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ホッチキスinかつ丼

職場の近くに好きな定食屋さんがある。

私はそこのかつ丼が大好きで、午前中に起きたトラブルをなんとか収拾させ達成感と疲労感で頭をもたげている時や、おぞましい食欲に襲われている時に食べに行く。

ある日いつものようにかつ丼を食べていたら、ガリっという音がした。何だろう~と口から取り出してみたら、ホチキスの芯だった。

お、ホチキスだ。と思った。

私は潔癖症どころかどちらかと言えば汚い側の人間だし、別にホチキスの芯のことを毛嫌いしている訳ではないし、たしかそこまで嫌な気持ちになっていなかったと記憶している。

強い怒りが湧き上がっていたのなら、すぐさま店員を呼びつけ『どうなってるんだこの店は!せっかく美味しいのにがっかりだよ!』と舞台俳優顔負けの怒号を浴びせることもできたのだが、残念ながらそこまで怒りが爆発していた訳ではなかった。

ただ直感的に、ホチキスの芯が入っていた事を店員に伝えた方が良いのではないかと思った。

思ったことは即行動タイプなので、すぐさま店員を呼ぶ。「すみませーん。」

60代くらいのおばちゃんが「はいはい」と言いながら近づいてくる。

「かつ丼にホッチキスが入ってました。これ」

「まあー!すみません。あらまぁ、本当にごめんなさい。」

「いえ」と言った瞬間、私はなぜこの人にホッチキスが入っていたことを伝えたかったんだろうと疑問に思った。

日頃のストレスをぶつける格好の対象として罵ってやろうとか、このお店を良くしたいとか、今後のお客さんのためとか、そういう感情は一切なかった。

おばちゃんがサッと奥に引っ込み、厨房にいるおじちゃん店主に罵声を飛ばす。「ちょっと!ホッチキスが入ってたって!信じられない!」

「なんで紛れ込んじゃったんだろうねー、ありゃーおかしいね」

と丸聞こえの会話をぼんやりと聞きながら、いつもそうだと思った。

私は仕事をしている時も、これは問題だから上司や同僚に伝えておかなきゃな、と思ったらすぐ伝える。ただいつも、「こうこうこういうことがあってここが問題だと思うから○○してください」の「○○してくだい」の部分が抜けているのだ。

そんなことを考えているうちに、おばちゃんが戻ってきて「本当にごめんなさいねえ。もう1個作ったから、夜にでも食べて」と袋に入ったかつ丼を手渡してくれた。

返金とか他にも対応方法はあったのだろうけど、お店側が対応方法を選択してくれたことに少しほっとした。どの対応方法がいい?と聞かれても決め兼ねる私の姿が容易く想像できるからだ。

決められる人間になりたい、と心底思った瞬間だ。たとえ管理職にならなくとも、上に指示を仰ぐ場面はいくらだってある。「こういう理由で、こうしてください」と理路整然と指示ができる人が私の目指す人だったことを再確認した。

私は聖母のような寛容さを持つことで有名だが、少し怒っていたんだと思う。だから「お店のためだ」とかなんだとか正当化する前に店員を呼んだのだ。

夜ごはんのかつ丼も、相変わらず美味しかった。



※2022年7月13日執筆

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