6章 ー 祈り ー

 週末のその日、美沙は意図的に時間を取って【空白】を作ることにした。理由は、牧師さんのメッセージの中で印象に残った言葉からだった。

「静まって、わたしが神であることを知れ。」

「静まり、なにかをすることを止めることで、神が語り、働かれる空間・スペースを作ることができるのです。」
 確か牧師さんはそんな風に言っていたように記憶している。

「祈りとは、耳を傾けることです。目に見えない神の語りかけに耳を澄ますのです。」

確か、「聞くことが即ち祈りだ」みたいなことも言っていたと思うが……正直、何のことやらわからない。わからないながら、恐らくその神という存在をよく知っているであろう牧師さんの言葉に倣ってみよう。美沙はそう考えた。

 美沙の部屋は淡いピンクを基調としてまとめられた、女の子らしい部屋だった。パステルピンクのベッドには、抱くのにちょうどいいサイズのクマのぬいぐるみが座っている。木製の勉強机の上はこぎれいに片づいていた。本棚には少女マンガや小説、CDラックには邦楽と、洋楽が少々。棚の上には手の平大のクマのぬいぐるみが3体かわいく並んで座っていた。壁のコルクボードには友達と撮った写真や、美しい風景の切り抜きがコラージュして貼ってあった。

 美沙はパステルイエローのゆるやかな部屋着姿で、自分の部屋の中央にお気に入りのクッションを置いて正座した。柔道をする父の影響もあってか、正座は嫌いではない。普段座らない位置から見る部屋の風景はちょっと新鮮で、自分の部屋なのに少し不思議な感じだった。


「えーと……。」
 見えないながらも、『多分いるんじゃないか』と思っている存在に向かって、自分のことばで語りかけてみる。

「あの、私、信者でも何でもないし、あなたのこともよくわからないんですけど……もしあなたが本当にいるなら、もっと知りたいです。私が台湾人のダンスで涙したこととか、お父さんの病気がお祈りのタイミングと同時に治ったこととか、いろいろ不思議でわからない事だらけです。できたら、どんな意味があって私や両親がこんな体験をしたのか、あなたはどんな方なのか、私に教えて下さい。」

 ややあって、

「……あっ。イエスさまのお名前で、祈ります。アーメン。」
 思い出したように最後に付け加えた。そういえば、学校でもこの祈りの文句は何度も聞いていたと気付く。自分から口にするのはもちろん初めてだった。

 そのまま美沙はしばらく目を閉じて、静かに呼吸を続けてみた。

 普段、こんな風に何もしない時間を取ることはないので、なんだかそわそわする。別段、声が聞こえてくるわけでも、何か神秘的な体験をするわけでもなく、ただ時間だけが過ぎていくようだった。


 しばらくすると、まるで炭酸の泡が下から湧いて、水面で弾けるように、色々な事が次から次に思い出されては消えていった。

 小学校の友達で、喧嘩して疎遠になったまま引っ越しちゃった愛子ちゃんのこと、小さいころ両親とよく行った公園の思い出、千尋の快活な笑い顔、こないだ行ったカフェの雰囲気とかわいいドリンクのこと、中学に上がる時に不安で不安で眠れなかったこと(そんな心配無用だったけど)、昨日話をしてくれたお父さんの真剣な面持ち、ショッキングな地下鉄サリン事件のこと……とめどもなく、思いついては消えていく感情と思考の泡を、美沙はどこか距離を保って眺めていた。

 (……ああ、愛子ちゃんと仲直りできなかったの……私、悲しかったんだなぁ……もしどこかで会えたら、謝りたいな…謝れるかな。謝れるといいなあ。カフェのドリンク、おいしかったなあ。いいとこだったな。また行きたいな。お父さんの若いころ……なんか不思議な感じ。お父さんは生まれた時からお父さんだもん。その前なんて考えたことなかった……。)


 やがて、不思議な光景を見た。

 さわやかな風が吹き抜ける草原に、美沙はいた。あたたかく、やさしく、安心できる雰囲気に、張りつめていた心が少しずつほぐれていく。まるで心が温泉につかっているような不思議な安堵を感じながら、美沙は座り込んでいた。

 ふと、側に気配を感じてふり返ると、足まで長く垂れた白いローブのような服を着た人が立っていた。表情は見えなかったが、その人は美沙のことを喜び、微笑んでくれている。なぜかわからないが、そう感じた。


*       *       *       *       *


「美沙、美沙。部屋にいるの?ちょっといらっしゃい。」

 階下から母の呼ぶ声がする。どのくらい時間が経ったのだろう。美沙はいつの間にか床に伏せて眠ってしまっていたらしい。

「……ふぁーーい……。」

 弱々しく返事をして、大きく伸びをする。部屋を出ようとして、鏡に映った自分に思わず渋い顔になる。右のほっぺたにじゅうたんの跡がついていた。

 軽い睡眠後の心地よさを感じながら、足元に気をつけて下に降りて行った。

「お母さん、何?」

「あのね、お母さん何となく気が向いて整理していたらね、これが出てきたの。」

 そう言って手渡されたのは、手紙だった。封筒には

「美沙ちゃんへ 笹木愛子より」

 とあり、封は切られていなかった。


「……これ、どこから出てきたの?!」

「うん、美沙のね、卒業アルバムを開いたら、中から出てきたの。」

「こんなの、私知らないよ!?」

「やっぱりそうなの?お手紙をもらって封も切らないなんて、おかしいと思ったのよ。」


 美沙がレターナイフで急くように封を開けると、中から手紙と一枚の写真が出てきた。愛子と美沙が小学3年生くらいで、まだ仲が良かった頃のツーショットだった。痛いほどの胸の動悸を感じながら、震える手で美沙は手紙を開いた。

