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【魔物 ①再生のはなし】

「あ、これ分かる。感覚で折れてる」
勘の鋭さは、こういう所で発揮すべきではない。

大切な大会を明日に控えた俺は、まだ絶望感よりも紫色になり小刻みに震えている小指を見て呆然としているだけだった。
折れた指って。折れた指って自力では治らないよな。でも待ってくれ、エースの俺がこれを伝えてどうなる?試合に出られないのはもちろん、自分の指が助かったとてチームの士気が下がるだけだ。

そして自分の将来設計を考えてみた。いままで、今迄は野球をひたすらやって、その他の事はなんにも考えていなかった。このまま大学野球をして、プロになることだけを考えていた。新聞に載ったりニュースに出たり、話題性のある高校生だし。
今までの努力って、そう考えたとたんに深い闇の入り口が自分を吸い込んでいく感覚に襲われ首を振る。

大丈夫、大丈夫だ。今迄どんな辛い練習もやってきたじゃないか。遊びたいときに努力をしてきたじゃないか。俺はすごいやつじゃないか。
ハナのスカート捲りをしたのは、ほんの些細な出来心だったんだ。ハナが可愛くって、じゃれただけ。それがこんなことになるなんて。
いや、ハナのせいじゃない。当たり前だ、自分が悪い。
もしかしたらこれは突き指かもしれないしな。そうだ、悪い方に考えるのはよそう。
一度眠って考えるんだ。

翌朝、右手の痛みで目覚めた。絶望。全然折れてるな。
今はどうにかしてこの指をごまかす方法を考えよう。
まず色だ。湿布なんて持っての他だよな。絆創膏。ある程度ごまかせる。でも絆創膏、なんでと思われるよな。汗で取れたりしたら意味がない。
あっ、メイクだ。特殊メイク。女の人よくやってるじゃないか。
そうだ母親にファンデーションを借りよう。メイクなら多分汗をかいても大丈夫だろう。
いぶかしむ母親からファンデーションを借り、何度も重ねるとパッと見では分からない肌色になった。
「少し太いけどまあ。」

その日の試合は、もう何がなんだか分からないまま時間が過ぎた感覚だった。
投げるたびに痛みは増すし、得意のストレートでもばかすか打たれる状況だった。
攻撃ではバッドを握ると痛みが増して、球が当たるたびに小指へ衝撃が走る。そのたびに歯を食いしばり、この先、もう何が起きてもいいから今だけ勝たせてくれと神様に祈っていた。
スコアブックをつけているハナは、ベンチに戻るときに目が合うと少し心配そうな顔をしたあと口角をあげるのだった。
「不甲斐ねぇな…」
もちろんチームとしてバランスが取れているのは結果に出ていた。ただエースの不調に、チームメイトは動揺しているのが隠せていなかった。
小さなエラー、先走った判断、気のゆるみ。
今日は間違いなく人生で一番ひどい日だった。

試合後、痛みも忘れるくらい人生の終わりを考えていた。勝てなかった。このまま就職して、普通の人生を送るのか。
あーあ、つまんない人生だなぁ。チームメイトと解散したあとで、うっすら涙が浮かぶ。
野球に掛けた俺の人生なんだったんだろ。
帰りのバスを待つベンチに座っていると、ハナがとぼとぼと近づいてきて、隣に腰かけた。

無言が続く。時刻表が見えなくなるくらいの黄昏時、ハナが口を開いた。
「…負けちゃった、ね」
「4番なんだから、ヒットくらいうちなさーい!」

そのときにはもう涙が溢れて膝に落ち、周りのものが見えなくなっていた。
そのまま、ハナに泣きついた。
「…よしよし」
ハナは情けなく嗚咽交じりで泣いている俺を鼓舞する事も、嫌がる事もなく、受け入れてくれた。
それがまた自分が情けなく感じて、涙が止まらないのだった。

翌日、忘れかけていた元凶の小指の痛みがなくなっているのが分かった。
よくよく見てみると、化粧もしていないというのに小指の色が普通の肌色になっていた。
「あれ…痛くない」
少し小指は曲がっているものの、ちゃんと動く。し、昨日のような激痛が走る事もなかった。
「なんでいま良くなるんだ…一日遅いだろ」
今日から、もう野球に関してはオフの日。でも今まで何年も続けたランニングは習慣になっていて、走らないと気持ちが悪いままだった。

「行ってきます」
玄関を出て、朝日を浴びた。少しだけストレッチしたあと、近所を走る。
この町は都会と田舎のはざまみたいな町で、駅まで出るといろいろ揃うんだけど、基本的には車がいる。ちょっと走れば田園風景のパッとしない町だった。
もう免許でも取ろうかな。これから、部活だった時間が余るんだ。

