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不条理なのは、人が人に欲情するのが悪ではないということ。

先日、ナンパについていってみた。

急に話しかけられるとびっくりして逃げてしまっていたので、今まではナンパ師の話をまじまじと聞いたり、ついて行ったことはなかった。
ただ今回の場合非常に穏やかに声をかけてきたのでそこまで驚かず、まだ私に声をかける奴がこの世にいるのねと感心しながら話を聞いていた。

2022年の人生方針は「人生でやったことがないことをやる」だったし、もうナンパされることもないかもしれないのでついて行ってみた。

ナンパの目的が性行為なのは知っていたが、目の前の知らない人に性的な目で見られていることが明白の状態で飲むことの居たたまれなさ、厳しさを感じた。ごく自然に脅かされている気持ちになり、一刻も早く逃げ出さなければと思ってるのだなと思った。

ただ、決してこの男が何か悪いことをした訳でもない。合意なく誘拐した訳でも、金を騙し取った訳でもない。ちゃんと私と合意形成をし一緒に飲んでいるのだ。なのに私は不快に感じている。なんという不条理。

セクハラ、パワハラの判断基準として、相手が嫌がっていたらそれは全てハラスメントと言われる。
職場等の公的場面では特に、性を切り離して遠くに置いておくことの重要性をひしひしと感じている。だって仕事と性は関係ないから。さらに、公的な場面で性的にみられることが不快な人の方が多いから。(嬉しい人もいるだろうけど。)
嬉しい人と不快に思う人がいる場合、不快な人を減らした方が良いので、そちらに合わせる。とても合理的だ。

ただ、私的な場面だとどうだろう。私的な場面では、相手と合意形成ができていて、法的にも問題がなければ性欲を開放することは許されている。
ただ一口に「性欲を開放する」と言っても、どんな人が、どんな方法で開放するかで人を喜ばせたり不快にさせたりトラウマを植え付けたりする。怖すぎる。
開放する側は相手が何を不快に思い何を嬉しいと思うか等わからない。だからこそコミュニケーションが重要なのだ。とはいえ、初対面の人と話す際、性的な言動以外にも嫌な思いをする場面は多々あるので(私も嫌な思いを幾度とさせたきたことだろう)、最初から人を傷つけないこと等不可能な気もする。

そのため私は開放側を一概に悪いと責め立てることはできない。たとえどれだけ擦り合わせた後でも、やられてみないと分かんない部分もあるから。もちろん嫌なことされたらめいいっぱい責め立てはする、ムカつくから。でも「あ、なんかやっぱ嫌だ」なんてお互いザラにあるのが現実なので相手を100%悪いと責め立てるのはなんかモヤモヤするのだ。

私は自分の意志で話を聞いて、自分の足でその人について行ったのだ。その行動の責任は私にある。
相手は合意が取れたと思うだろう。当たり前だ。ついてきたのはお前だろって話。

有名人のセクハラ、パワハラをリークして顔出しせず罵る被害者と世論。めっちゃ暴力的である。許しがたい行為に対して声を上げることはとても大切だし、何もしてないのに事故に遭うようなセクハラパワハラは本当に最悪だけど、被害者側にも動きがあったのだとしたら全てを相手に委ねておいてその後文句を言うのは違う。暴力や脅しや抑圧を受けてどうしようもなく相手にひれ伏してしまった場合等を除いては、被害者と名乗る者にも自身が取った言動に責任がある。私は自分の言動に責任を持ちたい。少しずれるけど、「プライド」というドラマの亜樹扮する竹内結子が妊娠したと嘘ついた女をビンタするシーンを見たことはあるだろうか。あの亜樹はまじでかっこいい。ああいう人になりたい。平成の作品なのであのドラマの全ての思想に共感はできないが、あのシーンの亜樹はまじ尊敬である。

他者が当事者間の責任の所在を判別することって本当に難しいのだと思う。だからえん罪も泣き寝入りもあるし最悪だ。

初対面の人を100%傷つけないことは不可能でも、自身が良くないと信じる言動を避け、だからといって決めつけず、相手を知ることに注力するしかない。悦びを与えることができなくとも、害を減らす努力はできるのだ。

とりあえずナンパについていくという初体験は卒業したので、今後は目を合わさないようにしていこうと思う。それが私のできる最小かつ最大限の行動だ。


※2022年11月11日執筆

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