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小4の心の闘争と葛藤

担任の後藤先生は正直者で優しい。身長が高くて足も長い。30歳を過ぎて何で独身なのか僕には不思議でならない。それにサッカー部の監督でもある。
後藤先生、来月に行われる4年生だけのミニサッカー大会では必ずゴールを決めて見せます。

「よ~し。みんな後ろを見ろ」
後藤先生の一言で全員が振り返った。児童40名の描いた習字が壁に貼られている。
「みんな頑張ったな。よく書けていたぞ。習字とは人の心を表す鏡だ。自分以外の字も見てごらん」
僕は左上から順番に見ていく。僕もそれなりに書けたと思う。だけどみんなは僕よりずっと上手に書けている。
その時、1枚の半紙に僕の目が留まった。
あれっ?
僕は右目をこすると、もう一度見た。
やっぱりそうだ。点がひとつ多い。
今回の習字のお題は『鳥』だ。



だけど、ちづるちゃんの『鳥』は、点が5個書かれているのだ。
まだ誰も気づいていない。ってか後藤先生、まさか気づかなかったの?
僕は『鳥』の点を5個書いた当人を見た。
ちづるちゃんが背中を丸めてモジモジしている。
って事は、ちづるちゃんも気づいているんだ。点がひとつ多いことに。

どうしよう………。

これは言った方がいいのかな? それとも後で後藤先生に一人で話した方がいいのかな?
日頃から後藤先生は気がついたらすぐに言いなさいと教えてもらっている。だから言わないとダメなのは決まっている。だけどみんなの前で言おうが、僕が一人で後藤先生に言おうが、ちづるちゃんは書き直しになる。しかも点が一つ多いという凡ミスの為だけに。
その後、ちづるちゃんがからかわれたどうすればいい? 
『鳥』ちゃんって呼ばれたら、誰が責任を負うんだ。チクった僕がみんなから恨まれるかも知れない。

うーん。

僕はまだ9歳。僕には荷が重いよ。10キロのお米より重いよ。
だけど判断を下さないと、僕は正直者ではなくなってしまう。
「授業を始めるぞ。TAKAYUKI、35ページから読んでくれ」
「ひゃい」
僕は裏返った声を出してしまった。
教科書を開くも35ページが見つからない。
焦るな。今は『鳥』を忘れるんだ。
「みずとみず蒸気の違いについて………」
「TAKAYUKI、みず蒸気ではなく、すい蒸気と読むんだ」
しまった。みずにつられてそのまま読んでしまった。
失笑が起こった。
僕は顔が熱くなるのを感じた。

給食の時間となった。
机を向かい合わせて6つの島を作って食べるのがルールになっている。
僕の席から右上を見ると、あの『鳥』が見える。点が5個ある『鳥』が…。
ここから見てもはっきりと点が5個あるのに、何でみんな気づかないのだろうか。
僕以外に39人の児童と、大人1人がいるんだよ?
僕は誰にも言えずにまだ迷っている。

「いただきます!」
日直の直美ちゃんが大声で言った。
「TAKAYUKI、どうした、よそ見をして」
後藤先生がはさみパンを持ちながら聞いてきた。
後藤先生は日替わりで、各島に自分の机を持ってきて食べる事になっている。
今日は僕の島で、すぐ隣で後藤先生も一緒に給食を食べている。
「あっ…大丈夫です」
僕もはさみパンを持つと口に運んだ。
「マーガリンをつけないのか?」
後藤先生がツッコミを入れてきた。
「つけます」
焦った僕はマーガリンの袋を床に落としてしまった。
「TAKAYUKI、何をそわそわしているんだ」
後藤先生が睨んできた。眉毛の太い後藤先生。
後藤先生の好きなところは、児童の名前を必ず下の名前で呼ぶことだ。これは単に嬉しい。児童の事をちゃんと考えて認めてくれている感じがするから。
だから保護者の間でも、後藤先生は断トツに人気があって信頼もされている。
あとは結婚だけだね、後藤先生。

