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池田大作氏の訃報後、改めて見た高校生活

元創価4世のキネシンです
 
 先月、池田大作氏の訃報が発表されました。発表を聞いてから、ふと自分の高校時代を中心に過去を振り返ることが多くなりました。
 私は、創価高校を卒業、他大学進学後に組織や信仰に疑問を持ち脱会した後、大学院生として新たなステージに進みました。ここでは、改めて高校時代を振り返ってみて、心の整理をしたいと思います。実は、組織に疑問を持ち始めて間もない頃に、「これまでの人生を振り返って①」という記事を書いて高校生活について振り返ったことがあります。その時と随分見方が変わったように感じるので、もし良ければそちらの記事も合わせてご覧ください。

逃げられない環境

 まず、私は田舎にある実家を離れて上京し、高校の近くで下宿生活をしていました。信心強情な創価学会員のご夫婦の下宿主のもとで、起床時間や門限が決められ、朝夕に必ず30分ずつ読経し、その日の聖教新聞の読み合わせをしていました。学校に行けば、池田大作氏の書籍の読み合わせ、それに関連する学生同士の対話と呼ばれる話し合いの時間が頻繁に設けられ、至る所に池田大作氏の写真や名言めいたものが飾られていました。なので、学校と下宿の往復の毎日の中で、池田氏に関する物事が目に入らない日はなく、周りの人は当然皆信仰をしていて、逃げ場などありませんでした。

男女交際禁止の校則

 また、現在創価高校は共学となっていますが、校則で男女交際が禁止されています。その理由について、高校の教員から勉学に集中するため、若い内にトラブルを起こさないため、等の色んな説明を当時聞かされましたが、その中で一番印象に残っているのは、「池田先生と自分の心の間に余計なものを挟まないようにするため」でした。今思うととてもぞっとしますが、当時はそういうものなのか、と受け入れていました。このような指導が普通に行われていても、反発を示す人は私の身の回りに見かけませんでした。中には内心ではおかしいと思っていた人もいたかもしれませんが、周りからの強い同調圧力があり、表だって言うことが許されるような環境ではありませんでした。

書くことを強制された“感謝のお手紙”

 高校3年間で、私は恐らく計100回以上は池田大作氏への感謝や誓いの言葉を書いた文章を書かされました。ちなみに私が入学した頃には池田氏は表舞台から姿を消していて、滅多に学校を訪れることもなく、私は一度も直接会ったことはありません。しかし、年に3回の池田氏を称えるイベントはもちろん、入学式や修学旅行、寮生下宿生の食事会、卒業式などは、“お元気な池田先生に見守られて行われた”という(さすがに無理のある)設定になっていて、終わったあとに必ず見守ってくれた池田氏へ感謝や誓いの文を書かされていました。感謝の手紙は何回も書かされていると書くことが無くなってくるし、紙をそれなりに文字で満たさないといけなくて、書くことをひねり出すのも大変で苦痛だなと正直思っていました。何百人の学生がいて、手紙も膨大なので本人が本当に読んでいたかどうかは分かりません。でも、ここまで何回も感謝の手紙を書いていると、なんだか自分は本当に池田氏に感謝の気持ちを持っているのだと思えてきてしまうので、少なくとも学生の心に池田氏への忠誠心を植え付ける洗脳方法としては機能していたのではないかと思います。

もし訃報が自分の在学中だったら

 先月あった池田大作氏の訃報が、もし自分の高校在学中にあったとしたら、当時の自分は何を思って、どんな反応をするでしょうか。高校生活の中では、周りの圧力にがんじがらめになって、ずっと池田氏を崇めるように自己暗示をかけていたので、まずはしばらく池田氏の喪失を心から悲しむのかもしれません。そしてしばらくして、少し解放された気持ちになるのではないかと思います。当時の自分は、高校生ながら男女交際禁止の校則や毎回の感謝の手紙は嫌だという気持ちが正直ありました。実は在学中、不謹慎で考えてはいけないと分かっていても、「池田先生が亡くなれば、私たちはもう少し自由に生きられるのに」という考えが頭に浮かぶことがあり、浮かぶたびに必死にかき消していました。今思うと、閉ざされた空間の中で“池田先生“という会ったこともない大きな存在に青春の自由を大きく制限されて、よく耐えたなと思います。そして、耐えられたのは自分が正気じゃなかったからで、正気になって現実を知ってしまったら、とても耐えられるものではないと思います。

まとめ

 高校3年間について充実した3年間だったと思っていた時期もありましたが、今よくよく振り返るととても強烈な体験で、今の自分はその後遺症に苦しんでいるように感じます。カルト教団が信者を社会から隔離して、集団生活の中で洗脳教育を行っていることが社会問題として取り上げられることがありますが、自分が3年間で体験したことはまさにそれに近いものだったのではないかとさえ思います。創価高校に進学していなければ、自分はこんなに苦しまなくて済んだのかもしれない、と何度考えたことでしょうか。信者から見たら、私が退転したせいで地獄に堕ちたというようにしか見えないかもしれませんが、新宗教についての研究や2世当事者の問題についてよく調べて考えた上で、これは他の宗教にも共通点のある宗教2世問題の一つだと私は捉えています。そう捉えた上で、広い視野で教団の外の価値観を少しずつ学び、過去を整理することで、本当の意味で自分の人生を歩めるよう私は前に進んでいくつもりです。
 
 

参考文献

塚田穂高、鈴木エイト、藤倉善郎 編著『だから知ってほしい「宗教2世」問題』筑摩書房、2023年

#池田大作 #創価学会 #青春 #適応障害 #宗教2世 #宗教二世


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