送が流れている。何回も見ているけど、どうしても見てしまうのだ、この馬鹿ちんが!

何で僕は塾に通っているのだろうか? まあ自分から言い出したのだけど、もう飽きた。勉強つまんねーんだもん。数学の証明とか、公民とか、一向に話せるようにならない英単語と文法を頭に叩き込む残念な教育。それに先生の授業がつまんねーんだもん。そういう意味では社会人経験のある塾の講師の方がよっぽど面白く教えてくれている。だけどもう行きたくない。

中学校3年生の1月。4日の誕生日を過ぎた僕に残された時間はあと1月。1月後には高校受験日を迎える。ってか、早く来いよ、受験日の馬鹿ちんが!
僕は完全にあのドラマの影響を受けていた。ロン毛にしようかな?

17時45分。あと5分でこたつから出て自転車にまたがり、真っ暗な道を進んで行かなくてはならない。うんならかせば、もう少しこたつに入っていられる。それにドラマがクライマックスを迎えているではないか………。

その時だった。

「どっかああああーん」

いきなりの爆音に、僕は飛びあがった。瞬時に僕はこたつから出てその場に立っていた。
何だ? 何が起こった?

大きな振動も伝わってきて、家全体が地震のように揺れ始めた。
僕はゆっくりとこたつに入った。こたつに戻った。
もちろん、爆音が先だったので、地震ではないことは理解できた。

僕はニュース速報が流れるかも知れないと思い、テレビ画面を凝視した。
いやいやいや。こんな間近で爆音が発生し、家全体が揺れたのだ。
つまりここが現場ということになる。

「ねえ、何があったの?」
お風呂に入っていた妹が聞いてきた。双子の妹だ。
「知らん!」
僕は速攻で答えた。風呂場という密室で身体を清めていた妹に対して、知らんの一言で片づけてしまうところが、双子の関係性に難ありと容易に想像できるだろう。

「何をしているんだ!」
僕は独り言を言うと、脱兎のごとくこたつから出た。
2階から父親も下りてきたので、父親に続いて玄関を出た。

道路を挟んだ斜め前に建っている2階建ての家が、火柱に包まれていた。

玄関が空いていて家の中まで火に包まれている。
でも玄関が空いているということは、住人は無事に避難できたということなのか? 普段から親交の無い家なので、何人住んでいるのか分からない。
この家の北側と東側は砂利の駐車場になっていて、西側には道路しかない。南側は道路を挟んで僕の家が建っている。その距離、わずか10メートル。

まだ自宅の庭を出ていないのに、頬に当たる風が熱い。

「TAKAYUKI、水持ってけ!」

父親が水を汲んでくれたバケツを持った僕は、すでに発生している野次馬たちのところまで行った。が、これ以上は熱くて近づけない。熱風が僕たちを寄せつけないのだ。

「もうだめだよォ」 
僕の家の隣に住む下駄屋さんが言った。昔、下駄を作っていたので近所では下駄屋さんで通っている。本名は実方さん。僕は小学生の頃、実方さんをみかたさんと呼んでしまい、赤っ恥をかいた事を思い出した。

でもせっかく水を汲んできたのだと思い、僕は勇気を振り絞って数歩前に出た。熱い。顔が焼けそうになる。そして僕は助走をつけて勢いよくバケツから水を飛ばした。しかし水は瞬時に蒸発してしまい、火柱が動じることはなかった。
「あぶねえから下がれョ」下駄屋さんに言われた僕は、野次馬の中に戻った。

5分経過したけど、消防車はまだ来ない。広報無線すらまだ聞いていない。真っ暗な宵闇に抗うように、煌々と燃え盛る火柱。
僕の両膝は震えていた。

「ボン、ボン」と2回爆発が起こった。僕たちは数歩後退した。

全焼は免れないだろうと誰もが感じていた。それどころか、僕の家の庭の木に燃え移る可能性すら出てきた。幸いそこまで風は強くなかったけど、無風ではない。

「おいおい!」
いつの間にか僕の隣にいた父親が2階を指さした。火柱で包まれている2階の出窓から人の顔が出ていた。僕たちを見下ろしている。住人が取り残されていたのだ。すでに炎は家中に回っている。逃げ道はない。
どうするのだろう。梯子でもあるのかな?
その人は開いている出窓に片足をかけると、勢いよく飛び降りた。砂利の地面に両足を着いたその人は、そのまま動かなくなった。近くの野次馬たちがその人を安全な場所に移動させた。

僕が爆音を聞いてから20分後、ようやっと消防車が到着した。
遅いぞという怒声が聞こえる中、消防隊員たちは無駄のない動きから、大量の水を放出し始めた。
2人が放水し、後の消防隊員たちは右往左往している。
相手は血気盛んな火柱。予想通りなかなか火柱の勢いは衰えなかった。
ただ僕たちは見守るしかなかった。

それから30分以上経過してようやく放水が止まった。
2階建ての家には柱一本立っていなかった。

僕が玄関のドアを開けると、ちょうど電話機が鳴った。友人からの安否電話だった。広報無線で知って連絡をくれたのだ。ありがとう、お調子者ののぶかつ君。

気がつけば塾に行く時間はとうに過ぎていた。お風呂から上がった妹は、仏頂面で僕を睨んできた。母親が帰宅すると、父親が晩酌を始めた。

その後、僕は間近に見た火柱が脳裏に焼き付いて、夕食時も気分が落ち着かず、お風呂に入ってもあの爆音が頭の中でずっと反すうしていた。布団に入っても燃え盛る火柱を思い出してしまい、なかなか眠れなかった。
本当に怖かったのだ。

翌日、玄関のドアを開けると、あるはずの家がなかった。真っ黒になった木片や残骸、思い出などが静かに堆積していた。

駐車場で一服していた作業員たちが一部始終を見ていたそうだ。
「どっかあああーん」という爆音と同時に、瞬時に数メートルの高さまで火柱が上がり、あっという間に家中が炎に包まれたそうだ。

火事の原因はガス爆発だった。

当時はどの家庭もプロパンガスだった。母親がよく元栓をちゃんと閉めたのかと、しきりに言っている意味がこの時はじめて理解できた。ガスコンロの周辺をこまめに掃除ていた母親の行動も納得できた。

あの火柱から15年以上が経過した現在、僕のアパートはプロパンガスを使用している。都市ガスではない田舎に住んでいるということになるのだが、問題はそんなことではない。ちゃんと火の管理ができているのかが問題なのだ。
ガスを使用している時は必ず換気扇を廻し、使用後はすぐに元栓を閉めるようにしている。どんなに眠たくても必ず元栓を確認してからベッドに入るし、外出する時も必ず元栓を閉にしてから出かけている。油汚れはその日のうちに雑巾で除去し、月に1回は換気扇の清掃もしている。

時代が流れて安全性は確実に向上した。だけど今でも僕の頭の片隅に、あの火柱が居座っている。僕の教訓になったのは言うまでもない。

15年以上経った今でも、あの場所は空き地のままだ。


【おしまい】


いかがだったでしょうか。
中学校3年生の冬に起きた、火事の体験談でした。
本当にあの火柱と顔に当たる熱風は、今でも忘れる事ができません。
これから本格的な冬に突入します。

みなさん、火の用心ですよ!


【了】

https://note.com/kind_willet742/n/n279caad02bb7?sub_rt=share_pw

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