僕はマーガリンの袋を拾うと、牛乳のパックを開けてストローをさしてから飲んだ。
これはチャンスだ。いっその事、早く言ってしまおう。
「せ、先生………鳥が…5個あるんです」
「なんだって? 鳥が5匹もいるのか?」
僕の言い間違いを、後藤先生が勝手に解釈をした。
後藤先生と島の5人の児童が、一斉に窓を見た。
僕は笑いを堪える。
そんな5匹もいる訳ないじゃん。
「TAKAYUKI、来週は授業参観日だ。しっかりしよろ。当てるからな!」
後藤先生は真面目な顔をした後で、ニコッと笑った。いつもの戦法だ。
「大丈夫です!」
僕はそのまま言えずに、給食を完食した。
こうなったら、もう黙っていよう。
後は授業参観日で、誰かが発見する事を願って。

3日後、授業参観日を迎えた。
後藤先生もスーツを着て張り切っている。
「TAKAYUKI、68ページを読んでくれ」
本当に当ててきた。
だけど僕はちゃんとつっかえずに読む事ができた。
すると後藤先生から褒められた。

翌日、飾ってあった習字を取り外す事になった。
画鋲に気をつけながら、みんな自分の半紙を回収した。
僕はちづるちゃんを見た。ちづるちゃんは半紙を持つと、くしゃくしゃに丸め出した。
「なにやってんの? ちづるちゃん!」
くしゃくしゃにした半紙の音を聞いた隣の席の直美ちゃんが、ちづるちゃんの手を止めた。
直美ちゃんはミニバス部に所属していて頭も良く、正義感の持ち主でもある。明るくてよくしゃべる子だ。
「いいの。これはいいの」
ちづるちゃんが駄々をこねる。
「よくないよ、ちづるちゃん。お部屋に飾ろうよ」
直美ちゃんがくしゃくしゃになった半紙を伸ばし始めた。
うそ…直美ちゃん、そのままでいいよ。

僕は一人焦る。でもどうしたらいい?

ちづるちゃんもトイレを我慢する時のように、そわそわしている。
直美ちゃんが半紙を可能な限り真っすぐに戻した。
そして、直美ちゃんの目が大きくなった。
まずい!
僕は直美ちゃんの席の横に立った。
すると直美ちゃんが千鶴ちゃんに向かって言った。
「ちづるちゃん、字が落ちついていて綺麗だね」
言われたちづるちゃんが苦笑いを浮かべた。顔が赤くなっている。
良かった。でもどうして直美ちゃんも気づかないのだろう。こんな至近距離で。

僕は改めてちづるちゃんの半紙を見た。

そして僕は慌てて自分の口を右手でふさいだ。吹き出しそうになったのを堪える。
解かった!
何でみんなが『鳥』の点が5個もあるのに気づかなかったのか。
それはちづるちゃんの名前だ。
『鳥』の横に小さく書かれたちづるちゃんのフルネーム。僕の席からはフルネームまでは確認できなかった。
なんと、「千鶴」と書く『鶴』までも、点が5個書かれたいたのだ。
つまり『鳥』と『鶴』、両方とも点が5個書いてあるのだ。

ここに衝撃の事実が判明した!

普段、『鳥』や『鶴』の点なんて誰も数えない。点がひとつ少ないと違和感があるけど、ひとつ多い分には点が滲んだと解釈する人がほとんどだと思う。
だから点が5個書かれている、この『鳥』と『鶴』が正解だと僕たちは思い込んでしまったのだ。
それに自分の名前の漢字を間違える子なんて初めてみた。
なんというトリック?

ってか、ちづるちゃんは阿保なの?

すごく疲れた僕は席に戻ると、大あくびをした。
「TAKAYUKI、ずいぶん暇そうだな。花瓶の水を変えてきてくれないか」
後藤先生から雑用を押し付けられた僕は廊下に出た。
僕はもう一度大あくびをすると、水道の蛇口を上向きにして水を飲んだ。


【了】


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