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志田という男 後編

山口県の火力発電所に出張

東京駅14時出発の新幹線に乗った僕は、1人だ。
志田が乗り遅れたのだ。30歳の大人が電車に乗り遅れる?
僕はシュウマイ弁当を食べながら缶ビールを飲んだ。
今日は日曜日で、ビジネスホテルへの移動のみ。なので今日中にチェックインすれば、何ら問題はない。そもそも僕は1人で移動しようと決めていた。ところが志田がどうしても一緒に移動して欲しいと懇願してきたので、僕は渋々了承したのだ。
にも関わらず平気で遅刻をしてくる志田。遅れるという電話連絡すらなかった。
先週の工場勤務では安全不適合を発生させ、僕と課長を巻き込んだ頓馬の志田。
どこまで迷惑をかけ続けるのだろうか?
「いい天気だ」
雲一つない快晴。気温26度。
5月に入ったばかりだけど、すでに日中は暑い。初めて行く山口県には、どんな出会いが待っているのだろう。
僕は2本目の缶ビールを開けると、ポテチも開けた。


現場初日、安全教育終了

10時30分。まずは事務所に届いている資機材を現場に移動させる。それから現場でRKYを実施すれば、もうお昼だ。現場作業に着手するのは午後からでいいだろう。
「志田さん、現場に行こうか」
僕の呼びかけに対して、志田が黙ってこちらに歩いてくる。
「志田さんっ!」
突然、志田が後ろ向きに倒れた。
「おいっ」
僕の声が事務所内に響いた。
幸い志田はヘルメットを被っていたので、後頭部直撃は免れた。

安全教育の講師を務めた、稲光さんがやってきた。
先週の工場での悪夢が、僕の脳裏によぎった。
「顔色が真っ青じゃないかと、講義中に言おうと思っていたんだ」
稲光さんのメガネが光った。
「志田さん、大丈夫? 起きれる」
「いやっ………このまましばらく、こうしていたいですぅ」
志田の声は、もはやほとんど聞こえない。
それも薄目の状態で言っているので、笑いそうになる。
「なんだコイツは?」
稲光さんのメガネが曇った。
「すみません。きっと貧血だと思います」
「松平さん、それはちがいます!」
志田が瞬時に言い返してきた。しかも声量が戻っているところが癪に障る。
「それなら立てるだろう」
僕も語気を強めて言い返した。
「とにかく、医務室へ連れて行くか」
稲光さんと僕で、志田を抱えて医務室に行った。
そのあと、僕は課長に電話をした。出なかったので留守電に一報を入れておいた。

2時間後、医務室のベッドで寝ている志田に、僕は声をかけた。
「熱もなくて血圧も安定している。何が原因かわかる?」
僕は志田に対して、敬語を使うのをやめた。馬鹿馬鹿しい。
「たぶん…頑張り過ぎたんだと思います」
志田の声は本当に小さくて聞きづらい。
「何を頑張ったんだ? まだ現場にも出ていないのに」
「実は昨日の夜………」
志田が語り始めた。


志田が語ったこととは………

「実は昨日、18時からアイドルのコンサートがあったんです」
志田が目をつぶったまま、ボソッと言った。
「どこで?」
「小倉です」
「えっ? じゃあ新幹線で小倉駅まで?」
志田がわずかに首を動かした。
「それだと、領収証があっても清算できないぞ」
「いいんです。それは」
志田の唇が尖った。
この顔が一番腹が立つと、僕は再認識した。お祭りで売っていた、あのひょっとこのお面よりも唇が尖っていて、思わず爪を立てて潰したくなる。
「21時にコンサートが終わりました」
「楽しかった?」
一応、感想を聞いてみる。
「松平さん、それは愚問ですよ」
志田がにやけた。それも目をつぶったまま、志田がにやけたのだ。
僕は志田のデコをめがけて、軽くチンコロをした。
「痛い。暴力だ」
「ごめん、ハエが止まってたから」
「チンコロではハエを倒せません!」
志田の声に張りが出てきた。
「悪かった。それで?」
「あのアイドルたちに、僕は人生を救われたんです」
「はあ………」

詳細はこうだ。
志田は小4から高3まで、クラスメイトから総スカンを喰らっていた。
そんな最中、テレビで見たアイドルに一目ぼれをした志田は、高1の時に初めてコンサートを見に行った。そこで志田は感動して勃起もして歓喜の涙を流し続けた。
そして何とか高校を卒業できた志田は、無事に就職を果たす。だけど就職先でも総スカンは続き、志田は転職を繰り返すようになり、今の会社に流れ着いたのだ。
それでも志田にとって、アイドルはまさに恩人であり、神なのだ。
だから可能な限りコンサートに参加しているそうだ。

志田の意外な一面を知った僕は、トイレに行った。


志田という男の正体

トイレから戻ってきた僕は、愕然とした。
志田がこちらに背中を向けて寝ていたからだ。
しかも上半身を脱いでいる。
「その傷は?」
志田の背中一面に、無数のミミズ腫れが縦横無尽に走っている。内出血して紫色に変色している箇所もある。
「志田さん、誰にやられた?」
僕の問いかけに、志田がゆっくりと仰向けになった。
「女王様です!」
志田がこちらを見た。志田の目がとろんとしていた。