「おはようございます」
「おはようございます」
いつも散歩している老夫婦とすれ違う。
街を走っていると、通い慣れた接骨院が見えてきた。あれは2年の冬、腕を痛めた時に行ってたんだ。最近はめっきり寄ってなかったな。
年齢はもうおじいちゃんに近い接骨院の先生が、外を掃いていた。

「おはようございます」
「おはようございます、あ、昨日惜しかったね、見てたよ、ミツイ…、ミツイテツくんだっけか」
もともと高校球児として僕を見ていてくれた先生は、きちんと昨日の試合も見に来てくれてたんだ。
「ありがとうございます」
「調子、わるかったねぇ。そんな日もあるか」
この人は何人も高校球児を見てきたんだろう。僕も特別ではなく、その中の一人であることに変わりは無い。

「…実は小指が、折れてたんです。」
言い訳みたいで人に言うのは嫌だったんだけど、これだけ遠い人間になら言える事もある。

「折れてた、そうだったのか。…そんな中で良く投げぬいたな」
「…はい。でも今見て下さい。これ」
僕は右手を胸の前に出し広げて見せた。
「ほお、なんともない。ちょっと曲がってるけど」
「…はい」

こんなこと信じてもらえないだろうけど、話のひとネタにはなったんじゃないだろうか。また走り始めようとした間があって、先生が口を開いた。
「そうか、君にはそんな力が。どおりで野球センスがあるわけだ」
「え?力?」
「昔見たことがあってね、こういう力をさ。そういう人たちって何かに優れてるんだよ、スポーツとか暗記とかさ。君だってなんとなく野球を始めたらうまく出来たんだろ?」
「まあ、なんというか身体が動くというか。」
「そうそう、それだよ。でね、そういう人たちには力があってね。もしかしたら君には治癒みたいな力があるのかもしれない」
「治癒?治療、みたいなことですか?」
「そうそう、嘘みたいな話だけどさ、ここ、長いだろ。もうボロボロの接骨院だ。でもそれだけ客を見てるんだ。ある日骨折してリハビリに来た客が、次の日にもう動けてて痛みすらないって言ってたことがあって」
「そんなばかな」
「そう、それで、そんなことがあるもんかと、いけない薬でもやっちまったんじゃないかってね、皆で話してたんだ。そいつさあ、変なギターも持ってたし、真っ赤なパンクスみたいな格好だったしよ」
「え、もしかしてこの街の赤いパンクスって」
「そうそう、有名人だろ。実家そこのさ。マヒトだよ」
「マヒト!」
この街には著名人がいくつかいるが、その中でもコアな人気を誇るバンドマンだった。
「あいつ怖いんだよ、肋骨折れたって言っても次の日すごい激しいライブしてたりしたんだってよ」
「それって本人の気力の問題もありそうな…」
「まあ、そういう気質ってのはあるだろうな。うたいたいだし。でもあの骨折は一日で治るようなもんじゃない。聞いたらな、歌えば治ったんだと。自分の声で」
「歌…」
「変なやつだろ?もしかしたらさ、作り話かもしれないよ?自分が特別であることで優越感を得てるような表舞台に立ってる奴はいっぱいいるだろう。でもあの骨折の次の日を見てしまった。それだけは事実だ。現にいま彼は、人の心を動かし、癒している。もしかしたら他人さえ癒す事が出来るのかもしれないな。カルト的な人気だ。」
「…」
「そこから俺は注意深く客を見るようになった。でもあんまりすごいやつはいなかったな。マヒトぐらい」
「…で、僕と何か関係が」
「いやいや、関係はないだろ。血縁関係もないだろ?」
「え、まあはい」
「でももしかしたら君にもなにかスイッチがあるのかもな。治癒能力を高める、いや使えるような」
「スイッチ…」
「ま!俺の作り話かもしれないしな。事実だけみるのはつまんないだろ?だから人間は娯楽を考えた。そんな人間を、俺は好きだね」
はははと笑いながら扉を開け接骨院へ戻る先生。その背中はどこからどう見てもおじいちゃんにしか見えないのに、自分の身に起こったことだからか、なぜかこの話には説得力があった。

再び走り始める。走りながら少し考えてみたが、もし俺にその力があるとして、スイッチはなんなんだろう。願っても治らなかった。気力を出しても治らなかった。得意な野球をしても治らなかった。ハナに抱きついた。女性を触る?そんなまさかな。
息が切れる。昨日は嗚咽交じりで泣いたせいで喉がカラカラだった。



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