見出し画像

最初の言葉を最後に思い出したりした

父が弱って来た時、いろんな選択肢があったと思うけれど
母には迷いがなかった。
父はずっと家で逝きたいと言っていて、
その要望は、母の中にしっかり根づいていたので、
自宅での介護生活へと、流れは自然だった。

ある日、母の口調がきつくなって
八つ当たりとしか思えない当たり方をされた時

「あ、母は疲れているのだ」
って、初めてわたくしは気が付いた。

それまで、介護生活とはいっても、同じ家に暮らしていても、
わたくしの中で「父の事は母がするもの」という、ぼんやりした思い込みがあって、「お客さん」だった自分を、恥じることさえなかった。

それからやっとわたくしは「当事者」になった。

ふとそれは、育児に立ち向かう人と似た心境なのかもしれないと、思う。

「当事者」

産まれた子供の
例え父親でも
例え母親でも

「当事者」として腹を括らぬ限り
見えてこないものが、沢山あるんじゃないだろうか。

介護生活も、また。

7年の介護生活の間には、本当にいろんな事が、あった。
そうして思うことがある。

人は、産まれることも一大事だが
死ぬことは、更にまた一大事だ。

今、わたくし達の日々の生活の中で「死」はいつの間にか忌み嫌われ,隠され
だから身近で「死の匂い」が立ち上がると、
おたおたする。
平然としては、いられない。

介護の「当事者」として、死にゆく人に何ができるのか。

「大変なのよ」

そうだね。決して、簡単な事じゃない。

自分のことならば判断できることも、介護生活の中、当人の代わりに判断することは、きつい。
けれどそれでも、「介護は大変」だけじゃないってわたくしは、思う。
強く、思う。

沢山の涙
沢山のため息

だけれど「大変」だけじゃない。

それだけじゃ、ないんだ。

涙もため息も、それら全てを飲み込んで
その死までの時間の中で
人は次の人達に最後の「教え」を与えてくれるのだ。

最後の「光」を
最後の「闇」を
最後の「真実」を
最後の「和合」を。

「お客さん」だった時には判らなかったこと。
けれどそう、綺麗ごとだけじゃないことも、知っている。

父が何度目かの入院をしていた時
受付で面会客は名前と時間を書かなければいけないのだけれど
いつもいつも
わたくしの名前の後には
わたくしの名前しか、なかった。

「入院させているから、大丈夫。」

みんなきっと、そう思っているのだろう。
誰も訪れない病室が並んでいる。

看護婦さんは、言った。

「若い人は別ですけれどね。
高齢者は、最初だけ。
入院した時だけ。
そういう家族、多いです。」

父の退院の日、
隣のベッドのお爺ちゃんに

「お世話になりました。
どうか早く良くなられて下さいね。
次に〇〇さんが退院の日を迎えられますように、お祈りしています。
・・・ありがとうございました。」

そう御挨拶したら
くしゃっと
お爺ちゃんの顔が歪んで

・・・・
・・・・

号泣された。

声を出して
細く長く・・・長く

長く
泣く

あの涙を、あの声を、
わたくしは忘れない。

寂しいと言えずに、寂しいを抱え込んで黙っている人がいる。
人達が、いる。

それは明日のわたくしかもしれない。
貴方かも、しれない。

「次のホームに行く前に1日でいい。
自分の家に、帰りたい。
自分の家で、眠りたい。」

そう訴える人に

「何我儘言っているんだ。家に連れ帰るだけでも、金がいるんだぞ」

それぞれの事情
それぞれの気持ち
本当に綺麗ごとじゃない。

ああ人は、
みんな自分は,自分だけは
優しく家族に見守られて暖かい言葉をかけられながら
穏やかに旅立つのだと思っているけれど。

周りで見守るしかできないんじゃないかと、唇をかむ厳しい現実の中

結局は

「腹を括る」

介護人に必要なのは
介護人に求められるのは
そのことだけなんだと思う。

「腹を括る」

言い換えれば
問題から,その人間から「逃げない」ってことだ。

わたくしは父と向き合う日々の中
その大事な事を、先に「腹を括った」人達によって教えてもらった。

身体がきつくてどうしようもなかった時も
涙が流れて顔を上げられなかった時も

「腹を括ってその生活から逃げないと決めた貴方が
貴方が決めたんだったら大丈夫。
お父さんにも、伝わるよ。」

その言葉で、わたくしは前に進めた。

「正解」なんてどこにも、なかった。なかったけれど。

そうして父の最後を看取った後

「どれだけやっても、どれだけ頑張っても
後悔が残らざるを得ないのが介護だけれど
その後悔が、一番少ない形になるように頑張ってね。」

戦い抜いた
父の顔を見つめながら

そう最初に言われた言葉を
最初の言葉を
思い出したりしていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?