詳細はこうだ。
コンサートが終わって最寄り駅に到着したのが昨日の22時30分過ぎ。頓馬な志田は、駅の南口側を歩いてビジネスホテルを探していた。ビジネスホテルは駅の北口側にあるのに…。
志田はそのままネオンに誘われるまま、風俗店へ入店した。
そこはSM店だった。志田はソフトプレイを望んでいたので店外に出ようとした。が、屈強な男たちに阻まれ、強制的に3時間コースをプレイさせられてしまったのである。
3時間で6発発射。60000円を支払った。
つまり、SM店からボラれたのである。
SM店を出たのが午前2時。
暗い夜道を彷徨い続け、ビジネスホテルに到着したのが午前3時。
寝坊するといけないので、志田は一睡もしなかったそうだ。

僕は大きくため息をついた。
志田といる限り、出張は楽しめそうにない。
僕は咳払いをしてから言った。
「志田、君は仕事をなんだと思っているんだ?」
僕は志田を呼び捨てにした。申し訳ないが、さんをつける価値もない。
「それは生活の糧ですよ」
志田がまたにやけた。
僕のこめかみが、ピクッと動いたのが分かった。
「お前ひとりで…お前だけで仕事をしているわけじゃないんだぞ!」
僕の怒声に、志田の全身がビクッとなった。志田の唇が尖った。
「先週の工場の件と言い、昨日の新幹線に乗り遅れるわ、アイドルのコンサートを見に行ってSM店で2時過ぎまで楽しみ一睡もしなかった結果が、現場初日にしてこのざまじゃないか」
僕は一気に言った。これでも自分が早口になっているのを抑えた方だ。
「僕の立場はどうなる? それにお前は誰から給料をもらっているのか、理解しているのか?」
「それは会社に決まってるじゃないですかあ」
志田が素っ気なく言った。
「給料はな、会社からではなく、お客様から頂くんだよ。この馬鹿頓馬が!」
僕は今まで座っていた丸椅子を蹴っ飛ばした。
「う…うわあああああっ」
志田が叫びながら、ベッド上で手足をジタバタさせはじめた。
これが志田の本性だ。ついに露わとなった。
自分よがりで他人の事はおかまいなし。自分の殻に閉じこもり、困るとすぐに不貞腐れ、そしてわめく。
今日まで、このようにして許され生きてきたのだろう。
だけど僕は違う。僕はこのタイプの人間が大嫌いだ。こいつの面倒を見続けるのは相当時間がかかるけど、それでも真っ向から向き合って、この腐った性根を叩き直さなくては、お客様から給料をもらう事なんて到底できない。そもそもこんな奴に、誰が仕事を頼みたいと思うのだろうか。
仕方がない。これ以上、志田の迷惑行為に付き合っている時間は無いのだ。
僕は右手で拳を作った。
「ガラガラッ」
医務室のドアが開いた。
「松平君」
課長だった。
スーツ姿の課長が、息を弾ませながら立っていた。
「どうして課長がここにいるのですか?」
僕の問いかけに課長は頷いた。
「先週の土曜日から緊急対応で、広島の石炭火力に行っていたんだ」
「そうでしたか。無事に終わったんですか?」
「何とかね。松平君の留守電を聞いたのがちょうど広島駅でレンタカーを返却している最中でね」
僕は安堵のため息を漏らした。
課長がネクタイを緩めながらこちらに向かってくる。
「か、課長…松平さんにやられました」
志田がぐずりながら、課長に背中を見せた。
「お前ふざけるな!」
僕の全身が一気に熱くなった。
「志田、酷くやられたな」
課長の呼びかけに、志田が泣き出した。
「はいっ………もう松平さんは容赦しないんです。すごく怖かったです…」
「起きれるか?」
課長の優しい声に導かれながら、志田がゆっくりと起き上る。志田は課長に見えないのをいい事に、僕に向かってにやけた。
「この馬鹿者が!」
課長が志田の右頬をビンタした。
甲高い音が室内に響き渡った。
「松平君、本当にすまなかった」
課長が僕にこうべを垂れた。
「志田、今すぐ荷物をまとめろ」

午後から課長と志田は、一緒に工場へ戻って行った。
翌日、本社から2名の作業員が応援にやって来てくれた。

2ヶ月後、志田は会社から厳重注意を受け、2等級降格となった。志田の基本給は、およそ12000円下がった事になる。最終的に課長が志田の面倒を見続ける事になったそうだ。
課長、お疲れ様でございます。

半年後、僕は工場勤務を終えて本社の安全課に戻った。

さらに半年が経過し、4月の新年度を迎えた。
「ま、松平係長、なんでしょうか?」
なぜか怯えている志田に対し、僕は言った。
「明日から横須賀火力発電所に出張だ。段取りを頼む」
「し、承知しました」
志田がこうべを垂れた。志田の頭頂部がくっきりと見えるようになった。僕は笑いを堪える。
志田が駆け足で資材置き場に向かった。
僕はパソコンを閉じると、大きく伸びをした。
事務所仕事もいいけど、やっぱり現場がいい。それも出張は久しぶりだから、なお嬉しい。
一緒に行く部下に難ありだけど…。

「準備が整いました。松平係長、確認をお願いします」
志田がまるで兵士のように直立不動で立っている。
「志田、積み忘れ一個につき、生ビール一杯だぞ!」
僕はあえて脅してみた。
「さ、最終確認をしてきます。ちょっとお待ち下さい」
志田の後に続いて、僕も資材置き場に向かった。
志田のプリ尻は、もはや見る影も形もなかった。


【了】

https://note.com/kind_willet742/n/n279caad02bb7?sub_rt=share_pw

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