「美沙ちゃん

 元気ですか?卒業おめでとうございます。

 5年生になって、些細なことで美沙ちゃんとケンカして、そのまま、なんとなく仲直りのきっかけをつかめないまま引っ越してしまい、とうとう小学校卒業を迎えてしまいました。引っ越す前に謝ろうとして、何度か美沙ちゃんの家の近くまで行った事もあったんだけれど、勇気がなくて、ついにできませんでした。

 美沙ちゃん、美沙ちゃんはまだ私のことが嫌いですか?私は美沙ちゃんのことが好きです。そして、仲直りできなかったことをこうかいしています。どうかゆるして下さい。5年生の終わりに私が引っ越して、もしかしたら美沙ちゃんは私のことをもう覚えていないかもしれないけれど、私は美沙ちゃんのことが忘れられません。

 この手紙を渡してもらうよう友達に頼みました。もし私のことをゆるしてくれたら、ぜひ連絡を下さい。待っています。本当にごめんなさい。美沙ちゃんとはいつまでも友達でいたいです。

笹木 愛子より」


 手紙を読みながら、涙が止まらなかった。どうして、卒業して5ヶ月も経った今、この手紙が出てきたのだろう。なぜ、すぐに読むことができなかったのだろう。写真の中の二人は仲良く腕を組んでいて、この世に心配事なんて一つもない、と言わんばかりの屈託のない笑顔をしている。あの頃に戻りたい。戻ってやりなおしたい。すすり泣きながら何とも言えない悔しさを感じる一方、今まで胸につかえていたわだかまりが溶けていくのを感じていた。

「あらー美沙、よかったわねぇー。」
 後ろに回り込んで手紙を読んだ美智子が美沙の肩に手を置いた。母の手がじんわりと暖かかった。

「……お母さん……!」

 ふり返りざま、がばと母にだきついて、美沙はありったけの声で泣きじゃくった。


「たぶん、幸子ちゃんじゃないかしら。」
 母が推測する。

「あの子、愛子ちゃんと仲良かったでしょう。卒業する時に、美沙に直接手渡せなくて、美沙の卒業アルバムにこっそり挟み込んだ。…そんな所じゃないかしらね。」

 母が作ってくれたホットミルクを飲みながら美沙はうなずいたが、心ここにあらず、といった感じだ。もっと早く見つけたかった。自分から行動を起こすべきだった。そんな後悔の念ばかりが頭の中を駆け巡って、後のことはあまり頭に入ってこない。

「本当によかったわねえ、美沙。あなた、口にはあんまり出さなかったけれど、ずいぶん気にしてたみたいだったから。」

「……うん……。」
 泣き疲れて少しボーッとしていた美沙は突然、弾かれたように母の方を見た。

「……何?どうしたの?」

「お母さん!あのね!実はね、さっき……。」


 美沙は母に、【神】に向かって【祈った】こと、そして静まる中で愛子ちゃんの事を思い出していた事、また、不思議な夢を見た事などを話した。

 興味深そうに聞いていた母は、聞き終わって一言、

「じゃあ、美沙の祈りを神さまが聞いて下さったのね。」
 と言った。

「やっぱり、そうなるのかな……?」

「そりゃーそうよ、自慢じゃないけどお母さん、普段片づけなんて滅多にしないじゃない。」

「おかーさん、そこは自慢しないでっ。」

「んもぅ、自慢じゃないって言ってるじゃないのー。とにかく、美沙がお祈りして愛子ちゃんの事を思い出す、このタイミングで私が片づけがしたくなる、愛子ちゃんの手紙が出てくる、美沙がすぐそれを読む。他にどう説明するの?」

 それはわかる。わかるのだが、かといってすぐに【神さまのおかげ】と結論づけるのには、少々抵抗があった。それでも、偶然では片づけられそうもない、認めないわけにはいかない、とも心のどこかでは思っていた。

「……そう言えば、私、お祈りする時に、『神さまのことを教えて下さい』って言ったの。……教会の牧師さん、神さまのことを『関係を回復する神』って言ってた気がする。……愛子ちゃんとの関係を、神さまは回復しようとしてくれたのかな…?」

「関係を回復する神さま、かぁ……。それは、いい神さまだわね。」
 ふふっ、と美智子が笑った。



 ほどなくして美沙は愛子に手紙を書いた。手紙が遅れて見つかったいきさつについては簡単に書いただけで、詳しくは触れなかった。

 数日して、愛子から電話がかかってきた。昔よりも少し大人びた声と言葉遣いになってはいたが、話しているうちにいつの間にか昔の二人に戻っていた。お互いに謝罪し合い、ゆるし合っていることを確認し、涙し合った。仲が良かった頃の思い出話をして笑い合った。いつか家まで遊びに行く、と約束し合った。お互い、胸のつかえが取れて、晴れ晴れとした気持ちで受話器を置くことができた。


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